第6話 新規お抱え
大名家の下屋敷に潜入し始めてひと月がたった頃、竜組が目ぼしい浪人を見つけた
「若、安芸三次藩浅野家の下屋敷で賭場に潜り込んでいたのですが、浪人にしては金を持っている奴を見つけました、いま後をつけさせて塒を探っています」
「やっと、糸口が見えてきたか。三次藩と言えば五万石よの。他にきな臭い話は無かったか」
「中間に酒を飲ませて聞いているのですが、ちと面白い話が」
「ふむ、なんじゃ」
「藩主永澄殿が亡くなって三男を嫡子として届け、上様の御目見えも終わったようですが、どうも酒乱ようで」
「乱行しておるのか」
「そのようで」
「藩政が乱れているかの」
「あと大和郡山藩は世継ぎ問題が藩を二分しているとか」
「書状に認めるゆえ、父上に届けてくれ」
三次藩下屋敷の賭場に屯する金回りの良い浪人をつけて、竜組と巳組が塒を見つけて来た
「塒を見つけました」
「どこであった」
「隅田川と綾瀬川が合わさる所に鐘ヶ淵という場所があるんですが、そこに百姓屋らしき家があります」
「何人いるか探ったか」
「常時五、六人はいるようでして」
「頭目らしき者は」
「まだ見当たりません」
「引き続き見張ってくれ。潜入できるようなら話し声も聞いてみよ」
「承知」
三日ほどたった頃、竜蔵が屋敷へ帰って来た
「若、鐘ヶ淵の百姓屋は、やはり盗人宿でした」
「奴らの話が聞けたか」
「はい、これまで三件の押し込みをやったようで、あと一軒やった後は江戸を離れると頭目らしき者が語っておりました」
「あと一軒か。これまで稼いだ金子は如何ほどになる」
「ざっと、八千両あまり」
「それは凄いの。全てを手下に分けたはずもなし。残り金はどこかに隠してあるな」
「頭目に竜吉以下を張り付かせてますんで、追々分かるかと」
「あと一軒を、いつやるかだが、いま奉行所に知らせて捕縛しても、残り金の在処は言うまい。さて、どうするか」
「一軒やる前に在処が分かれば奉行所へ知らせ、分からなければ一軒やらせて後を追いますか」
「それしかないの。山田に伝えてみよう。それと、これから橋場の武蔵屋に移る。何かあったら、そこへな」
奉行所へ向った清十郎は、山田を呼び出したが、探索に向かっているのか不在だった。
清十郎が来たことを与力、原田助左衛門が聞き、清十郎を呼び止めた
「お主が、夏目清十郎か」
「左様」
「与力の原田だ。お奉行が会いたがっておる。まぁ上がれ」
南町奉行 安倍上総守に訪いを告げると
「清十郎か、大きくなったな。色々と手伝ってくれているようだの。今日はどうした」
「山田に話があって参ったのですが、不在で」
「急ぎの用か」
「例の天狗党の件で」
「なに。天狗党がどうした」
「塒が見つかったのですが、ちと策を考えぬと一網打尽にできぬなと思いまして」
「なんと、見つけたか、どこじゃ」
「はぁ、その前に。塒は見つけましたが有り金の在処が分かりませぬ。見張りを付けてはおりますが」
「有り金か」
「探ったところ、あと一軒押し込みをした後は江戸を離れるつもりのようで」
「それで」
「どこを襲うのかを探っているところですが、その前に、金の所在が分かれば捕縛しても良いかと、ただ分からなければ泳がすしか無いかと思いまして、山田へ相談に来たところです」
「なるほど。原田、どう思う」
「某も夏目の考えに同じです」
「で、塒はどこじゃ」
「隅田川と綾瀬川が合流するところの鐘ヶ淵にある百姓屋です」
「そんなところに構えておったか」
そこへ山田が帰って来た
「お、夏目来てたのか。何か分かったのか」
「今お奉行に話したばかりだ。では見張りを続けますので、繋ぎが取れやすいように、手配を願います」
「分かった」
「え、え、どうなりましたので」
「いま説明するわい」
鐘ヶ淵の百姓屋には近くに監視できる家が無い。
竹藪に身を隠し見張るしかないが
