第2話 秘剣鬼刺し

秘剣鬼刺し


秋の兆しか虫の音が響く

日本橋伊勢屋一帯の屋根にはニ十の影が揺れていた。

新月の暗闇で町家の通りも見えない。

深夜八ツ半になる頃、通りにささっと足音が聞こえてきた

西側丹波屋の屋根に陣取る牛蔵は夜目が効く。

十人あまりか黒装束の集団が近寄ってきた。

牛蔵が干支笛を吹く。忍びにしか聴こえない笛である。

東西十丁に散らばっていた干支組に緊張が走る。

集団は丹波屋の前で止まった。一人が戸口にかがみ、油であろうか流し込んでいる。

牛蔵の笛が再び鳴った。干支組が丹波屋周辺に静かに集まる。

油を差し込んだ一人が、戸口の下に鉄状の物を差し込み音を立てずに開けようとしている。

牛蔵が合図した。

干支組ニ十人が集団を囲むように降り立つ。

戸口を開けようとしたところで、静かに寄った干支組が襲いかかる。

「ぐっ」

「なにやつ」

頭目らしい男が通りを振り返ると、既に囲まれていた。

「なんだおまえら、町方か」

その問いには答えず、次々と倒されていく。

全ての盗賊を仕留めるのに四半時もかからなかった。

捕縛された状態で通りに寝かされた盗賊を前にして、牛蔵が手下の牛松に目配せした

「番屋へ走れ」

半時後、定町廻り同心と岡っ引き、捕り方が慌てて走ってきた。

「これは、どうしたことだ」

「我らここ一帯の大店に頼まれて、用心棒をしている者。盗賊が入ろうとしたため捕えただけ。お渡しする」

と答え、引き上げていった。

「ま、待て。なんだあいつら」

提灯を寝ている賊に近づけ顔を確認した岡っ引きの文太は驚きの声で

「山田の旦那、こいつら根岸の市蔵一味ですぜ」

「なに、根岸の市蔵だと。しょっ引いて番所に連れていけ」

「へい、しかし何なんですかね、あいつら」

「明日にでも丹波屋へ聞くしかねぇだろ」


翌朝、丹波屋には同心の山田慎之介の姿があった

「丹波屋、昨夜ここに盗賊が入ろうとしたんだが」

「そりゃ、まことで」

「ああ、入ろうとしたとこに、お前さん方から雇われた用心棒とやらが捕まえてな。番所へつなぎが来たってとこだ」

「そうでしたか、夏目さまのご一党が捕まえてくれたんですねぇ」

「夏目の一党、そりゃ何者だ」

「伊勢屋さんから話がきましてね、伊勢屋の裏手に住んでいるお侍が、ここ一帯を守ってくださると。それでその話に乗ったんですが、被害に会わず良かった良かった」

「伊勢屋に聞けばわかるな、その夏目とかいう侍は」

「はい」


「ごめんよ、伊勢屋の旦那はいるかい」

山田同心に気付いた番頭の吉蔵は

「これは山田様、何か御用で」

「番頭でいいか、昨夜な丹波屋に賊が入ろうとしたとこに、ここ一帯の用心棒とかいう奴らが賊を捕まえてよ」

「ほう、捕らえましたか」

「捕らえたのは良いんだが、あいつら何者だ。丹波屋曰くここの裏手に住む夏目とかいう侍の一党らしいが」

「はぁ、夏目様のことで」

「おう、浪人者か」

「いえいえ、歴とした旗本のご子息でございますよ」

「旗本の倅だと。何でまた旗本の倅が商家の用心棒をやるんでぃ」

「これには訳がございまして」

「どういう訳だ。聞かせてもらおうか」


「夏目様は大目付 酒井伊豆守様のご次男で」

「はぁ、大目付の次男坊だと。名前が違うじゃねぇか」

「はい、夏目様はご側室の子でしてね、生まれてすぐ母親が亡くなり、ご正室に育てられたのですが、大きくなるにつれて、そりが合わなくなったとか。そこで父上の伊豆守さまが、裏手の屋敷を買われて、夏目様に与えたのでございますよ。家を出たのを潮に名を母方の姓に変えられたとか」

「ふーん、そいつが何故用心棒に」

「これは手前どもからのお願いでございましてね、近頃、盗賊が増えているようで、商家としても自衛の策を考えねばなりませぬ。浪人者を雇っても賊をみて逃げる輩もいたそうで、夏目様に相談したところ、ここ一帯をまとめて面倒みていただけることになりました」

