03.

 気を紛らわせるために、夜にも走ることにした。


 まずは、彼女のいないペースに慣れなければならない。彼女がいれば。ペースメイクしてくれたし、自分も彼女のペースになっていた。


 失ったものは、大きかったのかも、しれない。


 それでも。自分から声をかけることは、できない。もし、これから彼女が戻ってきても。こちらから声をかけることはない。それだけは、確かだった。自分には、普通の人間と一緒に走るための、資格がない。


 彼女。自分にとって、唯一の、普通、だったのかもしれない。


 走った。


 ペースを落とす。朝だけではなく夜。それに、仕事終わり。疲労はたまっている。無理をするべきではない。


 隣。彼女は、いない。


 分岐点。立ち止まった。


 だいたいふたりのときは、ここで少し止まって、ペースを調整する。そして帰る。ちょうど、出勤して歩くときも、ここが自分と彼女の分岐点。自分は左側。彼女は、右側。ここで、分かれる。


 右側。


 彼女が、いる。


 男性と。


 あれは、恋人だろうか。車のキーを渡されている。


 そうか。


 彼女にはもう、走る必要が、ないのか。


 彼女の幸せを願う気持ちと、その隣に自分はいないという憂鬱が、複雑に絡み合った。


 忘れよう。


 空。少しずつ、夜に近づいていく。


 彼女。こちらに気付く前に。


 ここを立ち去ろう。そう思っても、少しだけ、彼女を、目に焼き付けた。もう会うことのない、私にとって大事だった、ひと。

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