床下に潜んでいた竜吉が、そろりと這い出て、竹藪へ向かって来た。
「どうした」
「次の目当てがわかった」
「どこだ」
「米沢町の両替商志摩屋」
「若に知らせろ。隅田川を上がった先の橋場にある武蔵屋という船宿にいる」
武蔵屋に着いた竜吉は早速、志摩屋の件を伝えた
「両替商か・・・竜吉、頭目の動きに変わったところはないか」
「変わったところ・・・そういえば、綾瀬川を上流に五町ばかり行ったところに地蔵堂があるんですが、毎日お参りをしています。盗賊にしちゃ信心深い奴で」
「毎日、地蔵堂にな・・・周りは林か、田んぼか」
「雑木林で」
「いま見張りは何人付けている」
「竜組と巳組ですが」
「頭目の今日の地蔵堂参りは済んだのか」
「はい、先程」
「巳組にな、地蔵堂周辺の落葉を払い、土の色が違う場所を掘ってみろと伝えよ」
「まさか・・・あんなのところに」
「あるやもしれぬ。埋めてあれば心配であろう。毎日、在処を確認せねば不安であろうよ。八千両もあるのだ。見つかったらの、ここへ運ぶようにな」
「承知」
清十郎の伝言を聞いた巳組一党は、地蔵堂周辺の落葉をさらい、土色が違う場所を見つけた
早速掘ってみると、千両箱が八つ出て来た。
掘り出した土を戻し、千両箱を持って武蔵屋へ向った。
「若。ございましたよ」
「やはりな。奉行所へ走ってくれ。金は抑えたとな」
知らせを聞いた与力、原田助左衛門は捕方を集めた。
「お奉行、夏目が金を抑えましたゆえ、捕縛に参ります」
「そうか。見つけたか。一網打尽にせよ」
「はっ」
原田を筆頭に二十人の捕方が舟を使い鐘ヶ淵へ向った。
その知らせを聞いた清十郎は、竜蔵と巳之助に
「見張るだけで良いぞ、手出しは無用。捕縛までの手伝い料は貰っておらぬからの」
と伝えた。
捕物も終わり、金を引渡した清十郎たちは屋敷に戻って、平穏な日々が続いた
ある日、下城した伊豆守が立ち寄ったのである。
「父上、前触れもなくお越しとは、何かございましたか」
「うむ。ちと話があっての」
「何か」
「お主の働きで、五家の改易が決まっての。これを潮にわしも隠居しようと考えたのじゃ」
「隠居されますか」
「そろそろな。それでだ、わしが隠居したあと、お主はどうする」
「どうと言われましても、今の暮らしのままでございます」
「松之助から捨て扶持を貰って暮らすのか」
「捨て扶持など入りませぬ。今でも十分暮らせますゆえ」
「そうか、養子には・・・行かぬよな」
「養子先に気を遣う暮らしは御免被りますので」
「左様か。隠居したら、ここへ住んでも良いかの」
「元々、父上が買われた屋敷でございます。遠慮は入りませぬよ」
「よし、分かった。ところで、入口に庵が立っておるが、あれは何じゃ」
「実は、女医者が押しかけて参りまして」
「女医者とな」
「はい、長崎の帰りに、ちと縁がございまして」
「蘭方医か」
「はぁ、その・・・妾になりたいと申しまして」
「なんと」
「家臣にも尋ねたのですが、斬り傷を受けることもあるので、屋敷に蘭方医がいると心強いと」
「お主の周りは妙な奴が多いな」
と笑い出した
「では、桐も同意しておるのか」
「はい」
「嫁はおらぬが妾が二人か、そういう人生も良いの」
清十郎の元を辞し屋敷へ戻った伊豆守は、正室の千代と嫡男松之助を呼んだ
「何かございましたか」
「いや、わしも良い歳じゃ、ここらで隠居を申し出ようと思ってな」
「隠居ですか」
「上様の裁可が下りれば、松之助、お主が当主となる」
「はい。家名を傷つけぬよう精進いたします」
「傷つけぬか・・・松之助、お主は四度の見習い奉公をしくじっておる。お役に就くのは厳しいと思え」
「はぁ・・・しかし、三千五百石の大身旗本でございますから、安泰でしょう」
「呑気な事を申すな。上様は旗本、御家人も不行跡があらば改易するとおっしゃっている」