「夏目は分かったが、あの集団は何者だ」

「あれは夏目様の家人ですよ。なんでも忍びだとか。これで手前どもも枕を高くして寝られます」


大目付の次男坊かよ。下手に手を出すとこっちの首が飛ぶな とぶつぶつ言いながら裏手の屋敷に着いた

「ごめんよ」

「はい」

楓が出迎えた。町方と分かる格好だった

「おう、すまねぇが夏目さんはいるかい」

「若はいま道場に行っておりますが」

「どこの道場だい」

「蔵前の間宮道場ですが」

「間宮道場。無外流の門弟がニ百を超えるとかいう、あの道場かえ」

「はい、帰りは夕刻ころだと思います」

「そうか、仕方ねぇな、また来る」


引上げながら、岡っ引きの文太が、山田の袖を引き

「間宮道場といえば鬼が住むって噂ですぜ」

「鬼。なんだそりゃ」

「相当強い侍がいるそうで、鬼みたいな。道場破りが来る度に鬼にやられてしまうとか」

「そりゃ怖えな」と笑ったが目は笑っていなかった。


浅草蔵前の間宮道場から浅草橋を渡り千鳥橋から舟に乗った清十郎は、龍閑川を抜け神田橋で降り鎌倉河岸へと向った。

いつも手にしている鉄扇で煽ぎながら室町に差し掛かったとき、人だかりが見えた。

ぶつかって来たと因縁をかけられた商家の番頭風の男が、浪人にいたぶられていた。

「貴様、侍の刀にぶつかって来るとは良い度胸だの」

「いえ、当たってはおりませぬ。何かの間違いでございます」

「いいや、確かに当たった。なぁ坂崎氏」

「おう、見ていたぞ」

「当たってはおりませぬが、何卒お許し願えませぬか」

「武士の魂を足げにしたも同然。そこに直れ首をはねてやる」

「ひぇ、ご勘弁を」

野次馬がひそひそ悪口を言っていた

「あの浪人、これで何度目だ。ああやって金をせびるんだから始末に終えねぇ。町方はどうした」

江戸八百八町は広く、町方同心の数は足りていない。


野次馬をかき分けて前に出た清十郎は、土下座している商人に声をかけた

「そこの番頭よ、帰って良いぞ」

すると浪人組が居切立った

「貴様、邪魔だてするとは良い度胸だ。ただでは済まんぞ」

矛先が清十郎に向かったところで番頭風の男はじりじりと後ろに下がった

「弱い者いじめで金をせびるのか」

「なにぃ、その言い草許せん」と刀を抜いた

「ほぅ、竹みつではないのだな」

「愚弄するのもいい加減にしろ、刀を抜け」

「抜くまでもなかろう、この扇で十分」

「ぬかしたな」

と言うや切り掛かってきた

顔面に振り下ろされた刃を鉄扇でかわし、浪人の肩口に扇が刺さった

「ぐわっ」

「上川、大丈夫か」

右肩を抑えながら倒れ込んだ浪人をかばいながら、坂崎某も切り掛かってきたのだが、頭を打たれ昏倒してしまった。

野次馬からは、やんやの拍手

「誰か町方を呼んでくれ」

清十郎はそう言い残すと、帰路についた。


「お侍さま、お待ちください」

先程絡まれていた番頭風の商人がついてくる

「ん、なんじゃ」

「危ないところをお助けいただき、ありがとうございました、手前、永富町にある呉服問屋 山形屋の番頭茂吉と申します」

「さようか、難儀におうたな」

「お名前をお聞かせ願えませぬか。このままでは帰れませぬ」

「気にするな」

「そうはいきませぬ、是非ともお聞かせ下さい」

執拗に追いかけて来るのに閉口したか

「夏目清十郎だ」

「夏目さま、どちらにお住まいで」

「日本橋通り一丁目あたりじゃ」

「わかりました、お呼び止めして申し訳ございません」

茂吉が納得して離れた


屋敷に戻ると楓が待っていた。

「おかえりなさいませ」

「腹が減ったの、何かあるか」

「すぐに用意します。昼前に町方が訪ねて参りました。夕刻また来るかと」

「町方、昨夜のことかのう」

「おそらく」

「なんぞ聞きたいことでもあるのだろうよ。来たら通せ。飯を食ったら少し横になる」


暮六つの鐘が鳴った

