第3話 丹波の騒ぎ

丹波の騒ぎ


秋晴れにススキが揺れる武蔵野街道に清十郎一行十ニ人の姿があった

田んぼの稲は刈り取られ、赤紫色の小さな花が咲いていた


「清十郎さま、百両って金子も重いですが、銭に替えると、こんなに重いんですな」

牛松が泣き言にも似た声を出す

「牛松、お主が抱えているは十両分じゃぞ、泣き言を言うな」

「あ、そうか。十両分でこの重さかぁ」

「泣き言もそろそろ終わりじゃ、干支の郷も目の前じゃからの」

清十郎は商家の用心棒で稼いだ金子百両分を銭に替え、干支の郷に持ってきた


出迎えたのは頭領の右エ衛門だ

「清十郎さま、ようこそおいでくださいました」

「頭領も息災のようじゃの。銭を持ってきた」

この時代、庶民が使うのは銭であった。

「ありがたいことで」

「なぁに、干支組が稼いだ銭じゃ、遠慮はいらぬ」

一行の中に楓を認めた右エ衛門は

「おや、楓もいたのか、江戸に住むと食い物が良いのか少し肥えたかのう」

少しふっくらとした楓の姿に気付いた。

楓は顔を赤らめ俯いた

「頭領、楓を連れてきたのは訳があっての」

「何かございましたか」

「懐妊した」

驚きの顔で楓を見ると楓も頷いた

「これは目出度い」

「忙しい江戸に居るより、ゆるりとした郷の方がお産にも良いかと思ってな」

「お気遣いありがとう存じます、しかし、楓がいなくなると清十郎さまがお困りですな。代わりの者を付けましょう」

「頭領、そう急がずとも良い」

「そういう訳にはまいりませぬ。掟は掟ですから」


酒井家と干支組には戦国の世からの掟、絆があった。

酒井家に男子が産まれ元服の折りには、干支組から世話役の女子を付ける。

殿様と家臣の間柄ではあるが、絆を大切にする目的と、若様が長じてへたな女子に引っかからぬよう、また、悪所通いで悪い病を貰わぬような用心も含めてのことであった。

産まれた子は男女に関わらず干支組の子として育てる。酒井家の世継ぎにはしない掟であった。


楓が世話役から引く、その話を聞いていた梛(なぎ)、柊(ひいらぎ)、桐(きり)は色めきだった。

梛が一声をあげた

「頭領、私を次の世話役に」

「梛ずるい、柊が参ります」

「二人とも、まだ若いでしょ、桐が参ります」

三人とも譲らない。

その会話を聞き右エ衛門は笑いながら、

「梛と柊は十五になったか、桐は十六よの。桐にいってもらおうかの」

桐は飛び上がるように喜んだ

「一つしか変わらないのに」

と柊が呟いた

「柊、梛、二人とも良く聞け、歳は一つしか変わらぬが、忍びとしての技量は桐が頭抜けておる。単なる世話役ではないのだぞ、清十郎さまに付いて御用も務めねばならぬ。まだ使えぬのだよ」