「私は大丈夫でございますよ。清十郎が酒井家に迷惑さえ掛けなければですが。そうだ、捨て扶持いくら与えれば良いので」
「ふっ・・・清十郎は捨て扶持などいらぬと言うておる」
「それは助かりますな。さらに申せば干支組の扶持も減らしたいぐらいでございます」
「松之助・・・酒井家が大目付として無事やってこれたのは干支組あればこそだぞ。何も分かっておらぬな。嫁にしても、やっとのことで親戚筋から来てもらうことができたが・・・酒井家の将来は孫に期待するしかないのかの」
「父上、もはや天下泰平の時代、忍びという家臣が必要とは思えませぬ」
「もう良い。お主と話すと頭が痛くなる。隠居が決まったら、わしは清十郎の屋敷に移るでな」
翌日、吉宗は伊豆守の隠居願いを聞いていた
「伊豆よ。隠居は早くないか」
「上様、それがし、すでに五十の峠を過ぎております。ご下命の改易も済みましたので、これを潮に隠居したいと存じます」
「お主が隠居すれば、跡継ぎは嫡男よの」
「はい、松之助でございます」
「清十郎はどうなる」
「どうということもなく、今の暮らしのままでございます」
「養子には行かぬのか」
「はぁ。養子先に気を遣う暮らしは御免被りたいと申しまして」
「それは・・・困ったな。伊豆よ、隠居願いは暫し待て。下って良い」
孫市を連れ庭に出た吉宗は、暫し黙考し、御庭番の才蔵を呼んだ
「才蔵はおるか」
「はい」
「才蔵、酒井家の干支組をどう思う」
「大名旗本に仕える忍びの中でも技量第一かと存じます」
「であろうな。予を襲ってきた御土居下組を蹴散らした、あの技量は捨て難いの」
「干支組を操れるのは夏目清十郎のみでございましょう」
「清十郎を見知っておるのか」
「はい、幾度か探索先で助けられたことがございまして」
「そのようなことがあったのか」
「お伝えせず申し訳ございません」
吉宗は暫し黙考した
「青山を呼べ」
謁見の間に呼ばれた老中青山下総守は何事かと慌てて参上した
「お呼びでございますか」
「うむ。伊豆守が隠居願いを申してきた」
「伺っております」
「酒井家の嫡男は使えぬ、ぼんくらだと聞いておる」
「はい、四度の見習い奉公をことごとくしくじりました」
「予としてはの、次男坊の清十郎を手元に置きたいと考えておる。が、あやつ養子には行かぬと申しておるそうな」
「それも聞いております」
「何か良い策はないか」
「・・・」
「このままでは、清十郎も忍び一族も使えぬことになる」
「上様、将軍家が代替りされた折、新たな家臣をお抱えになる事がございます。財政改革も少しずつ進んでおりまして、新田開発と改易で八十万石ほど増えました」
「そうか。新たに抱えれば良いか」
「はい」
「よし、それでいこう。青山、清十郎の住む拝領屋敷の手配をせよ」
「知行はいかに」
「予の命を守った奴である。五千石でどうじゃ」
「では拝領地をいくつか探します」
「拝領地が決まれば、右筆に新規抱え状を書かせよ」
「ははっ」
二日後の朝、南町奉行与力、原田助左衛門が清十郎を訪ねてきた
「夏目はおるかの」
「これは原田殿、暫しお待ちください」
「若、与力の原田殿がお見えです」
「山田ではないのか。通してくれ」
「夏目、お奉行からお主に礼を申したいゆえ、奉行所へ来るようにとのことじゃ」
「金子は頂いておりますから、改めて礼には及びませぬが」
「此度のことでの、お奉行が勘定奉行へ栄転されることになった。礼ぐらい受け取れ」
「ほう、勘定奉行ですか」
「左様、これから行くぞ」
「え、これからですか」
「いいから付いて参れ」
手を引かれるように奉行所へ向かうと
「おお、清十郎。此度は世話になったの」
「勘定奉行へお成りになるとか」
「聞いたか。それでなお主に礼をやろうと思ってな」
「探索費用は貰ってますので」
「そう言うな。何が良いかと迷ったがの、これを渡そう」
「これは」