その音で目が覚めた清十郎は、空腹を覚えた

「楓、腹が減った」

「用意しております。が、お客様です」

「町方が来たのか」

寝惚けた顔で書院に行くと、同心と分かる粋な格好の侍が待っていた

「お待たせしたかな」

山田慎之介は、清十郎の六尺を有に超えた体躯に驚きながらも顔は幼く感じた。なんだ意外と若えな、年下か。

「寝てるとこ起こしちまったら悪いと思ってね」

「そりゃすまなかった。さて、何用ですかの」

「昨夜のことだ。お宅の家人が盗賊を捕まえてよ。こっちとしちゃ助かる事だが、奉行所としては事の次第を確認しなきゃならないんでね。二、三尋ねておきたい」

「何でも聞いてくれ。じゃが、そなたの名も聞いておらぬ」

「おぅ、こりゃ失敬、山田慎之介と申す」

「山田殿な」

「まず、伊勢屋に聞いたんたが、ここ一帯の用心棒をやってるのは何故だい」

「頼まれたからだ」

「頼まれたというのは聞いた。どういう経緯で頼まれたのか聞きたい」

「経緯ねぇ。近頃はどこの商家も盗賊に怯えているな。蔵前の大店がやられて、用心棒に浪人者を雇ったは良いが、いざという時逃げ出す輩もいるとか」

「腕もねぇのに威勢だけは良い浪人も多いからなぁ」

「浪人者の用心棒があてにならない。南北町奉行所の町方は、合わせて三十人足らず。これでは盗賊にとって、やりたい放題になるからの」

「町方が足らねぇのは仕方ねぇな。数が決まってるからよ。増やす訳にも行かねぇらしい」

「伊勢屋からどうすれば良いか相談があっての。我々で伊勢屋だけ守るのは容易いが、それでは並の用心棒であろう、いっその事ここら一帯の面倒をみようかとなった訳だ」

「頭数は」

「ニ十人」

「そいつらが毎夜寝ずの番かい」

「そうだ」

「いくらで受けた」

「金の話は伊勢屋に聞いてくれ」

屋敷の奥から木太刀の叩き合いの音が聞こえた

「奥に道場でもあるのか」

「ああ、小さいがな。日頃の鍛錬も必要でな、他に聞きたいことは」

「家人は忍びか」

「昔からの、親父の酒井家に仕えておる」

「大目付酒井伊豆守は真か」

「さよう」

「ならば、家人は酒井家に住むのが仕来りじゃねぇのか」

「私もな、時折父の御用を手伝っておる。家人も同行することが多いで、一緒に住んでいる方が都合が良いのさ。じゃが全員ではない」

大目付の御用を手伝っておるのであれば、これ以上詮索する訳にもいかない。

慎之介は詮索を諦めた。

「他に聞きたいことは」

「いや、もういい」

「そうか、ならば腹が減っておるで失礼する」

と清十郎が立ち上がった

慎之介も立ち上がり玄関に向かおうとしたが

「もう一つ、ここら一帯がお主ら用心棒で狙いにくいと盗賊たちに知れたら、他の町が狙われることになる」

「そうかもな」

「そうなったらどうする」

「そんなことは知らねぇよ。おめえさん方町奉行所が考えることだ」

それはそうだと自分が言ったことを後悔した。町方が不甲斐ないから盗賊が増える。なにか尻を叩かれたような気がした。

夏目家を出て、再び伊勢屋を訪ねた

暖簾をかき分け店を覗くと番頭がいない。

「番頭はいねぇのかい」

手代が対応に出てきた

「はい、いま出かけております」

「伊勢屋の旦那はいるかい」

「奥におります、御用の筋ですよね、聞いてまいります」

と奥に消えていったが、すぐに戻ると「どうぞ奥に」

と通された

「これは山田様、何か御用の筋とか」

「ああ、夏目の件だ」

いま夏目家に寄って色々聞いてきたことを伝えた

「それでな、用心棒代を聞こうと思ってな」

「用心棒代ですか、月にニ百両でございます」

「ニ百両だと。そりゃ高えな」

「てまえも相談しました時は、高いな思いましたが、大店十五軒がそれぞれ二人の用心棒を雇いますと月に十五両かかります。十五軒合わせますとニ百ニ十五両。それより安いと言われましてね、納得した次第です」