確かにそうだ。二人はうなだれてしまった。


その夜、干支の郷で清十郎はつかの間の安息を得ていた。

引き留められていた清十郎は二夜を過ごす。

その間、桐は楓から世話役の遣りようを聞いていた。


三日目の早暁、江戸から兎ノ助が馬を走らせ郷へ向かっていた。


「蹄の音が聞こえるのぅ」

忍び郷では珍しい。皆健脚であるゆえ、馬を使うことがない。

兎ノ助が息を切らせて飛び込んできた。

「どうした兎ノ助」

「頭領、若に殿様からの書状を」

「火急の用事とみえるな、若をお連れしろ」

離れに急いだ下忍が清十郎を連れてきた

「何事かあったか」

「殿様からの書状をこれに」

書状を開いた清十郎は、眉をひそめた

「急ぎ江戸に帰る。兎ノ助、馬を借りるぞ。他の者も起こして江戸に戻るよう伝えよ」

「何がありましたので」

「夏前に丹波へ出向いたであろう、まだ悪い芽が残っていたとみえる」


駿河台の酒井伊豆守屋敷に着いた清十郎は、急ぎ書院へ向った

「父上、只今戻りました」

「右エ衛門は息災であったか」

「はい、楓が懐妊しましたので、連れて行ったところでございます」

「ほぅ、懐妊したか。それは目出度い。さて書状にも書いたが丹波守殿からまた相談があっての」

「前の処置で終わったかと思いました」

「首謀者は目付役と聞いておったが、他に大狸がいたらしい」

「大狸はどなたで」

「城代家老 今井三左衛門」

「城代家老が、しかし、どうやって大狸の事が判明致しましたので」

「うん、佐々木家にも忠臣はおる。物産方の山崎という中老が、丹波守殿へ文を寄越したのじゃ。世継ぎ問題はどこの家でも勃発するものじゃが丹波守のところは根が深いの」


夏前、丹波篠山藩五万石 佐々木家では世継ぎ問題が勃発していた。

佐々木家目付役 五十嵐重蔵が側室 万の方の子 竹丸を世継ぎにと画策し、重役共に働きかけを行っていた

正室 篠の方の子 松丸は病弱であったが、歳を重ねるごとに元気になりつつあり、丹波守としては松丸を世継ぎと考えていた。

藩を二分する五十嵐の動きは、藩政にも影響を及ぼし、幕閣に知れると若年寄を罷免されるやもしれぬ大問題であった


内々に伊豆守へ相談し、善処を依頼してきたのである。

清十郎を丹波へ遣わし、目付役 五十嵐重蔵を病死と思える処置をしたのが夏前のことであった。


「ではまた丹波へ参りましょう」

「すまぬな、ここへ百両用意した、使ってくれ」

「忝なく。大狸は目付役と同じ処置でよろしいですか」

「丹波守もそのつもりじゃ」

「篠山藩は重臣がいなくなりますな」

「若手の意気の良い家臣もいるようじゃ。心配は無用じゃろう」

「では、明日にでも出立いたします」

「頼む」


日本橋の屋敷に戻った清十郎は、組頭を呼んだ。いたのは子之助、巳之助、牛蔵、午三郎、竜蔵の五人

「また丹波へ参る」

子之助が意外な顔で尋ねた

「夏前の仕儀に遺漏がございましたか」

「狸の後ろに大狸がおったそうな」

「探りが足りませなんだか」

「お主たちは先行して丹波へ入れ。篠山の喜蔵のところで落ち合い、城代家老 今井三左衛門を探れ」

「承知、若も東海道を上りますか」

「東海道だと尾張を通らねばならぬ、余計な争いは刻の無駄であるからの、中山道を行く」

五人の組頭は配下を連れ東海道を上った。

清十郎は忍びの技量を試すため桐と兎ノ助組を連れ中山道へ向った。


秋とはいえ中山道は山岳地帯を通るため肌寒く、東海道より道は険しい

桐は健脚であった。兎ノ助にも負けない足を持っていた。


江戸を立ち三日目、坂本宿に宿を取った

明日は碓氷峠越えになる。標高差ニ百三十丈あまりを登らなければならない。

宿の風呂から上がった兎ノ助が妙な話を聞いてきた

「清十郎さま、風呂で商人たちの話がそれとなく聞こえてきたんですがね」

「何か面白い話でもあったか」

「碓氷峠に山賊が出るらしいですよ」

「山賊。通行人に悪さをするのか」

「金品根こそぎ取るとか」

「宿場役人は何をしているのかのう」

「お役人は捕縛に向うらしいですが、まんまと逃げおおせるみたいで」

「面白いな。兎ノ助は配下を連れて山を上がれ」

「若たちは、街道を行かれるので」

「桐と二人で行ってみよう。山賊が出たら短弓でな」

「こりゃ面白くなってきた」


翌朝、泊まり客は早立ちで碓氷峠に向う

清十郎と桐も続いた

峠の手前で、先に出た商人たちが止まっていた

「なぜ止まっている」

背中に荷を抱えた商人が

「この先に山賊が出るのですよ。怖くて進めませぬ」

清十郎と桐は商人たちをかき分け前に進んだ。

峠まで一町あたりか、山からばらばらと人が降りてきた

木こりのような風体だが、槍や刀を持っている