「粟田口吉光の短刀じゃ。剣術家には似合いであろう」
「そのような名刀は受け取れませぬ」
「黙って受け取れ。わしの気持ちじゃ」
暫し考えたが
「では、有り難く頂きます」
「勘定方になるゆえ、中々会うことも無かろうが、たまには屋敷に遊びに参れ」
「はぁ」
一方、江戸城謁見の間では、吉宗と丹波守が目付の補充について話をしていた
「丹波よ、中々見つからぬか」
「はぁ、帯に短し襷に長しと申しますか」
「目付は誰でも良いとはいかぬからの」
「はい」
「それはそれとして、丹波。そなた近頃悩みでもあるのか。顔色が冴えぬぞ」
「え・・・さような顔をしておりますか」
「予が見抜けぬ思うか、何があった、言うてみよ」
「はぁ・・・実は娘のことで」
「娘がどうした、悪い病にでも罹ったか」
「病と言えば、病のような」
「何じゃ、具合が悪いのか。良い医者を遣わすぞ」
「あ、いえ、医者では治りませぬ病でございまして」
「なに。それはどういうことだ」
「実は、娘も十六になりまして、嫁ぎ先をいくつか探して選べと申したのですが」
「ほう、嫁ぐ歳になっなのだな。それで」
「嫁ぎ先は、既に決めていると申しましたので、どこかと聞いたのでございます」
「ほう、どこの誰であった」
「夏目清十郎と申しましたので」
「な、清十郎か」
「はい。それで清十郎は次男坊で、継ぐ家が無い、嫁ぐ家が無いのだぞと、諭したのですが」
「待て待て、なぜ清十郎を見知っているのじゃ」
「それは・・・清十郎を我が家に招いたことがございまして、その時に」
「左様か、それで」
「嫁ぐ家が無くとも嫁には行けると申しましたので」
「わははは。面白い娘だの」
「さらに、酒井家の掟で側室みたいな者もいるのだぞと言いましたが、頑固一徹で」
「なに、正室もおらぬのに側室がいるのか」
「はい」
「丹波よ、清十郎に家があれば嫁がせるのか」
「それはもう、清十郎が酒井家を継ぐのであれば喜んで嫁がせまする。が、継ぐのは嫡男松之助でごさいますれば、如何ともしがたく」
「はははは、丹波よ。娘の願い天に通じたわ」
「え・・・どういうことで」
「実はの、伊豆守が隠居願いを出しよった」
「はい、それは聞いております」
「嫡男松之助は、箸にも棒にも掛からぬぼんくらと聞いておったで、酒井家を継いでもお役にはつけぬ」
「はぁ」
「そうなると、酒井家の忍び一族も幕府のために使えなくなる」
「そうなりますな」
「御庭番でさえ、助けられたこともある清十郎と忍び一族を、このまま市井に埋もれさすのは幕府に取っても痛手であろう」
「はい」
「よって、予が将軍として新規お抱え旗本にすることを決めたのじゃ」
「え・・・ということは、清十郎が旗本になると」
「そうじゃ。三日後に言渡す。さすれば娘も嫁げようぞ」
「なんと。ありがたき幸せにございます」
一方、奉行所から帰った清十郎は、先日の来国光と粟田口吉光を一対にして刀架に飾った
身に余るなと溜息をつきながら
「桐はおるか」
「はい」
「組頭は何人残っておる」
「さて、屋敷にいますのは十人ほどかと」
「呼んでくれ」
書院に十人の組頭が入って来た
「何かございましたか」
「父上がの、隠居するそうだ」
「いよいよ隠居されますか」
「それでな、あの兄上ではお役にはつけまい」
「それは無理でございましょう。四度も見習いをしくじっておりますので」
「そうなると、お主ら、扶持は貰えても忍び働きが無くなる」
「なるほど、我々の働き口が無くなるのですな」
「とは言え、三河以来の忍びの技を無くす訳にはいかぬ」
「と言われますと」
「いま伊勢屋一帯の用心棒をやっておるが、増やして行こうと思うてな」
「そりゃいいですな。金にもなりますし、商家からは神様みたいに扱われるわけですから」
「それで良いか」
「私共は、清十郎さまに付いていくだけでございます」
