第19話

 しばらくして暗闇の中から懐かしい声が聞こえてきた。


 それは幼い頃に何度も聞いてたアズマ国の歌で、春の訪れを喜ぶもので子どもが口ずさめるようなくらいの有名な曲だった。


 叔母のユキではなくて、それよりも少しだけ高めの声色をしているようで、まるで朝が来たように目を開けてみた。


「起きた。おはよう、アンちゃん」

「おばあちゃん……?」


 そこには白髪になってグレーにも見える髪をまとめ、藤色の着物を着た老年の女性が座って起こしているのが見えた。


 それはアンの母方の祖母で、起き上がってからあたりを見渡すアズマ国の母方の実家だったのだ。

 漆塗りのタンスや机などが置かれている。


「杏ちゃん、そろそろ着替えなさい。こちらに服は置いてあるから」


 そう言って祖母は部屋をあとにして、アンはそばに畳まれていた国立第一学院の制服に袖を通した。

 この制服はいつも着ているので着るのには慣れていた。


 そのときに障子の向こうから人影がやってくるのがわかった。


「アン。そろそろ支度できたかな?」


 その声は暗闇で聞いた声で障子を開けたとき、アンは驚きのあまり言葉が出なかった。


 そこに立っていたのは一人の女性だった。


 紫紺のロングスカートに上はエリン=ジュネット王国陸軍の礼服に身を包んでいる。


 白髪の無い漆黒の髪は緋色の髪紐で結われているのが見えた。


 そして、その顔はアンによく似ている。


 この女性を彼女は一人しか知らなかった。


「お母さん……!」


 そこにいたのは母のハナだったのだ。


 自分の持っている写真よりも年を重ねているみたいで、生きていたらこうなっているはずだと思わせる風貌をしている。


「アン。おいで!」


 視界がにじんできて、涙を拭いて立ち止まってしまう。

 向こう側からアンを優しく抱きしめ、アンはさらに涙が止まらないようになっていた。


「大きくなったね。アン。すっかり良い女性になったのね」


 もう母の背丈を越えていることに驚いて、アンはギュッと母を抱きしめていた。


 それを聞くととても嬉しそうに娘の成長を喜んでいるように見えた。


 アンの手を引いて母が歩いていくと、玄関で靴を履いて外に出た。

 少し涙を拭いてから空を見つめたとき、とても澄んだ青空でアンは驚いてしまった。


「お母さん! どこに行くの?」

「ここよ。アン。きれいな風景ができてるのよ」


 小さな子のように母の手をちゃんと握り、アンは庭に植えられた大木が満開になって出迎えていた。


 白より淡い紅色の花びらがひらひらと散り始めていたが、とてもきれいな風景だと祖父母が教えてくれたのを思い出した。


 当時は幼すぎてあまり覚えていなかったことだ。


 それを見て言葉を失って、立ち尽くしてしまったのだ。


「これは桜の木だよ。大木でね、サクラノミヤ家のサクラはこの花から由来してるのよ」


 母が説明をして、楽しそうにそれを見つめていた。

 アンは大きな桜の木を見ながら、目を輝かせていたときだ。


「そうなんだ。きれい!」


 アンはふとその隣に植えられた小さな若木を見つけ、そっちに歩いていくとそれは小さな花が咲いている。


「あぁ。ちょっと咲くのが早いの、これアプリコット……あんずの木」

「アプリコット! あ、そうなんだね? きれきだね」


 杏の木を見ているとき、ハナは優しく肩を抱きしめた。


「これはね。アンの名前の漢字の由来。こう書くの」


 そういってハナは地面に書いたのは『杏』で、その上に大陸の文字を書いていたのだ。


「これが……アン? すごい不思議な名前」

「そうね。花言葉はあまり良くない意味が多いけど……そんなことは気にしないでね」

「わたしに似てきたわね! ウィルと士官学校を卒業した直後に知り合ったときくらいね」


