夏休み、幼馴染の元地味子と出くわした

巫女服をこよなく愛する人

第1話

 歪んで見えるアスファルトの表面に、風情を感じるのは余裕のある人間だけだと理解した。

 さも高級そうな日傘を優雅に指したり、意識の高いグラサンをかけたり―――、ガラス越しに涼んでいたり。


 奴らは敵だ。


 棒切れのような足に命じて、辛うじて歩ませながら、視界から消えていく奴らに呪詛を吐く。


 ――――重い。


 歩行者が自由に闊歩している並木道。そのど真ん中を、白い目を向けられながら、大きなリュックサックを背負って足を動かす。

 端的に言おう。

 苦行だった。

 今すぐどこぞのお優しいマッチョメンにでも、担いでいってほしい。


 そして、不鮮明になりつつある前頭葉の片隅で、無謀すぎたと後悔ばかりを繰り返していた時のことだった。


「あの、大丈夫ですか?」


 後ろから声が聞こえた。

 女の子の声だった。


 自分にかけられた声だと気づくのに、2秒ほど。

 振り返って女の子のお顔を拝むのに、3秒ほど。


 長い睫毛に、二重の目蓋。

 後ろで結んだ明るい茶髪の三つ編みを、左肩を超えて前へと流している。

 可愛い女の子だった。

 だが、ご尊顔よりも、その胸に抱える大きな双丘に、ついつい視線を奪われかける。

 本当にけしから……、逞しかった。


 ――――その格好はアンバランスそのものだった。


 茶色のベルトで固定された、クールな青のデニムパンツ。

 体のラインが出やすい、可愛らしい白のタイトシャツ。

 日を遮る、大人びた黒い傘。


 ぱっと見て、少し背伸びをしたような印象。


 年は俺と同じ17歳くらいに見えるけれど、化粧をしていて、はっきりとはわからない。ただ、どことなく同じくらいなのかな、ということはわかった。


 仮にクラスにいたとしたら、さぞかし男子共にモテるだろう。


「って、あれ、天理てんり君?」

「………ん?」 


 その女の子の口から、唐突に名前が飛び出してきた。

 紛れもない、俺の名前だった。


「えっと………誰?」


 見覚えはない。

 こんなに可愛い女の子の知り合いがいれば、忘れるはずがない。

 だとすれば、昔どこかであったとか?

 例えば、小学生の時とか。


 結構、小さな同窓会とかで小学校の頃の友人と会うと、誰だかわからないことも少なくない。あまり人と関わる人生を歩んできていないから、一方的に知られているということもあるだろう。


 だが、少なくとも同じ高校で見たことはなかった。


「えっと、私だよ。わからない?」


 女の子はそう言いながら、バツが悪そうに髪の毛を弄った。


「………?」

「そっか、やっぱり私、変われたんだ」


 俺が首を傾げるのを見て、噛みしめるように言う女の子。


 ―――変わった?

 いや、確かに知り合いだと言われてみれば、よく聞いていた声に、とても似ていた。

 一人だけ、思い当たった。


「まさかとは思うけど………黒滝くろたきか?」

「―――うん、正解」


 女の子―――、幼馴染は小さくはにかんで、言った。







 俺の幼馴染である黒滝くろたき茉莉まりは、それはもう地味だった。

 首から上は、床屋の1000円カットで切ったような不揃いの髪の毛と、丸眼鏡。

 首から下はそれはもうフクヨカな体型をしていて、食べる時なんかも頬を膨らませている徹底っぷり。

 おしゃれってなにそれ美味しいのとでも言わんばかりに、自らのファッションには無頓着。休日に出かけたとき、偶々偶然出くわすことがあったのだけれど、その時の黒滝の恰好が、グレーのパーカーとジーンズという、暗さに暗さを掛け合わせたような地味っぷり。

 普通オブ普通。

 地味オブ地味。

 挙句の果てには猫背でしたばかり見ているから、その地味さ加減に拍車をかけていた。


 つまるところ、地味子。


 俺と黒滝は同じ2年F組に所属している同級生なのだけれど、クラスでそう呼ぶ人も、少なくはなかった。


 運動は苦手、勉強も苦手。

 知らない人と話すことも、苦手。

 そんな黒滝だったから、友達も少なかった。

 だからと言うわけじゃなくて、なまじ親同士の交流があることもあって、高校が一緒になった頃から大体は行動を共にしている。

 まあ、この先はわからないけれど。

 中学から付き合いのある友人からは、「マジで付き合ってないの?」などとよく冷やかされていた。


 そのたびに否定しているのだが、両親同士がやけに仲がよくて、離れようにも離れられずにいた。

 黒滝を放って、他の友達だとか、クラスの女の子と一緒に過ごそうとも思ったこともあったけれど、親父に「茉莉ちゃんと仲良くしろよ。しなかったら殴るぞ?」なんて言われて、クソだなと感じたのは、記憶に新しい。