総勢十五人くらいか

「待て待て、有り金全部置いてもらおうか、女連れか、女も置いていけ」

頭目らしい大男が、槍を持って立ちはだかる

「有り金と女か」

「そうだ、全部置いていけ」

「百両ほど持っておるがの、断る」

「百両だと。嘘こくでねぇ、断ると言うなら死んでもらう」

頭目の後ろにいた手下たちが刀を抜いて向かって来る

その時、山から弓矢が手下に向けて放たれた

「ぐはっ」という叫びと共に九人が倒れた

何が起こったか分からぬ頭目は、後ろを見て驚きの顔で清十郎を振り向いた

「お主ら何者だ」

「山賊退治の閻魔さまよ」

清十郎は刀を抜き前へ出る

桐も仕込み杖の刀を抜き前へ走る

山賊たちは、逃げようと後ろに走ったが、兎ノ助率いる忍びが刀を抜いて待ち構えていた

山賊たちは再び清十郎へ向う。後ろは九人、前は女連れの二人。

向かうならば前と判断したのであろう

それは間違いであった

清十郎に切り込んだ山賊たちは、あっと言う間に切り倒され、桐に向った奴らもバタバタと倒された

最後に残ったのは頭目だけであった

「み、見逃してくれ」

「何を今更」

「これまで取った銭、全部やる」

「今まで何人殺めた」

「殺めたのは少ない。三十人ばかりだ」

「塒(ねぐら)はどこだ」

「この山の上にある炭焼小屋だ」

「そこに有り金があるのか」

「ある。頼む見逃してくれ」

清十郎は兎ノ助に合図した

弓矢が頭目の後頭部に刺さった

「兎ノ助、宿場役人を呼んでくれ」

「承知」

四半刻後、宿場役人を連れた兎ノ助が戻ってきた

「山賊を仕留めたとは真か」

「ご覧の通り」

十五人の亡骸が街道に横たわっていた

「そなた何者であるか」

「見ての通りの浪人者 と言っても信じないか」

「ふざけては困る、浪人者が弓矢を持って旅をするものか」

「それはそうじゃの」

「重ねて聞く、何者じゃ」

清十郎は懐から書付を出し、役人に見せた

「ん、え、大目付伊豆守さまの配下か」

「そういうことでの、大目付は道中奉行を兼帯しておる。五街道に巣食う不埒者を退治するのも職責じゃからの」

「さ、左様か」

「こ奴らが奪った金品は山の上にある炭焼小屋にあるそうじゃ」

「そ、そうであるか」

「後は頼んだ。先を急ぐでな」

後ろで見守っていた商人たちも安心して峠道を急ぎ歩き出した。


五日目の夕刻 木曽福島宿に着いた

旅籠十四軒あるのだが、妙に静かである。

旅籠の前に客を呼び込む女中の姿も見えない。

「妙に静かだな」

清十郎がそう呟くと、兎ノ助が近くの酒屋に入った

「ごめんよ。酒をくれねぇか」

主と思われる老人が、慌てて奥から出てきた

「悪いが酒は出せねぇ」

「どうしてだい。いま福島宿に着いたばかりで喉が乾いてるんだ」

「すまねぇが、酒はねぇんだ」

兎ノ助は店を出た

「清十郎さま、酒屋で酒を断られました。何か事情があるようで」

「宿を取って探ってみるか」

近くの木曽屋という旅籠の暖簾を開け

「ごめん、宿を頼む」

奥から女中が出てきた

「生憎、部屋が詰まっておりまして」

「相部屋でも良いが」

「申し訳ございません、相部屋できるところも無いのです」

「左様か」

木曽屋を出た清十郎は、静か過ぎる宿場町を眺め

「何かおかしいの、仕方ない使いたくはなかったが、脇本陣へ行くか」

大目付伊豆守の配下である書付があれば、脇本陣には泊まれる

参勤交代で大名行列とかちあわない限り、本陣は使えなくとも脇本陣は使える


岩田屋江右衛門の脇本陣の門をくぐり、式台前に着いた清十郎が訪いを告げた

「どなたかおられるか」

奥から女中が出てきた

「それがし、幕府大目付伊豆守の配下 夏目清十郎と申す。一晩の宿を取りたい」

「少々お待ちください」

と奥へ下がった。間もなく主と思える老人が出てきた

「岩田屋江右衛門でございます。どうぞ、お上がりください」

「助かった。旅籠では断れての」

「左様でございましたか」

部屋に通され、江右衛門が尋ねる

「幕府大目付伊豆守さまのご家来衆とか」

「書付はここに」

「拝見いたします」

確かめた江右衛門は、満面の笑みで

「ようこそ、おいでくださいました。」

「江右衛門どの、ちと尋ねたいのだが」

「何でございましょう」

「宿場がの、妙に静かではないか。活気が見られぬし、酒屋で酒を断るというのも不可思議であろう」

江右衛門は、しばし答えに窮したが意を決したか語り始めた

「実は宿場外れの廃寺にやくざ者が住み着きまして、旅の者を博打に誘い金を巻き上げ、町に出てきては酒屋の酒を取り上げたり、旅籠で暴れ回ったりの嫌がらせが続いておりまして、旅籠は客を泊められず、酒屋は酒がない有様で」