 ウィルというのは父の愛称で、そのときにアンは微妙な気持ちになってきた。

 ハナはその表情を見て、微笑んだ。


「お父さんのこと、嫌い? 年頃だもんね」


 アンは慌てて首を横に振る。


「でも、なかなか言葉に出せないの。お父さんは仕事も忙しいし……話すのも、旅行する直前からいままでずっと話してるけど」


 そのとき、ハナは手に何かを握らせた。


「え? お母さん……?」

「わたしの認識票ドックタグ、大事にしてね。たぶんだいぶ前にあげてるけど」


 それは母のハナが戦場で常に身につけていた認識票で、アンはハナが亡くなる直前に予備の認識票をもらったのだ。


 それが戦死してしまった母の形見となってしまい、緋色の髪紐と共に身につけたりしているのだった。


「わたしはずっとそばにいるからね。お父さんにも伝えておくから、また夢の中に出てくるよ。愛してるわ、忘れないでね」


 だんだんと母の握られた手の感覚もおぼろ気になってきた。

 母の顔もだんだんとぼやけてきて、声も聞こえづらくなってきた。


「またね。お母さん……大好きだから、忘れないよ!」


 そう言ってアンは叫びながら、涙を流して突然暗闇へと落ちていった。





 目を覚ますと頬を涙が伝っていて、アンはそれを寝間着の袖で拭ってからベッドから降りた。

 まるで現実のようで、年を重ねた母の姿を見ることができて安心した。


 でも、この夢が覚めないで欲しかったという気持ちが強いかもしれない。


「夢か……ん?」


 そこにあったのはアズマ国内でしか見れない桜の花びらが、ベッドの上に落ちているのが見えた。


 まるで本当のあの場所にいたような感じだった。


 それを拾い上げて、アンは日記帳に糊で貼りつけた。

 これが現実だと思えば、不思議な瞬間だったと思う。


「よし……!」


 アンはずっと我慢していたことを吐き出して、すっきりできたのもあるのか少しだけ不思議な気持ちで目が覚めた。

 そのときピアスの着信音が聞こえてきた。


「もしもし!」


『あ。アン、お母さんが夢に出てきた?』


「えっ!? お父さんのとこにも?」


 ウィリアムの言葉にアンは驚きのあまり、大声を出しそうになった。


『あぁ。変なこともあるんだなってね。二日酔いにはなってないか? ちょっと心配だったが、大丈夫そうだな』


 アンはトランクに荷物を入れていき、自分も服を着替えることにした。


 シンプルな白いシャツに群青色のシンプルなフレアスカート、黒のジャケットを羽織り、茶色のショートブーツを履いた。


 そして、黒髪には緋色の髪紐で一つに結って、トランクを片手にホテルの部屋へと向かうことにした。

 アンはウィリアムの部屋の前でノックを繰り返し、ようやく彼はドアを開けてくれたのだ。


「アン。ちょっと待っててくれ。支度してくるよ、二日酔いで頭痛が来てるんだよ」

「そうなんだね」

「うん……頭痛いな~」

「まあ、すぐに治るよ」


(お父さん……昔から頭痛が起きるんだもんね)


 アンは父のウィリアムの支度が終わるまで、それから少しだけ部屋の前で待つことにした。

 それから数分後、ウィリアムが私服姿でやって来た。


「それじゃあ行こうか」

「うん。これから帰るんだもんね」

「ああ。みやげ話も楽しみにしてるよ」


 トランクを片手にチェックアウトをするため、ウィリアムと共にフロントへ向かうことにした。


 ホテルを出ると駅に向かった。


 そこは列車の券売所があって、そこで父がすぐに手続きをしているのが見えた。

 ユーリエブルクを出るのは残り十五分ふぉろだった。


 そのときにユーリエブルク駅発アルバティア駅経由アリ=ダンドワ駅行の列車のチケットを買い、旅券パスポートと共に確認されて乗車して帰路についた。

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