「夏目という男、算術もできるんかねぇ。十五軒が二人雇えば三十人。あいつらはニ十人だぜ。一人頭じゃあいつらの方が高ぇ」

「確かにそうですが、昨夜の捕物を考えますと決して高くはないかと存じます」

「枕を高くして寝れる。そのお代としちゃ安いものか」

月にニ百両とは凄い稼ぎだ。夏目という男。頭も良いらしい。

八丁堀を過ぎて南町奉行所に戻った慎之介は、すぐに年番方与力 原田助左衛門に呼び止められた。

「慎之介、昨夜の捕物の訳を聞こうか」

自分の手柄でもない捕物の訳を話すのは億劫であったが、仔細は伝えねばならない。

日本橋伊勢屋に行き、夏目清十郎という男と話した内容を伝えた。

「大目付の倅が用心棒か」

「まったく妙な話で」

「お奉行も下城されておる。話をしてみよう」

南町奉行 安倍上総守忠盛 石高千五百石であった

「お奉行、いまよろしいですか」

「何事か」

「昨夜の丹波屋の件で」

「おお、手柄であったな。仔細を聞こう」

手柄と言われて躊躇したが、事実は伝えねばならない

「実は昨夜の捕物ですが、同心の手柄ではございませぬ」

「どういうことだ」

原田は慎之介から聞いた仔細を説明した。安倍上総守は話を聞いて呆れてしもうた。

「旗本の倅が用心棒をしておると言うのか」

「はい」

「それは誰じゃ。どこの旗本じゃ」

「大目付 酒井伊豆守さまで」

「なに、伊豆守殿の次男坊か」

「ご存知で」

「ああ、良く知っておる。そうか清十郎が用心棒をのう」

と驚きの顔から笑い始めてしまった。

「お奉行、どのような関わりでごさいますか」

「伊豆守殿とはな、昔から昵懇の仲じゃ。お互い三河以来の旗本でご先祖様からの付き合いでの」

「左様で」

「わしが大阪奉行の頃、清十郎がまだ十三だったか、京の鞍馬流を学びたいと一人で大阪へ来寄った」

「十三で武者修行ですか」

「三つの頃より酒井家に伝わる干支流という武芸を学び、元服を機に家を出たのじゃよ」

「ご正室と折合いが悪かったとか」

「生母がすぐに亡くなったでな。嫡男松之助とは同じ日に産まれたのじゃが、正室の子が嫡男となった。しかし、松之助は武芸も四書五経もだめでの、母親が甘やかして育てたのか、見習い奉公をやらせても失態だらけで、あれではお役には就けまい」