「それはまた無法な、宿場役人はなにをしておるのか」

「一度捕縛へ向かったのですが、五人の役人のうち三人が切り死にし、残る二人も深手を負いまして、今は誰もおりませぬ」

「代官所から次の役人は送られて来ぬのか」

「はい、代官所にもお願いに参ったのですが、配下が手薄という理由で」

「なんということか」

隣で話を聞いていた兎ノ助が飯を食い終わったところで口を挟んだ

「清十郎さま、探って来ましょうか」

「配下を連れて探ってまいれ、そうじゃな、一人捕らえてこよ」

「承知」

江右衛門は事態が好転するかもしれぬと思ったか

「酒をお持ちしましょう」

と奥へ下がった


廃寺の門前には見張り役と思えるやくざ者が二人いた

「兄貴、今日はひまですね」

「少しばかり暴れ過ぎたかなぁ。旅の者も少なくなったしなぁ」

「酒でもかっぱらって来やしょうか」

「そうだな、親分には黙っておくから、権蔵、行ってこい」

「がってん」

権蔵と呼ばれた小者が街道に出て、宿場へ向ったところで、兎ノ助に会った。福島宿で旅籠に断られ、次の宿まで夜通し歩く旅の者と見たのであろう

「よう、そこの兄さん、遊んでいかねぇか」

「博打が打てるのか」

「おうよ。その先の寺でやっ」

と言い終える前に、鳩尾を打たれ倒れ込んだ。

兎組の配下に担がれて脇本陣へ連れて来られた権蔵は、縄で縛られ転がされていたが、気が付くと

「おい、ここはどこでぃ。俺を誰だと思っるんだ」

と喚き出した

清十郎が顔を見せ

「ぎゃぁぎゃぁ喚くな」

「なんだてめぇは。縄を解け。俺は福島の新蔵一家だぞ」

「ほう、親分は新蔵というのか」

「ただじゃ済まねぇぞ」

「喚くなと言っておる。お主、名は何と言う」

「権蔵だ。早く縄を解け」

「少し尋ねたいことがあっての。答えてくれたら解く」

「何でぇ」

「新蔵一家は何人おる」

「ニ十人だ。おめぇが向かって行っても勝てやしねぇねぇぞ」

「ほう、浪人者はおるか」

「それを聞いてどうする」

「いなければ仲間に入れてもらおうかと思っての」

「けっ、腕利きが五人もいるから、おめぇなんぞに用はねぇ」

「左様か、親分は何故福島宿に住み着いたか知っておるか」

「・・・」

「黙っておると縄は解けぬぞ」

「そんなことを聞いてどうする」

「他所にも仲間がいるのではないかと思っての」

「知るか。知ってても喋らねぇ」

「喋らぬか。仕方ない。兎ノ助、こいつの玉を潰せ。二度と女を抱けぬ体にしてやれ」

「承知」

刀を抜き権蔵の股間に刃を立てた

「ちょ、ちょっ、ちょっと待ってくれ」

「どうした、話す気になったか」

「・・・」

「潰して良いぞ」

「ま、待ってくれ。話す」

「他所にもいるだろう」

「五つ先の妻籠宿に仲間がいる」

「何人だ」

「十五人ばかし」

「そこにも浪人者がいるか」

「四人いる」

「他の宿場にはいないのか」

「いねぇ。妻籠宿だけだ」

「妻籠宿の塒はどこだ」

「お前なにもんだ」

「聞いたことに答えればいい。どこだ」

「飯田街道の追分を過ぎた百姓屋」

「よく話してくれたな」

「喋ったぞ、縄を解け」

「お主の話したことが真であるか分からぬうちは解けぬよ」

「てめぇ、騙したな」

清十郎は権蔵の首を打った。権蔵はまた気を失った。


廃寺では帰りの遅い権蔵に兄貴分の五郎蔵が苛ついていた

寺の中から新蔵が顔を出した

「五郎蔵、カモは通らねぇか」

「親分、さっぱりで」

「権蔵はどうした」

「あ、えーと・・・」

「どうした」

「そろそろ酒が無くなるころかなぁと思いやして、酒を取りに行かせました」

「酒はまだあるぜ、おめぇ、黙って酒喰らおうとしたな」

「す、すまねぇ親分」

「仕方のねぇ奴らだ、権蔵が行ってどのくらい経つ」

「かれこれ半時」

「遅ぇじゃねぇか。宿場で遊んでるじゃねぇだろうな。五郎蔵連れ戻してこい。ついでに女をかっさらって来い」

「へい」


宿場に入った五郎蔵は、酒屋を片っ端から当たったが、権蔵が寄った気配が無い。旅籠も覗いたが権蔵を見たものは居なかった。

「どこへ行きやがった」

流石に本陣、脇本陣に顔を出すのは憚るが、外から様子だけは見てみようと、岩田屋に近付いた時、背後から首を打たれて倒れ込んだ。


「組頭、権蔵の兄貴分がうろついていたんで捕らえました」

「確かに兄貴分だな。権蔵の帰りが遅いから見に来たか。清十郎さま、これからどうします」

しばし考えた清十郎は

「廃寺の周りに家はあるか」

「田畑だけです。北側に森がありますが離れております」

「岩田屋を呼んでくれ」

奥から岩田屋が出て来た

「何ぞ御用で」

「廃寺に巣食うダニ共を退治したい」

「それは・・・できますので」

「できる、が、策がいる」

「と、申しますと」

「廃寺に火を放つ。炙り出して打つ。周りに家が無いと聞いたでな」

「火を」

「荒療治だがな、やって良いかの」 

岩田屋は息を飲んだが、宿場の安寧を考えれば他に策は無いと思えた

「いつ、おやりになるので」

「今から、早いに越したことはない」

「分かりました、本陣と問屋場には私から申し上げます」

「よし、兎ノ助かかるぞ」

兎ノ助は配下に火矢の用意をさせ、廃寺に向った

廃寺では新蔵以下十八人が賭場で巻き上げた金子を前に酒を飲んでいた。

「新蔵よ、酒も良いが女も欲しいの」

「先生方、いま五郎蔵が宿場に行っております。直に女を連れて来ますよ」

「左様か、楽しみであるな」


兎ノ助一党が廃寺を囲み合図と共に火矢を放った

