第5話

「でも、私は全く持って、気にしておりません」


 俺の軽口に合わせるように、ふざけた口調で言った。


 ―――――気にしてない?


 そんなわけがない。だって、一生残るかもしれない傷だ。

 自分で治したいと言ったけれど、できるかどうかは分からない――――いや、完全に消すなんて、きっと無理だろう。

 それだけの傷跡を、気にしていない?

 そんなこと、あるはずがない。


「…………気を使ってくれてるのか」


 黒滝が優しいってことは、よく知っている。

 周りに気づかいをしてくれることもそうだし、こんな傷をつけた俺に、好きだとか言ってしまうくらいには。

 気にしていないというのも、きっと忘れていただけだ。

 そうに、決まっている。


「違うよ。天理君に嘘なんてつかない、絶対に」

「そんなこと―――」


 あるわけない。

 そう口にしようとして、できなかった。

 黒滝の人差し指が、俺の唇に当てられたからだ。


「ねえ、私、嫌いなことはしないんだよ」

「あ、な……」


 黒滝は微笑む。そんなだから、まるで、俺の心を見透かされているような気さえした。


「嫌いなことはしないし、今後もやるつもりはない―――逆に、好きなことしかしてこなかったのが、今までの私なの」

「今まで?」

「そう、今まで」


 それはつまり、今は違うということか。


「私、嫌いな野菜を食べるようになったんだよ」

「え?」

「生野菜なんてもってのほかで、漬物でも、炒め物でも、野菜なら何でも食べられない―――それこそ、カレーに入ってるニンジンくらいしか、私は食べられなかった。食べてこなかったの」

「急に、どうしたんだよ」


 そんなことは、知っている。高校が一緒になって、お昼も一緒に食べていたから。

 お弁当箱にたまに入れられていたアスパラガスも、俺に食べさせてくるくらいだった。

 食べろと言っても、閉じられるお弁当箱に残されるそれをみて、俺が結局食べていたのだ。

 黒滝にはあまり強くは出れなくて―――、無理やり食べさせるようなこともしなかった。


「天理君に、変わった私を見てほしかったから」

「…………それは」


 つまるところ、俺が黒滝の想いを無碍にしたことを恨んでいるの言いたいのだろう。

 そう、思ったのだが。


「ううん、いいの。私が言いたいことは、そうじゃなくて」


 黒滝は俺の考えがわかっているかのように、小さく首を横に振って否定した。


「私が言いたいことは、嫌いなことは、とことんやってこなかったってこと、だよ」

「…………?」

「まだわからないかなぁ………、ほんと、鈍いんだから」


 それは私もだけどね、と黒滝は続ける。


「私、中学は水泳部に入ってたんだよ」

「――――――あ………」


 水泳部。

 つまるところ、水着を着る部活で。


「競泳水着だと隠れて見れないんだけどね」


 だが、それでも。


「着替える時は、流石にね」


 服を脱いだ時に、お腹の火傷痕も、見られないはずもない。


「どうしたのって、よく聞かれてたな」


 黒滝は懐かしそうに目を細める。

 そこに嫌な記憶を思い出しているような様子もなくて、本当に楽しそうに見えた。


「どうしてだよ」

「え?」

「………気にしないなんて、おかしいだろ」


 黒滝が気にしていなさそうだというのは、わかった。

 それでも、気にしないなんてあるのか。そんな疑問がどうしても脳裏に浮かぶ。


 本人が気にしてないから、俺も気にしないでいい。

 そんなクソみたいな言い訳をするつもりはない。クソガキがやってしまったことへの清算は、クソガキ自身にやらせるべきだ。

 それでも、あるいは、俺に気を使わせてしまっているのかもしれない。だとしたら、これ以上情けないこともないだろう。

 傷つけた相手に、同情されるなんて。

 少なくとも、俺は嫌だ。


「おかしいのかな?」


 黒滝はきょとんとした表情を浮かべて、首を傾げた。

 まるで何もわかっていなさそうに―――、それこそ、心の底から不思議そうだった。


「私が大やけどをした時、丸一日も寝てたって、お医者さんから聞いたの。知ってるでしょ?」

「ああ」


 その時のことは、よく覚えている。

 忘れるはずもない。救急車に運ばれる黒滝を見て、どうにか硬直が解けた俺は、病院に行くと言った親父に一緒に病院に連れて行ってもらうよう、頼み込んだ。

 最初は行ってどうするとか断られたけれど、7歳のガキが具体的なことを言えるわけもなくて、ただ行きたい、行きたいと駄々をこねていた。

 多分、近所迷惑だとでも思われたのだろうけれど、どうにか病院に連れて行ってもらうことには、成功した。


 病院に着いたころには、手術―――と言っても簡易的なものらしい―――が終わっていて、黒滝はベッドの上でうなされていた。

 そんな黒滝を前に、どうしていいかもわからず、何をしたかったのかもわかっていなかった俺に、親父に手を握っていてやれと言われて、ずっと―――、それこそ日が暮れるまで、ずっと握っていた。