 まあ、別に。

 黒滝は悪い人間でもなく、不満があるわけじゃなかったから、よかったのだけれども。


 異性として認識したことは、なかった。

 そう、なかったのである。








「死ぬかと思った………」

「あはは。無理しちゃだめだよ?」


 俺は黒滝に連れられて、近くのファミレスへと逃げ込んだ。

 黒滝に何があったのか気になったというのもあったけれど、何より脱水症状で気絶寸前だった俺を、黒滝が半ば引きづりながら連れ込んだ形だった。

 正直、助かった。


「はい、カルピスだよ」

「悪い、助かる」


 ドリンクバーから二人分のカルピスを持ってきた黒滝が、一つを俺の前へと差し出した。

 俺は軽く礼だけ言って、吸い付くようにコップを口元に近づけると、そのまま一口に飲み干した。

 生きかえるような心地だった。

 カルピスがこれほど美味しい物だったとは、人生初の発見だ。


 俺は空となったコップを机の上に置くと、黒滝が、


「お代わり、持ってくるね」

「……すまん、頼む」


 正直、足に来ていて立ち上がることもままならない。

 黒滝は俺のコップを持って再びドリンクバーのコーナーへと去っていった。


 その後ろ姿を見て、思う。


 …………今でも信じられないけれど、あれが今の黒滝らしい。

 モデルと言って差し支えない装いではあるけれど、小さなところで気が利くところとか、声音だとかは、確かに黒滝のものだった。

 雰囲気は変わっていても、そうした根っこのところは変わっていない。

 だけれど、それを差し引いても、見た目が違いすぎて、改めてみても疑わしい。


「お前、本当に黒滝か?」


 黒滝が戻って来るや否や、思わずそう問いかけた。

 一瞬だけきょとんとした顔を見せて、コップを机の上に置いて、ゆっくりと腰を下ろす黒滝。

 そして、俺に向かって微笑むと、


「改めまして、黒滝茉莉と申します」


 と、ふざけた口調で一言。

 思わず、ドキリとしてしまった。


「私、女の子になれたかな」


 黒滝は髪をくるくるといじくりながら、照れ臭そうに言った。


 改めて。

 見惚れてしまった。


「ま、まあ、大分、変わった……な?」


 ドストレートに言うと、めちゃくちゃ可愛くなっていた。

 けれど、それを言うとなんだか負けた気がして、直接的な感想は控えておく。

 いや、単に、言うのが恥ずかしかっただけなのだけれど。


 そんな見栄ともとれる態度が、黒滝にも伝わったのか、


「そっか」


 と、机の上に視線を落としながら、嬉しそうに頬を緩ませた。

 なんだ、この可愛い生き物は。

 一挙一動が、以前の黒滝とはまるで違う。

 あざといわけではない。むしろ、清楚さすら感じられる。


 ―――――女は一晩にして化けるものなのよ。


 ダイエットに成功した妹が、そんなことを言っていたのを思い出す。

 いや、実際に一晩で化けるわけでもなくて、そうほざいた妹も、体型が変わるのに二か月はかかっていたけれども。

 それでも、今の黒滝ほど変わるようなことはなかった。

 ただ痩せただけの妹に対して、見た目に伴ってまとっている空気まで変わった黒滝。

 まるで蜥蜴が竜に変身したような。


 猫背で、地味で、ぼさぼさ頭で、パッとしない以前の黒滝と。

 ピンと背筋を伸ばして、女の子らしくて、おしゃれな黒滝。


「信じられないなら、証明して差し上げましょう」


 多分、俺の疑心を悟ったのだろう。またもやふざけた口調で、黒滝がそんなことを言い出した。


「私の名前は黒滝茉莉、5月16日に誕生日を迎えた17歳。蓮太高校に通う二年F組、出席番号11番。好きなことは漫画を読むこと。嫌いなことは、嫌だと思うことをすることです」


 などと、えろちっくな女優みたいな自己紹介をかましてくる。


「……………部活は?」

「小学生の頃はバドミントンクラブ。中学は水泳、高校は帰宅部に入っております」


 えへん、とどや顔を決める黒滝。

 どこに誇らしい要素があったのかと。

 それから、帰宅部は部活じゃない。


「…………俺の名前は?」

天理てんり誠人まこと、17歳。誕生日は4月5日で、好きなことはゲームをすること。得意なことは勉強。嫌いなことは、水泳と勉強。部活は私と同じ、帰宅部でございます」


 黒滝は「そして」と続ける。


「私が夏休み前に告白して、振ってくださりやがった男の子だったりします」


 そう言い切った黒滝は、したり顔を浮かべて。

 綺麗な曲線を描く、人差し指を指してきた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――

気分的に甘々なものを書きたくて、連載しているものの合間合間に構想を練って書いてみたものです。お試し投下。



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