「それはまた不甲斐ない嫡男ですな」

「伊豆守殿も頭が痛いところよ、ところで清十郎はどこに住んでおる」

「日本橋裏手の方に屋敷を構えております」

「左様か、一度連れてまいれ。昔話をしてみたい」


吉宗襲撃から七日後の尾張城下 尾張家付家老成瀬家の書院に重い空気が漂っていた。

「失敗しただと」

「面目次第もございません」

「相手は四十人ではなかったか。お主の手勢は五十人であったろう」

「寸でのところで邪魔が入りまして」

「邪魔とはなんだ」

「吉宗の籠に迫ったとき、背後から襲われました。弓で討たれた者ニ十人。手傷を負った者十五人にのぼります」

「半数以上がやられたのか。相手は何者じゃ」

「吉宗の籠に近寄った騎乗の若侍が名乗ったのを聞きましてござる。大目付 酒井伊豆守の配下 夏目清十郎と」

「なに、大目付配下とは、我々の企てが知れておったということか」

成瀬は苦渋の表情でキセルを叩き黙考した

「このことは、わしと御土居下組しか知らぬこと。どこかに間者が潜んでいたということじゃな」

「我らとしましても、配下の仇を打たねば気が済みませぬ。江戸への下向をお許しください」

「勝手にせよ。尾張家は知らぬこと」

そう突き放した。

御土居下組組頭 坂東左之助は平頭して下がった


大目付配下の干支組は諸藩の動静を探るため各地に拠点を構えていた

表向きは小間物屋や飾り職人など小商人を生業とし、同じ干支組の女子を娶り地域に馴染んでいた

尾張の見張りも、かつて子組にいた夫婦者三組が潜んでいた

元は三河の出である。方言にも困らない。

小間物屋に扮していた佐助は、御土居下組の動静を見ていた

動きがあったことを飾り職人に扮していた喜助に伝えた

「御土居下組に動きがある」

「また襲撃を企んでおるのか」

「いや、手勢も半減した、此度の狙いは違うと思う」

「早速、清十郎さまへ書状を送ろう」


秋空に赤とんぼが舞っていた

そろそろ新米が出る頃か 諸大名や旗本、御家人の年貢を金に変える札差も忙しくなる時節

清十郎の元へ尾張から書状が届いた

「尾張 佐助からの書状です」

清十郎が受け取り読み始めると、中身が気になるのか楓が落ち着かない

「御土居下組が江戸に向かったとある」

「また上様を襲撃でしょうか」

「上様は城内におられる。襲撃などできぬよ」

「では、此度の動きは」

黙考した清十郎は、あらゆる可能性を考えた

「此度の動き、もしや我らを狙ってかもしれぬ。先の上様襲撃を失敗したでの、腹いせか配下の仇討ちか、いずれにせよ江戸入り前に捕捉せねばな」

「品川あたりに潜伏させますか」

「うむ、二組、いや四組潜伏させよ、奴らの落ち着く場所を見定めるようにな。決して手を出すなと伝えろ」

「承知」


品川は江戸の入口といえる宿場町で、四街道への入口でもあった

遊女屋も多く、他の宿場町とは違う賑わいを見せていた


干支組三十六名は、品川宿に入る旅人を監視できるよう、ニ軒の旅籠の二階 通りに面した部屋を取り交代で見張った

残りの二組は街道外れの林に潜み通りを覗っている


品川に潜伏して三日目の夕刻、街道を急ぐ五人組がいた。この時刻、宿を取って明朝日本橋を目指すのが通例である

闇夜を江戸に向うことは滅多にない

さらにニ丁ほど離れて八人組が続いて行った

旅籠の二階から監視していた兎吉が

「あと何人くるかの」と呟いた

兎ノ助が顎を撫でながら

「先日の生き残りは十五人、手傷を負った者共が動けるようになっていれば、あと十五人。合せて三十か」

「我らの刀には毒を塗っておるゆえ、手傷を負った者共はくたばっていよう」

「此度は手練を繰り出して来るであろうからニ十ぐらいかのう」

「さて、どうするか。次の者達を付けるか」

「兎ノ助、竜蔵に繋ぎを出してくれ、我らは次をつけると」

「承知」


品川宿の外れ、田畑と林が広がる街道に潜んでいた午三郎たちは、先を急ぐ五人を認め、その後八人、七人を確認した。

ニ丁ほど離れて付けてくる兎吉一行を見た午三郎は、そのままやり過ごし、その後に来た竜蔵一行に合流した

竜蔵が午三郎に聞く

「何人だ」

「ニ十」

「我らの後は猿ノ助が付ける、やつらの塒を突き止めようぞ」


日本橋に着いた御土居下一行は深川方面へ折れ、本所を過ぎ富岡八幡宮の裏手にある尾張家下屋敷に消えて行った


「尾張家下屋敷か、尾張家も承知のことかの」

竜蔵が呟やくのを兎ノ助が頷いた

「清十郎さまに伝えてくれ、我らが張る」


兎ノ助が日本橋裏手の屋敷に着いた

「清十郎さま、御土居下一行はニ十人、深川の尾張家下屋敷に入りました」 

「下屋敷。尾張公承知のことかの。下屋敷ということは知らぬことかもしれぬな」

「如何なさいますか、竜蔵組頭たちが見張っております」

「下屋敷と言えども尾張家藩内。出て来ずば打てぬな。暫く様子を見るか。交代で見張れ」

「はっ」


尾張家下屋敷の右手に長屋があった