「では、これまで断ってきた用心棒を増やすとするか」
それからニ日後のこと
伊豆守が前触れなく、清十郎の屋敷へ立ち寄った
「清十郎はおるか」
「父上、何かございましたか」
「明日の登城の際、お主を連れて参れと上様が仰せになってな。桐、清十郎の継ぎ裃はあるか」
「はい、ございますが、のりを付けますか」
「付けてくれ」
「父上、私が登城しますので」
「そうだ、上様がお会いになる」
「何事でしょうか」
「分からぬ、何も聞いておらぬのだ」「行かぬ訳には参りませぬよね」
「当たり前じゃ」
「面倒くさいですの。肩苦しいのは苦手ですが」
翌日の朝、伊豆守の籠について登城した清十郎であったが、城中は居心地が悪い
「夏目清十郎。一べつ以来じゃの」
「はっ。上様にはご機嫌麗しゅう」
「うむ、伊豆守が隠居を申し出た。大目付として格段の働きがあったゆえ、隠居はならずと申したいところだがの。寄る年波には勝てぬと申しての」
「はぁ、五十を過ぎておりますゆえ、致し方なきことかと」
「お主は、伊豆守が隠居した後も、今の暮らしを変えぬそうだの」
「はい」
「養子にも行かぬと」
「はい」
「予を見捨てるのだな」
「え、決してそのような・・・」
「そうではないか」
「・・・」
「六郷の渡しで、予を助けた。その後も伊豆守を助け幕府のために働いて来たのは良く存じておる」
「・・・」
「そのような人材を市井に埋もれさせることは、幕府としては許しがたいことである」
「あの・・・どういうことでございましょうか」
「青山」
「はっ」
「夏目清十郎。上意である」
と、老中青山下総守が書状を広げ読み始めた
「ははっ」
「新規お抱えの件。夏目清十郎を新たに旗本として召し抱える」
「え・・・お召抱え・・・」
「知行地は次のとおり。武蔵国中野島村、多西村、瑞穂村以上合せて五千石とす」
「ご、五千石・・・」
「拝領屋敷は神田三崎町、旧加藤相模守屋敷を与える。なお、異例ではあるが、四月より目付を命ずる、以上、征夷大将軍徳川吉宗」
「・・・」
「どうした、清十郎」
「あの・・・突然のことにて」
「これが伊豆守の隠居を許す条件である」
青山が助け船を出した
「夏目殿、謹んでお受けなされ」
「ははっ、謹んでお受けいたします」
「うむ、間は無いが四月より目付をやってもらう。目付は千石格で異例ではあるが、欠員を生じておっての、幕政に支障が出ておってな。お主ならできよう」
平伏しながら横で聞いていた伊豆守も、何が何やら分からぬ様子で顔を上げ
「清十郎が・・・旗本に」
「伊豆守」
「はっ」
「隠居を許す」
「ははっ」
やり取りを横で見ていた丹波守も笑みを浮かべ頷いていたが
「あのぅ、上様」
「ん、なんじゃ・・・おお、そうじゃった」
「清十郎、もう一つ言渡すことがある」
「はい」
「嫁をもらえ」
「え・・・嫁でございますか」
「そうじゃ。お主でなければ嫁がぬという娘がおる」
「あの、私には、その・・・側室というか妾と言いますか」
「知っておる」
「一人ではなく、二人おりますが」
「なに、二人もおるのか。それはまた
。丹波。どうする」
「一人も二人も変わりませぬ」
「ならば良いか。清十郎、側室のことは承知で嫁に行きたいと申しておるそうな。男冥利に尽きるな。丹波守、これで良いか」
「ははっ、有難き幸せ」
その頃、清十郎の屋敷には、付き合いのある商家から、四斗樽や鯛の魚が続々と届けられていた。
四斗樽を届けに来た伊勢屋に、子之助が
「伊勢屋、何のお礼か。他からも色々届いておっての」
「そうですな。清十郎様が帰って来られたら、おわかりになりますよ」
と帰って行った
伊豆守と下城し屋敷に戻った清十郎は
「桐、屋敷にいる者全て集めてくれ」
「全てでございますね」
広間に集まった者が、口々にご褒美を賜ったのであろうかなどと話していた