 途中、看護師さんに引きはがされたけれど。


 翌日も同じようにして、面会時間の終わり間際に、黒滝が目を覚ましたのだ。


「その時、誰かさんがずっと側にいてくれたって、私は知ってる」

「そんなの、責任の取り方もわからないガキのやったことだろ」

「私にとっては、とても大事なことだったんだよ、きっと」

「きっと、って………」


 そんな、曖昧な。


「だって、仕方ないでしょ。それで許しちゃったんだって、漠然と覚えているだけなんだから」


 ぷくっとフグみたいに頬を膨らませる黒滝。


「それだけ、今の私にはどうでもいい昔の話なの―――天理君はどうなの?」

「俺?」

「私は気にしてない。それでも、天理君は私に責任を感じちゃうのかな」

「俺は………」


 そんなの、決まってる。


「責任は、とるよ。とらせてくれ」


 これは黒滝のためだけじゃなく、俺自身のケジメでもある。

 なんの償いもしてこなかった、過去の自分をなかったものにすることはできないけれど、それでも責任くらいとらなきゃ、俺は俺自身を許せない。

 少なくとも、俺を好きだと言ってくれた黒滝に、恥じたくない。


「なんか、その言い方だと、天理君に孕まされたみたいだね」

「はら………おま、なにを……!」

「あはは、冗談、冗談」


 口元に手を当てて、本当に楽しそうに笑う黒滝。


「天理君は難しく考えすぎ。でも、そういうところも、やっぱり好き」

「……………」


 自分の顔が熱くなってるのを自覚して、俺はそっと顔をそむけた。

 耳まで赤くなっていたら、どうしようもないので諦めるほかないが。


「天理君がそういうなら、仕方ない。責任は取らせてあげるよ」

「めちゃくちゃ上から目線だな」

「だって、今は私の方が立場的に優勢だもんね」

「こいつ………」


 図太いというか、なんというか。


「でも、今の私を見てほしい」

「今の黒滝?」

「折角、天理君のために嫌いな野菜まで食べて、変わったんだから。見てすら貰えなかったら、私は悲しい」

「悲しいのか」

「うん」

「そっか」


 黒滝を悲しませるなんて、もうしたくない。

 好きだからとか、嫌いだからとかじゃなくて、黒滝は俺にとっては罪の形であると同時に、大切な幼馴染だ。

 それこそ、ヤカンのマジックで、格好いいところを見せたいと思うくらいには、大切に想っている。


 もう、勉強の時間が足りなくなるだとか、言い訳を並べて、黒滝自身を見ないなんてことは、しない。

 そのことは、夏休みに十二分に反省した―――、妹に死ねとまで言われたし。


「………そういえば、告白の返事だけどさ」

「うん」

「改めて言わせてくれ」


 黒滝に告白モドキをされて、わかったことがある。

 聞かないとわからない。

 話さないと伝わらない。

 そんなことは、当たり前だ。それでも俺は今まで、黒滝に聞くのが怖くて、聞けなかった。

 俺を嫌っているんじゃないか、とか。

 俺を恨んでいるんじゃないか、とか。

 でも、黒滝はきちんと俺に話してくれた。

 だから俺も、俺自身の気持ちを、伝えなければいけない。


「―――黒滝、俺はお前が好きかどうか、わからない」

「………うん」

「でも、少なからず、俺はお前に笑っていてほしい―――そう思うくらいには、大事に想っている、と思う」

「………思いすぎだよ。それに、曖昧すぎ」

「これがお前に対する責任感なのか、それとも好きなのか、わからないんだ」


 ―――だから、と俺は続ける。


「俺が責任をとれるようになるまで、待っててほしい」

「…………少なくとも、8年は待てってこと?」

「多分、そうなる」

「その間に、私、他の男の人を好きになっちゃうかもしれないよ?」

「それでお前が幸せになれるなら」

「その人と、結婚しちゃうかも」

「それでも、責任は取る」

「……………馬鹿」


 そう言われても仕方ない。8年なんて、長すぎるのはよくわかっている。

 それでも、今のままの俺では、黒滝への想いがどうなのかなんて、わからない。

 我ながら、クソみたいな返事だと分かっているけれど、黒滝に嘘はつきたくない。


「それ、好きって言ってるようなものだよ」

「そうか?」

「うん。でも、天理君は納得しないんだよね」

「ああ」

「じゃあ、さ」


 ―――――私のことが好きだって自覚できるくらい、私を好きにして見せるから。覚悟してね?


 そう口にする黒滝は、それはもう、妖艶に嗤っていた。

 …………似合わねぇ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――

伏線回収しきれたかなぁ………。

短編用の書き方してるので、この後はエピローグがあるくらいな上、私が書きたいシーンを書くだけです。

これで綺麗に終わったなーって思う方は、読まない方がいいかもしれないので、栞を外していただいた方がいいかと。

暇つぶし程度に読んでるだけだからいいよという方は、数日したら投稿してあると思うので、暇つぶし程度に呼んでやってください。

では!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏休み、幼馴染の元地味子と出くわした 巫女服をこよなく愛する人 @Nachun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