パチパチと燃える音と煙が廃寺を包み出した

酒で酔い潰れた手下は寝込んでいたが、浪人共は女を待ち侘びて起きていた。

煙の臭いに気が付いた浪人が、慌てて外に出た

「火事だ。起きろ」

庫裏の中に叫びながら皆を起こしにかかったのだが、起きたのは新蔵と浪人四人に手下八人であった。

「火を消せ。井戸から水を持ってこい」

慌てた手下が井戸に走る。

そこには兎ノ助一党が弓矢を持って待ち構えていた。

一斉に弦が放たれ、八人の手下は水を汲むことなく倒れた。


新蔵は火の手が上がる庫裏の中に銭があるのを思い出し、慌てて中へ入ろうとしたが

「新蔵、金は諦めろ、命が大事であろう」

と浪人に止められてしまった。

「なんで火事なんかに」

そこへ清十郎が姿を見せた

「なんだお前」

「すまぬな、火をつけたのはわしだ」

「なんだと。てめぇ何もんだ」

「地獄火の閻魔さまさ」

「ふざけるんじゃねぇ。先生方やっちまってください」

浪人五人が刀を抜き清十郎を囲んだ。

「酒に酔っておろう、切先が震えておるぞ」

「ぬかせ、串刺しにしてやる」

右手の浪人が上段から切り込んで来た

左に避けて下段から首に切先を入れた

隣にいた浪人が血飛沫を浴びた

「うわ」

と声を上げた刹那、その浪人も首を切られて倒れた

兎ノ助一党が背後から弓矢を放ち、残りの三人とも敢え無く倒れた

残るは新蔵一人

「酒に酔い潰れた手下六人は、廃寺の中で死んでおろう。金と一緒にな」

「てめぇ、役人か」

「そのようなものかの」

「しゃらくせぇ」

と発したと同時に逃げ出した

兎ノ助の弓矢が新蔵の背中に刺さった

廃寺は火に包まれ焼け落ちた

「清十郎さま、こいつらが博打で稼いだ金はここに」

「宿場へ待って行こう」

宿場外れの騒ぎとは言え、岩田屋が本陣と問屋場に事情を話していたので、銭函を持って帰って来た清十郎一行は歓迎された

「岩田屋、奴らが稼いだ銭がこの中にある。酒屋と旅籠に分けてくれぬか」 

「皆も喜びましょう」

「さて、寝るか」


翌朝、新蔵一家の仕置きの始末を代官所へ伝えるべく兎ノ助を走らせねばならなかった

一方、福島宿の騒ぎが妻籠宿に伝わるのを抑えたかったが、人の口に戸は立てられぬ。残党の動きを探らせるため、兎ノ助配下の小頭兎吉、兎兵衛を下忍共々妻籠宿へ走らせた。

先行した兎組小頭たちの後を追うように清十郎、桐が出立したのである


福島宿から妻籠宿までは十里余り

夕刻前には到着できた


兎吉たちが逗留した旅籠に目印の笠があった

島屋という旅籠に逗留したらしい

清十郎は敢えて島屋に宿を取らず、脇本陣 奥谷に訪いを告げた

「宿を頼みたい」

奥から女中が出て来た

「いらっしゃいませ」

「幕府大目付酒井伊豆守の配下 夏目清十郎と申す、一夜の宿を頼みたい」

そう聞いた女中は迷うことなく

「部屋は空いてございますゆえ、どうぞお通りください」

と部屋に通された。

夕餉の支度を頼み

「すまぬが、当主を呼んでもらえぬか」

奥へ下がった女中は、直ぐに当主らしき老人を連れてきた

「ようこそおいでくださいました。当主 林権左衛門でございます。何か御用とか」

「某、幕府大目付酒井伊豆守の配下、夏目清十郎と申す」

「ようこそおいでくださいました」

「実は、福島宿でな、宿場を食い物にしておったヤクザ者を退治してきたのだが、その仲間がこの妻籠宿にもいると聞いてな」

「それは、新蔵とか申すヤクザ者でございますか」

「左様」

「退治されたとは、討ち取られたので」

「大方はな、小物が二匹残ったが、代官所へ引き渡した」

「なんと、新蔵は亡くなったので」

「引っ捕らえようとしたがの、逃げようしたので、已む無くな」

驚きを隠せない林権左衛門は言葉を無くしたが、安堵というより、喜びの感情が大きかったのか、膝を震わせ泣き出してしまった。

「林殿、如何いたした」

「取り乱して申し訳けございません。二年ほど前から新蔵一味には泣かされておりまして」

「ここもそうであったか。その残党を仕置きしなければと、妻籠に来た次第」

「ありがとう存じます。ですが、その」

「なんじゃ」

「こう申しては失礼と存じますが、女連れのお二人で、残党狩りができますので」

桐と二人で逗留したのを訝しんだのも仕方ない

「この女はの剣の腕も、そこいらの侍には負けぬ腕前なのじゃよ」

「左様で」

まだ信じてはいない様子であった

「明日にでも残党を仕置きしたいと考えているのじゃが、この先の追分近くにある百姓屋を塒にしていると聞いたが真か」

「よくご存知で」

「新蔵の小者から聞いておるからの。十五人ほどおるのか」

「はい、昼間から悪さをしに宿場へ出て参ります」

「百姓屋の周りに家はあるか」

「逃散した百姓の肋屋でございまして、周りに家はございませぬ」

「残党は毎日宿場へ顔を出すのか」

「はい、酒や女を攫いに来ます」

「分かった、今宵はゆっくり休んで明日しのけるか」

そこへ兎ノ助が清十郎を尋ねて来た

「若、代官は喜んでおりました」

「さもあろう、配下の役人が切り死にした上に面目も潰れていたからの」

「残党狩りは明日で」

「今夜仕掛けようとも考えたがの、急ぎ旅で桐も疲れておるゆえな」

その言葉に桐が反応した

「清十郎さま、桐は疲れてはおりませぬ。いつでも御用を務められます」

とムキになって反論してきた

「桐よ、そう強がらぬとも良い。疲れが顔に出ておる。休む時は休むが肝要だぞ」

そう言われて、慌てて鏡を見た桐は、クマの出来た瞼や、疲れた顔を見て愕然とした。