下級武士が住まいとする長屋だが、下屋敷とあって屋敷番の老夫婦しかいない

そこに御土居下組組頭 坂東左之助と配下の十九名が揃った

坂東は苦虫をかみ潰した顔で

「よいか、此度は先日の仇討ちと思え、大目付 酒井伊豆守の屋敷を張るのだ」

「見張り所が必要ですな」

「明日、屋敷の周りを探せ。この前の忍びと思しき奴らが出てきても手出しは無用」

「まずは動静を探るのですな」

「左様、それまで体を休めておけ」


清十郎は考えた。敵はどこを狙う。まずは父の屋敷に監視を置くであろう。

ならば父上に相談してみるか。

清十郎は駿河台にある実家を訪ねた

「これは清十郎さま。何か急用でも」

出迎えたのは用人頭の寅之助であった

「父上はご在宅か」

「はい、どうぞお通りください」

書院へ通る途中で、妹の萩に会った

「兄上、お久しうございます。たまには顔をお出しください」

「萩か、いくつになった」

「十六になりました」

「ほう、そろそろ嫁入りだの、嫁ぎ先は決まっておるのか」

「まだ嫁ぐ気はございませぬ」

清十郎は笑って返した

「父上に用事がある、また後でな」


書院で書物をしていた伊豆守の元に清十郎がすっと入ってきた

「なんぞあったか、お主がここへ来るのは珍しいの」

「父上、御土居下組が江戸に入りました」

「なに、人数は」

「ニ十人、尾張家下屋敷におります」

「此度の狙いは何ぞ」

「恐らく私かと、上様襲撃失敗の恨みではないかと存じます」

「懲りぬやつらじゃの、して、どうする」

「あ奴らはそれがしの住まいを知りませぬ。探るとすれば、この屋敷」

「であるな。明朝から見張られるかの」

「見張りもですが、登下城の際はお気をつけください、警護を増やして頂けると安心です」

「干支組を付けるか」

「干支組もですが、私をお付けください。籠持ち中間の風体で待ち受けます」


翌朝から伊豆守の屋敷に監視の目があった

が、動きはない。

清十郎は己が出てくるのを待っているのだろうと考えた

監視の目の周りには干支組を付けている

「頭目が出て来るのを待つしかないの」

相手が焦れるのを待つ。


監視が付いてから十日が経った

坂東左之助は焦った。もしや我々の動きが漏れているのか

これほど監視しても夏目が出てこない。

もしや、伊豆守の屋敷にはいないのか。

焦れた坂東は、下屋敷から出た。

伊豆守の屋敷に張り付く配下の元に行き、様子を聞いた

「頭領、夏目がいる気配がありませぬ。もしやすると、ここにはいないのでは」

「わしもそう思えてきた」

「如何なさいます」

四半時黙考した坂東は

「あ奴を引っ張り出すに、伊豆守の下城を襲う」

「なるほど、では明日の八ツ時」

「場所は人目のつかぬ先の火除地あたりか」

「では、監視を引上げさせます」


監視の影が消えた。明日にでも動きがあるはずと清十郎が干支組に伝えた

「私の姿が見えぬ以上、父上の下城を狙ってくるやもしれぬ」

「殿の下城を」

「襲うとすれば、どこじゃ」

「お屋敷の手前、火除地あたりかと」

「先回りしておけ、私はいつも通り籠持ち中間に扮して参る」

翌日、八ツ時、伊豆守が下城した。

川辺りを通り三番火除地を過ぎ、一番火除地に差し掛かった時、異変が起きた

伊豆守の籠に目掛けて御土居下組のニ十人が殺到して来た

後ろで差配しているのが頭目か


伊豆守の籠は慌てる風を見せ

「何者だ、大目付酒井伊豆守の籠と知ってのことか」と叫んだ

御土居下組は問答無用と切り込んで来る

清十郎は慌てて逃げる中間の風体で、御土居下組の背後にいる干支組に回った

「若、刀を」

「おう、切り込むぞ」

坂東左之助は背後に迫る清十郎に気付いた

「しまった。またしてやられたか」

「頭目は誰じゃ」

頭巾を被った坂東が

「わしが御土居下組組頭坂東左之助じゃ」

と名乗りを上げた

「懲りもせず、また闇討ちか」

「やかましい。配下の仇、わしの剣を受けてみよ」

坂東は右手八双に構えた。尾張裏柳生か

清十郎は右手一本で右後ろに構える

坂東からは刃が見えない。こけ脅しか。しかし、刃が見えない以上、仕掛け辛い。どこから刃が飛んでくるのか予測がつかない。

「ええい、ままよ」と八双の刃を振り下ろす。

間を見切った清十郎は、さらりと躱し位置を入れ替えた

坂東の刃風を感じた。

清十郎は構えを変えていない

再び八双に構えた坂東はじりじりと間合いを詰める

侍は切込む時、足の指を曲げる。前へ出るためだ。

清十郎の刃はまだ後ろにあった

坂東が再び切り込んだ。

清十郎は刃風を感じながら体を右に流し、同時に右手首を捻った

坂東の刀の柄下に清十郎の手首が入った

清十郎の刃が坂東の喉に刺さる

そのまま頭蓋を刺し切った

秘剣鬼刺し

坂東は声も出せず倒れた

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