レイーズリー駅発アリ=ダンドワ駅着

第20話

 ユーリエブルクの最寄駅を列車はレイーズリー駅に停車し、アンとウィリアムの父娘おやこ二人は列車に乗って来るなかによく知る乗客がいた。


 それは淡い金髪に青い瞳を持つ男性で喪服のような黒いスーツを着ているのが見えた。


「あれ、スミス中佐じゃないか?」

「あ、大佐。旅行の帰りですか。奇遇ですね」


 そこにいたのはアルバティアへ行くときに、大陸間横断列車『Stella号』に同乗していたスミス中佐だった。

 彼が着ているのは陸軍の制服ではなく、一般の葬儀などで身に包む黒い礼服を着ていた。


 ほのかに葬儀で使われる香の匂いがするので、どうやらだれかの葬儀でロジェ公国を訪れていたみたいだ。


「あれ、大佐とアンさん。どうでしたか? ロジェ公国は」

「そうだね。ハナの弔いがようやくできたと思うし、向こうも未練が断ち切れたのかもしれない」


 彼はウィリアムとアンの向かい側の席に座り、ネクタイをほどいてシャツの第一ボタンを外している。


「そう言えば君はどうだった?」

「ええ。無事に父を弔うことができました」


 スミス中佐は実父の葬儀に出るためにロジェ公国に来ていたらしく、ちょっと困惑した表情で父娘を見ていた。


「父のことは母から聞いていました。若い頃に恋仲になったスミルノフ公爵の嫡男との間に生まれた子だと……名前も父の名前を名付けたと聞いてましたし」


 彼はスミルノフ公爵と声楽家であった母との間に生まれたという。

 ロジェ公国の貴族の庶子だったことにアンは少し驚いていた。


「そうだったんですか……ハインブルクの資料館に展示されていた肖像画、スミス中佐に似てたので」

 父たちの会話にようやく入れるようになって、窓を換気のために少しだけ開けた。

 窓からは少し風が吹き込んできて、髪紐と黒髪がなびき始めていた。


「あれは父方の祖父母のものみたいです、公爵は戦地となったハインブルクあそこを離れて首都で暮らし始めたらしいですし」


 あんな激戦のあった土地を離れることは少なくないはずだ。実際に戦場となった場所を治めていた領主のなかには、心を病んでしまい、領地を他の親類に任せたりする者もいたほどだ。


「スミス中佐は……ロジェ公国に行くのですか?」


 アンはスミス中佐の方を向いて、複雑な心境で問いかけた。


「行かないよ。エリン=ジュネットで国を守る」


 その言葉にアンは少しだけ頬を染めて、彼を見つめていた。


「すごいです、スミス中佐、お父さんもすごいけどね!」

「ああ、そうだな」


 慌てた彼女の口調はウィリアムが少しだけ不安な気持ちになった。

 それも少し何とも言えない表情で無言になってしまった。


「大丈夫? アン……?」


(ヤバい……なんか違うけど……変な気持ちになってる)


「ちょっと。外に行ってくるね! 外の空気を吸ってくる」


 顔を赤くしたまま、アンは走ってテラスへと出ていった。


 ウィリアムはそんな娘の表情を見て、部下と二人きりになったとき互いに苦笑いしている。


「アンのこと、かっさらう気か?」


 冗談のつもりでウィリアムは話しかけ、スミス中佐も苦笑いしたまま首を横に振った。


「いえ、アンさんは他にいい人がいますよ。俺なんかより、ずっといい人がかっさらうと思いますよ?」

「アハハハ! そうだな。俺は覚悟はしてるけどな」


 その後、ウィリアムはアンが連れてくる恋人にとても驚くのだが、それをまだ知らないまま窓の外を見つめていた。





 アンはテラスが見える風景はとても素敵で、それを焼きつけるように見つめていた。


 冷たい風がアンの体を包み込む。


 青空も遠くに見えてきたアデノ山脈という険しい山脈の雪化粧とのコントラストが美しく見える。


 まるで絵画のような風景に見とれていたアンは、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「はあ……スミス中佐。会うととてもドキドキしてるんだろう? 全然無かったのに」


 そっと胸の前で手を組む。


 いままでこんなことがなかったことが現実で起きているのがわかった。


 なかなか落ち着かない心臓の鼓動がアンはずっと気になっていたのだ。


 何とも言えない気持ちになってしまっていたのだった。

 そのときにアンは友人で第一王女のアリソンと会話したときのことを、突然思い出してしまったのだった。


『ローマン帝国の第三皇子のルチアーノ様と会ったとき、心臓がドキドキしてきて……お慕いしてるのは知らないと思う』


「あ……わたし、スミス中佐のこと」


(好きなんだ……)