清十郎の勧めもあって、湯を使いその夜は体を休めることにした


清十郎から指示を受けていた兎ノ助一党は、その夜から追分の先の百姓屋を監視していた

福島宿で新蔵が亡くなったことは、まだ知らぬらしい

百姓屋の中では酒盛りの最中であった


翌朝、まだ日が昇らぬうちに清十郎と桐は脇本陣を出た


百姓屋近くで監視している兎吉に近付き清十郎は様子を聞いた

「中に何人おる」

「十五人。ですが女が二人捕まっているようで」

「打ち込んで、女を人質にされると厄介だな」

暫し考えに更けた清十郎は

「桐、陽が上ったらの、旅人を装ってこの前を歩け」

「なるほど、私が奴らに捕まるのですね」

「左様、いたぶられる風を装って、捕らえられている女共を庇うようにな」

「承知しました」


陽が上がり旅人が街道を歩き始めた頃合い、桐も間を開けて歩き始めた

百姓屋の前を通った

見張り役の小者が桐に目を付けた

「そこの姉さんよ」

「な、何用ですか」

「ちょっと、付き合ってくれや」

と桐の腕を掴んだ

「は、離してください。誰か」


様子を見ていた兎ノ助は

「上手くいった」

と配下に手配りをし、百姓屋を囲んだ


百姓屋では桐をいたぶろうと、浪人者が卑しい笑いをしながら迫っていた

桐は、倒れている女を背に庇うように下った。

浪人者が桐に覆いかぶさろうとした時、桐は袖口に隠した棒手裏剣を出し、いたぶられる風を見せながら浪人の口を抑え喉を突き刺した

「うぐっ」

と倒れ込んだが、桐はそのままの格好で

「やめてください。離して」

と演技を続ける


その時、清十郎が戸板を開けた

「なんだ、お前」

「ここに、新蔵の仲間がいると聞いてな」

「親分から聞いたのか」

「そうだ、仲間に入れてもらおうと思うての」

「親分からそんな話は聞いてねえぞ」

百姓屋に上がりこみながら

「さもあろう、新蔵はあの世に行ってしもうたからの」

「なにぃ。てめぇなにもんだ」

浪人が刀を抜き、ヤクザ者は匕首を抜いた。

桐は乗っていた浪人を退かし、二人の女を連れ裏口へ出た

浪人の一人が切り込んで来た

清十郎は刀を抜きざまに首をはねた

二人の浪人が清十郎を囲むように左右に分かれ、一度に掛かってきたが、清十郎の剣先が伸び、右手から来た浪人の首を切り、体を流し左手から来た浪人の背に刃を入れた


残るヤクザ者たちは、清十郎の剣捌きに恐れをなしたか、逃げようと戸口に向かったが、兎ノ助一党が待ち構えていた。

「くそっ、これまでか」

ヤクザ者は縄を掛けられ、土間に転がされたままである

兎ノ助が代官所へ急いだ

「お主ら、博打やゆすりで稼いだ金はどこに隠してある」

「けっ、俺達の上前を跳ねようって魂胆か」

「お主らに泣かされた町の者に返そうと思うての、家探しは面倒であろう」

「知るか」

「そうか、代官所へ引渡せば島送り程度と思うておろう。わしとしては、三人切ろうが四人切ろうが変わらぬからの、喋らぬなら死んでもらう」

「ちょ、ちょっと、冗談じゃねぇぜ」

「どうした、喋る気になったか」

「くそっ、囲炉裏横の床板の下だ」

兎吉が床板を外してみると、床下に銭の入った瓶があった

兎吉を使って、代官所の役人が来る前に瓶を持って脇本陣へ持って行かせ

清十郎たちは代官所の役人を待った


半時を過ぎた頃、兎ノ助が役人を連れてきた

「幕府大目付様の配下とは真か」

書付を出して見せると納得したのか、縛って転がしていたヤクザ者を引き立てて行った


宿場へ戻ると脇本陣 奥谷の当主が駆け寄り

「誠にもって、お礼の言い様がございませぬ。これで宿場も賑わいを戻しましょう」

「銭の入った瓶は受け取ったかの」

「はい、これをどうしろと」

「迷惑を被った酒屋と旅籠に分けてやれ」

「承知しました。今宵もうちにお泊りくださいませ」

「いや、予定より遅れておるでの、これより出立する」


昼を過ぎてしまったが、清十郎一行は先を急いだ。


江戸を出て十日目、予定より二日遅れて三条大橋へ着いた

丹波篠山へは後四十数里。一日で着く距離ではある。

清十郎は懐かしい町並みを眺めながら

「兎ノ助、桐を連れて先に篠山へ向かってくれ」

「清十郎さまはどうなさるので」

「昔、修行した林崎道場を尋ねてみようと思うての」

「承知しました。篠山での動きは如何いたしましょう」

「喜蔵の店で落ち合い城代家老 今井三左衛門の屋敷に潜入し、寝間の天井裏か、床下で探るよう伝えてある故、皆と協力してくれ。くれぐれも危ういことはせぬように」

「承知しました。では」


京 堀川、因州屋敷近くに林崎道場はあった。中条流、念流などと並び京八流と言われる鞍馬流の道場である

「ごめん」

訪いを告げると門弟が出て来た

「何用かの」

「某、昔この道場で修行していた夏目清十郎と申す。林崎先生にお取り次願いたい」

その声を聞いて奥から出て来たのは、師範代 山中庄三郎であった

「これはまた、懐かしい顔を見た。四年ぶりか、上がれ先生もおられる」


道場奥の見所には髪に白いものが増えたようだが、威厳のある姿を認めた

「先生、お久しゅうございます」

「なんと、清十郎か、懐かしいのぅ。京にはいつ着いた」

「先程到着し、その足で伺いました」

「もしや、父上の御用でか」

「はい」

「そうか、ならば長く引き留めはできぬな。奥で茶なと進ぜよう」

奥の客間に通され、娘のお侑が茶と菓子を持ってきた

「お侑、懐かしいであろう、清十郎じゃ」

「なんとまぁ、お懐かしい。一層逞しくおなりになられて」

