04.

 ペースを最大限に上げた。疲労を、解放させていく。


 頭の中にある彼女を。隣にいた頃のペースを。すべて振り切っていく。


 左足の膝が限界を上げそうになる。


 膝なんて。


 どうでもいい。


 そんなものは、ない。


 走った。


 景色が、消える。空も、街も。隣さえも。見えなくなる。走って、消していく。過剰走行集中ランナーズハイ。走ることしか、見えなくなる。それでいい。走れれば、それで。


 目の前。


 何かが突っ込んできて、止まった。


 自分も反射的に止まって、避ける。ランナーズハイが。切れてしまう。


 参ったな。


 運が悪い。


 いま立ち止まると、疲労が。


 座り込んでしまいそうになる身体。


 車。


 目の前に突っ込んできて止まったのは車で。


 誰かが出てきて。


 隣。


 支えられた。


「ゆっくり呼吸を。わたしの声に合わせて」


 声に合わせて。呼吸する。


 少しずつ、疲労と、痛みが、戻ってくる。


「なんでそんな無茶を」


 彼女。


 自分を支える姿。


 隣。


 思ったよりも、高い声。


「あなたがいないから」


 彼女。びっくりしたような顔。


「思ったよりも、低い声?」


「あ、はい。いいえ。そうじゃなくて。こんな走り方をしたら身体が」


「忘れたかった」


 息が整ってくる。疲労。少しずつ、抜けていく。


「あなたを。あなたのいないペースに、慣れようと思って」


「でも、こんな無茶をしたら」


「さっき。あなたを見かけて」


 それ以上は、言いたくない。彼女のこれからの幸せを。自分が壊すことは。


 彼女。


 片手で自分を支えて、車のキーを、もう片方の片手で開ける。


「車へ」


「大丈夫。もうひとりでいい。誤解されるといけない」


 彼女の腕と身体を、軽く押し退ける。


「さっき。さっきいたのは」


 彼女。


「車のセールスマン。さっき、そこのディーラーで。これ、買ったの。わたしの車。誤解してる」


 誤解。


 たしかに、そうかもしれない。


 それでも、いずれこうなる関係だった。彼女のことを、自分は何も知らないし、これからも知ることはない。


「車。便利かなと、思って。あの。送ります」


「いいえ」


 車には乗れない。


「朝はふたりで走って。一緒に出勤して。帰りは、帰りも、同じ時間。同じ時間にします。だから、ふたりで。車で帰りませんか」


「俺と?」


「あなたと。私で」


 そのための、車か。


「乗れないな」


 片足で立って。自分の左足。膝から下を。


 外した。


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