第2話

※地味子(黒滝茉莉)視点



「私達の関係ってなんなのかな」


 これまでの17年間が人生の汚点だったのだと気が付いたのは、その言葉を気軽に発して、間もなくのこと。

 なんてことはない、いつもの朝だった。

 電線の上でスズメが囀る住宅街。セメントで舗装された車一台分くらいの細い道を、私と天理君が歩いていた。

 私が寄ると吠える、柵越しに見えるワンちゃんがトラウマで、いつもびくびくとしていたっけ。

 少しだけ強くなった今では、笑って通り過ぎることもできるけれど。


 それでもあの時の私は、デブで地味で怖がりで。ぽっちゃりと言われたこともよくあったけれど、今の私から見たらただのデブ。

 きっとはたから見ても、デブの散歩をしているようにも見えただろう。

 もちろん、私がデブで、天理君が飼い主だ。

 あるいは、豚の散歩かもしれない。


「しいて言うなら友達だな」

「友達?」


 さも当然のように言う天理君に私は少しだけ不服になって、ふくよかな頬を膨らませて、立ち止まった。

 天理君は不思議そうに振り返る。


「黒滝?」


 この時の私は、本当に馬鹿だったなと、今ならわかる。

 だって、自分を過大評価しすぎた。

 端的に言って、天理君は自分のことが好きなのだと、思い違いをしていた。

 私が好きだから、一緒にいてくれるのだと。


 てっきり、恋人だとか言ってくれるとか、そうでなくても、ちょっとだけドギマギしてくれるんじゃないか、なんて期待したりもしていた。

 ただのアホだ。

 アホだから、こんなことも言えてしまった。


「私のこと、好きじゃないの?」

「へ?」

「付き合ってあげてもいいんだからね」

「…………えっと」


 天理君は一瞬だけぽかんとすると、困り顔を浮かべて、


「無理だ」


 と、一言。


「付き合うとか、考えられねーって」


 と、二言。


「へ…………」


 それを聞いた私の顔は、さぞかし面白かっただろう。今でもわかるけれど、口をぱっくりと開けて、目を見開いて、大粒の涙を流しまくって。


「天理君のばかあああああああ!!!!」


 犬に吠えられるのもお構いなしに、どすんどすんと家々の壁を揺らしながら、逃げたのだ。

 今は、天理君にも事情があったのだと、知っているのだけれど。

 この時は、とにかく天理君から離れたかった。

 デブだから振られたと思って、自分の姿を見られたくなかったから。








 ―――――――見返してやろう。

 そう思い至ったのは、その日、終業式があった夜のことだった。

 最近、科学的なダイエット法で人気を博したジムが、近くに第二号店を立てたと、ネットで調べた末にわかった。


 善は急げ。


 お父さんに相談したうえで、翌日になってそのジムへと登録しにいくと、まずは見学をしてみてくれと言われた。

 すぐにでもダイエットをしたかったのだけれど、気弱な私は何も言えず。

 見学の末、私はあまりの熱気に気おされた。


 だって、見る限り筋肉、筋肉、筋肉。

 男の人も、女の人も、シックスパックは当たり前。

 およそ数十キログラムもある鉄の塊を、寝転がりながら両腕だけで何度も何度も上下に往復させている。

 空気椅子の状態を、十数分も維持し続けている。


 これならきっと、と確信をもって、私は毎日ジムへと通うこととにした。




 どうやら私は脂肪が燃焼されやすい体質だったようで、見る見るうちに脂肪がそぎ落とされていった。

 途中、食生活を聞かれて答えたら、小学生のころから続く偏食と大食いが祟って、前の体型になっていただろうと、講師に言われた。

 ネットで調べて、食生活も変えたのが効いたのかもしれない。

 これまで食べてこなかった、嫌いなピーマンだとか、ニンジンだとか、レタス………つまるところ、野菜全般を食べるようになったのだ。


 ただ、毎日のようにジム通いをしていたせいで、ついでとばかりに、筋肉がめちゃくちゃついた。

 シックスパックも、うっすらと出来上がっている。

 信じられないとジムの講師に驚かれて、よかったら一月後のボディービルの大会に出ないかとさえ言われたけれど、豚の次にゴリラになるつもりはなかったので、丁寧にお断りさせてもらった。



 もちろん、ファッションについても同時進行。疲れ果てた身体に鞭を打って、夜の時間はネットでファッションについてのブログなんかを読み漁った。

 加えて、女の子らしい仕草も、ドラマや動画を見ながら勉強、勉強、勉強。

 やれば成るとはよく言ったもので、弟にはすごく良くなったと褒められて、お父さんにはむしろ泣かれた。

 嫁に行く姿を、想像してしまったらしい。みんなで苦笑いを浮かべていたのをよく覚えている。


 もっともっと勉強して、痩せて、絶対に見返してやると、やる気が再燃したのが丁度このころ。

 折角だから夏休み明けに驚かせてやろう、だなんて思っていた。

 のだけれど。


「天理さんのところの息子さんが、勉強を必死になって頑張ってるんですって」


 ふと思い出したように、キッチンでお皿洗いをしていたお母さんが言った。


「ほー、ようやくか」


 と、リビングのソファに座りながら、お父さんが言った。


「…………どういうこと?」

「茉莉、知らないの? 天理君の親戚のおじいさんが、小さな病院を開いてるのよ」

「えっと、だからなに?」

「そこまで長くないだろうから、誠人君を後継にって、天理さんのところでよく言っていたらしいわよ」

「え……………」


 なんでも、学費はそのおじいさんが払ってくれるらしい、とか。

 そのために、夏休みから猛勉強している、だとか。


 お母さんは色々教えてくれて、私は黙って部屋へと戻った。


 ―――――――そんなタイミングに私が変なことを言ったのだと、その時に気が付いた。

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