「京を出たのが十六の歳でございました故、少しは大人になりもうした」


道場では清十郎を知らぬ門弟が師範代に尋ねた

「あの方は昔ここで修行を」

「十三の歳に、ここへ来てな。変わった剣術を身につけておったが、基本は出来ておった」

「何年修行を」

「三年であったがな、その三年で免許皆伝を授かったものよ。お主ら想像できまい」

「たった三年で・・・」

「今は江戸の間宮道場で無外流を学んでいると聞いておる」

「一度、教えを請いたいもので」

「恐らく、此度は無理であろう。御用の帰りにでも寄ってくれればな」


奥から出て来た清十郎は、師範代に挨拶をして、道場を離れた


ちと時を過ぎたか、夜通しで歩くか、そう独り言を呟きながら篠山路を急いだ


丹波篠山藩五万石の城下町

町外れの仕舞屋風の店が喜蔵の塒である。主に農具の鍬や鎌を作る鍛冶屋として営んでいた

「ごめん」

「清十郎さま、ようお越しで」

「喜蔵も息災のようじゃの。子組たちは探索に出ているのか」

「はい。大まかなことは判明したようで」

「では、帰りを待つかの。夜通し歩いて来たで、少し横になる。帰って来たら起こしてくれ」


昼前、子組、巳組、牛組、午組、竜組に兎組の組頭と小頭一人 合せて十ニ人と桐が帰って来た

それぞれが潜入、見張りを分担し、此度は遺漏の無きよう細部に渡って探索していた。


物音に気付いた清十郎が起きてきた

「皆のもの、ご苦労である。して探索の結果を聞こうか」

子之助が口火を切った

「大狸はやはり城代家老でした。先導役の目付役が亡くなって、勘定奉行を取り込もうとしておりますが、勘定奉行は松丸君派のようで」

「他の重役で家老派はいないのか」

「七日目ですが、現れておりませぬ」

「あと五日調べてくれ、念には念を入れたい」

「承知」

「喜蔵、今井三左衛門と仲の良い重役を知らぬか」

「さようですな、亡くなった目付役以外となると・・・中老 山崎庄左衛門あたりかと」

「子之助、家老宅に山崎は現れておらぬか」

「はい、今のところは」

清十郎は暫し黙考した

「喜蔵は、山崎という男、どのように見る」

「中老という重役で、藩内の物産方をやっておりますが、賄賂などは一切受取らない堅物と聞いております」

「謹厳実直か。よく今井という狸と馬が合うな」

「上役にへつらう訳ではなく、藩内の融和を第一に考えておられるようで、敵を作らぬ御仁で」

「なるほどのう。では、わしが山崎の屋敷に忍びこもう」

「探りを入れるので」

「いや、直接会ってみる。今井の監視は怠らぬようにな」

「承知しました」


その夜、山崎の屋敷に潜り込んだ清十郎は、山崎が寝間に入った頃合いを見て声をかけた

「山崎殿」

襖の裏から声がした

「ん、何奴か」

「お静かに、某、丹波守殿の命を受けて参上した者でごさる」

「なに、殿の。それは真か」

「真でござる」

「ならば姿を見せよ」

清十郎は天井裏からすらりと降り立った

「なんと、天井裏に潜んでおったのか」

「殿の命とは真であろうな」

「はい」

「我が藩に忍びは飼うておらぬはずだが、お主は何者であるか」

清十郎は懐から書付を出し見せた

「な、なに。大目付伊豆守さまの配下か」

「左様」

「大目付さまに我が藩の騒動が露見したということか、ならば生かして帰す訳には参らぬ」

「お待ちくだされ。先程、丹波守さまの命とお伝えしましたが」

「どういうことだ」

「丹波守さまが、お家騒動に苦悩され、我が父伊豆守へ内々に相談されたのでござる」

「殿が大目付さまに相談を。待て、今伊豆守さまを我が父ともうしたか」

「左様、伊豆守の倅でござる」

「なんと・・・それで殿からの命は」

清十郎は相手が、謹厳実直であるならば、単刀直入がよかろうと考えたが、暗殺のことは伏せた

「藩を二分する狸を炙りだせと、後の処置は丹波守さまが決められることで」

「それで、わしに会いに来た用向きは」

「山崎殿には城代家老からの誘いはござらぬので」

「それとなくは、な。わしがどちらをとは表明しておらぬゆえ」

「ならば好都合、城代家老から誘いがありましたら、竹丸君に与する者を探って頂きたい」

「分かった、で、判明したらどう伝えれば良い」

清十郎は一枚の御札を出した

「これを門の横に貼ってくだされ」

「これは」

「火事除けのまじない札でござる。門前に貼っても誰も怪しませぬ」

「分かった」

清十郎は天井裏へ消えた


翌日から、今井家と山崎家に分かれて潜入した。

判明したら、また現れるとは言ったものの、山崎が正直に話すとは限らない


それから三日目のことであった

中老 山崎庄左衛門の家に今井がお忍びでやって来た

「これは、ご家老さま、急なお越し何かございましたか」

「いやなに、城内では込み入った話もできぬ。今宵はちと相談があっての」

「相談とは」

「うん、他ならぬ竹丸君のことよ」

「その話でございますか、殿は松丸君をお世継にとお決めになられたのでは」

「まだ決まった訳ではない。松丸君は病弱ゆえ、行末が不安であろう」

「近頃は病も良くなって、すくすくとお育ち遊ばれてると聞いておりますが」

「にしてもだ、またいつ病に倒れるやもしれぬではないか」

「はぁ・・・そこまで竹丸君に拘られるのは、何かございますので」

「わしとしては、竹丸君をお世継にして、佐々木家の安泰を考えておるのだ」

「さようで」

「そこで、お主にも竹丸君を推して欲しいのだよ」

「・・・」

「どうじゃ」

「ご家老、某、妙な噂を聞いたことがございまして」

「妙なとは」