 そう思うと、それがとても淡いものだと思っているが、あまり話すことがないなと感じる。


 少しずつ心臓の鼓動もだんだん落ち着いてきて、彼女は琥珀色のブローチを胸元につける。

 太陽の光に反射して、きれいな色になっていく。


「きれい……お父さんの目の色みたい」


 ウィリアムはきれいな琥珀色の瞳をしていて、このブローチを見たときに無意識に父のことを思い浮かべた気がする。


 そっとそのブローチを手で撫でたあと、すぐにテラスをあとにしようとした。

 しかしアンはすぐに車両には戻らず、少し風景を眺めることにした。


(帰ったら、勉強漬けになるから……こんな風景も見れないな)


 教職課程に進んだ彼女は最上級生になり、国家資格である教員免許を取得するために勉強中であった。

 心に余裕のない日々を過ごしていたアンはリセットするように旅を続けていたのだ。


 この旅行が終われば、再び勉強の毎日が始まる。

 その気持ちを新たにして車両に戻ろうとしていたのだった。


「そろそろ……髪も切りたいな」


 アンは黒髪をいままで背中の半ばまで伸ばしていた。

 しかし、もう手入れも大変になってきたので、髪を切りたいと思っていたみたいだ。


「帰ったら、切りに行こう」


 そして、緋色の髪紐を揺らしながら、車両のなかへと戻っていった。


「お父さん。お待たせ、ごめんね。途中で出て行って」

「いいんだよ。外の空気はどうだった?」

「とてもきれいだった。絵みたいだった」


 それを聞いてスミス中佐は自分の客室へと向かったのか、先ほどいた席にはすでにいなかった。


「あれ? スミス中佐は」

「ああ。客室に戻ったよ」

「そうなんだ」


 少し心臓が跳ねたが、あまり具体的に話したくはなかった。

 父には知られているかもしれないが、少しだけあまり話すことができないと思っていた。





 数時間すれば車窓の外は夜の帳が下り、アンは宿泊する部屋に歩いていった。


 彼女は少し広めの部屋に宿泊することになっていて、女性が複数人いても余裕のある部屋だったのだ。


 部屋のベッドにトランクから出した下着や寝間着ネグリジェなどをベッドに置いている。


 いつでも寝る準備ができるようにとしていたが、先にトランクの一番上にしまう。


「よし! これで準備完了だ。あとは……小説を読みたいから……あれ?」


 リーンと澄んだ鈴の音色がピアスから響いて、ウィリアムからの着信のようだった。


「あれ? お父さんから着信だ」


 鈴の音色を切って、通話に応答することができた。微弱ながら魔力を使うが、体調を崩すことはない。


「もしもし、お父さん。支度ができたの?」

『うん、アンはそろそろ準備は大丈夫?』

「できてるよ。ちょっとだけ遅めでもいいかな? いま、絶対に混んでるって」


 互いの支度が整ったら、食堂車の入口で待ち合わせをすることになっていた。でも、時刻は午後七時半を過ぎ。現在はかなり混みあっていて、おそらく十組待ちも考えられる。


『そうだな……八時過ぎ、食堂車に待ち合わせようか? ちょうど片づけたい仕事が入ってね……それでいいかな?』

「うん。それでいいよ! わたしも本を読みたかったし」

『それじゃ、また連絡するよ』


 ウィリアムとの通話を切ると、アンは持ってきていた小説を読み始めた。

 それはサーシャにサインされていて、まるで夢みたいな出来事があったのを教えてくれる。


 ソファではなく、ベッドに腰かけ、枕を背もたれ代わりにして小説を読んでいく。

 おもしろい作品は何度も読んでも飽きない、それがアンの繰り返し読む作品の理論だった。


 何度も読まない作品は仲の良い友人に譲るか、それでも手元に残るものは古書店に古本としてまとめて買い取ってもらうことが多い。


 実際はまとめて買い取ってもらうことの方が多く、友人に譲ったのは片手で数えられる数冊程度だと思っている。


 本を一冊読み終えて時計を見つめると、ちょうど八時を迎え柱時計が八回時報を伝えた。


 そのとき、ウィリアムから食堂車で待ち合わせるとの連絡が来た。


 連絡を聞いてから彼女は旅券パスポートなどの貴重品を入れた小さなハンドバッグを持って食堂車の入口へ行くことにした。

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