「皆のもの。本日城中にて上様にお会いし、六郷の渡しにて上様をお守りしたことなど、干支組の働きを褒めて頂いた」
「それは真で、有り難いことじゃ」
「あ、それでな・・・実はの、わしが新たに旗本として仕えることになってしもうた」
「ほう、旗本ですか・・・え、え、清十郎様が旗本に」
一同、驚きを隠せず
「旗本に、なられた」
「これは目出度い」
「ん。商家の連中はこのことを知っておったのか」
と騒ぎだした。皆を鎮めた子之助が
「清十郎さま。知行はいかほどで」
「五千石だそうだ」
「え・・・五千石、本家を超えましたか」
「拝領屋敷は」
「神田三崎町の前は加藤相模守が住んでいた屋敷と聞いた」
「相模守の屋敷といえば一万坪ほどの広さがございますよ」
「そうなのか、それと異例ではあるが四月より目付を拝命した」
「おお、我らの働き口ができたの」
「知行地はどちらで」
「多摩郡中野島村、多西村、瑞穂村であったな」
「干支の郷に近いですな」
「それとな」
「まだありますので」
「嫁をもらうことになった」
「なんと、どこの姫様で」
「丹波守の娘らしい」
「これはまた、目出度いことで」
話を聞いていた紫乃が尋ねた
「私はどうすればよろしいので」
「紫乃、桐と一緒に新しい屋敷へ移れば良い」
「奥方様がいらっしゃるのに、良いので」
「丹波守の娘も側室が二人いることを承知の上だといっておる」
そう聞いて二人とも安堵した
一方、屋敷に戻った伊豆守は、興奮気味で千代と松之助を呼んだ
「何かございましたか」
「何かあったどころではない。清十郎が新規お抱えの旗本になった」
「まあ、そうですか。しかし倹約のご時世ですから、大した知行ではないでしょう」
「石高五千石じゃぞ」
「五千石・・・何かの間違いでは。我が家より多いではないですか」
「間違いではない。清十郎は上様江戸入りの際、危難からお守りしたこともある。わしの下での働きも上様はご存知であった。わしが隠居することで、干支組を働かせることが無くなるのも惜しいと言われての。松之助、言ってる意味が分かるか」
「はぁ」
「天下泰平の世でも忍びは必要なのじゃよ。加えて四月より目付を拝命した」
「目付は千石格ではないですか」
「干支組を従えておるからの、監察、監督にはうってつけじゃ」
「上手いことやりましたね、清十郎は」
「馬鹿者、お主はそのようにしか考えられぬのか、寅乃助を呼べ」
「お呼びで」
「聞いていたであろう、清十郎が旗本になり、目付を拝命した」
「はい、おめでとうございます」
「掟により干支組を分けることになる。組頭に望みを聞いておけ」
「恐らく、全てが清十郎様へ付いて行くと思われますが」
「そうなるであろうな」
「父上、私はそれで構いませぬ。扶持をやらずに済みますゆえ」
「松之助・・・お主というやつは・・・」
祝いの宴のような清十郎の屋敷に寅乃助が来た
「おお、寅乃助、ここに来て飲め」
「既に宴会じゃの」
「殿様から何か」
「巳之助、殿様は清十郎さまであろう。伊豆守さまは大殿と呼ばぬか」
「お、そうであった」
「組頭を集めてくれ」
「なんじゃ、改まって」
「大殿からな、此度の清十郎さまお召抱えになり、掟により干支組を分けねばならぬとの仰せじゃ」
「ああ、そういう掟があったな。これまで分家など無かったから忘れておった」
「そこで各組頭に望みを聞いておけとのことでな」
「わしは清十郎さまに付いていく」
と子之助が言うと、酒井家に残るという組頭は皆無であった
「やはりな」
「誰も酒井家に残らぬことになるが、大丈夫か」
「松之助さまがな。全て清十郎さまのところで構わぬと言われての」
「そりゃ良かった」
「扶持をやらずに済むとも言うておられた」
「やはり、松之助さまは阿呆やの」
と笑い出した
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