「お万の方さまが、ご家老のお手付きであったとか」

「な、何を申すのじゃ。誰がそのような世迷言を」

「それ故、竹丸君は殿のお子ではなく」

「たわけもの、そのような事あるわけがない」

「あまりにも竹丸君を推されると、要らぬ誤解を生むものですぞ」

「もう良い、お主は話が分かる奴だと思っておったが、山崎家は中老のままで良いのだな」

「それはどういう意味でございますか」

「竹丸君がご主君になられた暁には、ご加増もあるというのに、誠に残念じゃ」

「加増がありますので」

「当たり前じゃ」

「・・・」

「どうじゃ考えは変わったか」

「されど、我々だけが押しても」

「他にもおる」

「重臣の半数以上はおりませぬと、殿の気持ちを変えることは難しいと存じますが」

「そこは心配ない」

「と言われますと」

「番頭、町奉行、郡奉行は押さえておる。勘定奉行はまだだがの」

「ほう、半数近くも」

「これにお主が加われば、どうじゃ、殿も心変わりされよう」

「なるほど、分かり申した。しかし、まだ数が足りませぬ」

「おお、分かってくれたか。安堵した。これから勘定奉行や右筆どもを取り込まねばな、では帰る」


番頭、町奉行に郡奉行か、佐山と多田野は分かるが、東山は狸に弱みを掴まれたのかのう

と独り言を呟きながら

「誰がある」

用人が顔を出した

「この札をな、門の端に貼ってくれ」

「何の御札で」

「火事除けのまじないじゃ」

用人は門へ向った


翌日の夜、山崎の寝間で

「山崎殿」

「現れたか、出て参れ」

「狸の群れが判明したようで」

「うむ、町奉行、郡奉行に番頭じゃ」

「なるほど、その三名はどのようなお方で」

「町奉行 東山大膳は実直な奴での、まさか城代家老に与するとは思えなんだ」

「他の二名は」

「郡奉行 佐山と番頭 多田野は確かに腹黒い。出世欲も強いな」

「分かり申した。この事、丹波守様へお伝え申す」

「江戸に戻るのか」

「丹波守様も気にしておいでで、事が広がる前に急ぎませぬとな」

「左様、であるな」


清十郎一党は帰る事なく、その夜から三名の屋敷を監視し始めた

兎ノ助一党には、事の次第を書状にし、父伊豆守の元へ走らせた

「兎ノ助、馬を使って良い。六日で帰って参れ」

「承知」


「若、四名ともやりますので」

「いや、町奉行はやらぬ。人が増えたでの、丹波守の意向を確認してからじゃ」

「それでは、今宵から三名の屋敷に潜ります」


それより三日後、伊豆守の屋敷に兎ノ助の姿があった

「篠山の様子が分かったか」

「はっ、詳細はこの書状に」

読み終えた伊豆守は急ぎ支度をなし、丹波守の屋敷に出向いた


「これは伊豆殿、火急の用向きとか」

「はい、篠山へ向かわせました倅から書状が届きましての」

「おお、これは相済まぬ。それで」

「大狸に与する子狸がおったようで、その者たちの処遇をどうすべきかと、尋ねて来ましてな」

「与する者がおりましたか。して、その者の名は」

「番頭、多田野と郡奉行、佐山。他に町奉行の東山も」

「なんと。東山は実直で信頼しておったのだが」

「その東山ですがの、倅が言うには何か弱みを掴まれて已む無くとの様子」

「さもあろう。あ奴は信頼に足りる人物と思って町奉行にしたのでござる」

「さて、如何されますかな。倅に返答せねばなりませぬ」

「今井は勿論のことではあるが、東山は見逃してやりたい」

「では、三名でよろしいですかの」

「お頼み申す」

苦渋の思いで丹波守は頭を下げた


伊豆守は急ぎ書状を認め兎ノ助に持たせた

六日目の朝、兎ノ助が戻り

「若、殿様からの書状で」

受け取った清十郎は、読み終えると、子之助、牛蔵を番頭多田野屋敷へ、巳之助、竜蔵を郡奉行佐山屋敷へ向かわせ、前と同様、薬にての暗殺を命じた

清十郎は兎ノ助とその配下を連れて今井屋敷へ


「兎ノ助、今井屋敷は大きい。頃合いを見て眠り香を炊け」

兎ノ助と配下は、屋敷の床下へ潜り込み、十箇所ぼどに眠り香を準備した

眠り香は、さほど匂いもなく、屋敷全体に漂っていった


今井三左衛門はいつもの様に寝間に入った。香が漂い深い眠りについた頃、清十郎は天井裏の三左衛門が顔の辺りの板を開け、するすると糸を垂らした

三左衛門の口元に糸が届くと、トリカブトの根から取った毒を数滴ずつ垂らした


唇に一滴ずつ、寝ている人の唇に液体を垂らすと、思わず舐めてしまう

じっくり、十数滴垂らしたところで糸を上げた

天井板の隙間を少しにして様子を見ると、カッと目を見開き胸を押さえながら苦しみ出した


寝間の様子に異変が起きたと感じた用人が、襖の外から声を掛ける

「殿様、如何なされました」

苦しむ声を聞いて慌てて中へ入り、布団の三左衛門に近付いた

「殿様、殿様。如何なされました」

胸を押さえながら苦しんだが、その後、事切れた様子が見て取れた


「誰か、医者を呼べ」

屋敷中が慌ただしくなり、四半時後 お抱え医師であろう人物が到着し、脈を見るも

「誠に残念ながら、ご臨終でございます」

と告げた

清十郎はそっと天井板を戻し、慌ただしくなった今井屋敷を後にした


多田野屋敷と佐山屋敷へ向った配下も既に喜蔵の店に戻っていた

「二人とも首尾は」

「上々で、医師が来て亡くなったのを見届けました」

「よし、長居は無用じゃ。喜蔵、世話になった。陽が昇れば騒ぎも大きくなろう。異変が起きたら知らせよ」

闇夜の中、清十郎と干支組は江戸向けて走り去った。

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