第13話

 ハインブルクの朝市へ来た人々の人混みを抜けた先、平和祈念資料館へ続く道にある住宅街へと入っていく。

 父の古い手帳には住所が書かれてあるみたいで、それを頼りに歩く。


 ものの十分ほど歩いた先に、緑色の屋根に青緑色の壁の一軒家だった。

 そこにはロジェ語で住所と名前が書かれてあるみたいで、すぐに自信ありげにうなずいた父は手帳を内ポケットにしまう。


「お父さん、ここなの?」

「ああ、ここだよ。サーシャの家は……間違いないよ。ずっと前から変わらない」


 父は少しだけ嬉しそうに玄関のドアをノックする。

 ドアが開いたのは少ししてからだった。


「おぉ! ウィルとアン。来たか?」

「あぁ。そろそろちょうどいい時間帯かなってね。今日の昼の列車でここを発つから、お別れも兼ねて……お茶でも」

「そうか。立ち話もあれだ、中に入りな」


 サーシャと共に玄関を抜けると、開けたリビングへと案内された。


 そこには使い込まれたタイプライターと辞書、メモなどが机に置かれ、その他にも原稿とおぼし紙が積み上がっている。

 他にも参考資料なのか分厚い装丁の本が本棚に収まらないのか、床に何冊か積みあげられているのが見えた。

 ここは整理しても増えていくようなものばかりなのかもしれない。

 アンは少しその光景に驚きを浮かべ、父も似たような表情をしている。


「すごいな。この状態、作家の仕事部屋だな」

「作家だって聞いてたけど……すごいことになってますね」

「いやぁ……なかなか人を呼ばないと、片づける暇がないんだ。汚い家でごめんね」


 サーシャはそのまま机をきれいに片づけて、そのまま少し窓を開けて換気を始める。

 白いレースのカーテンが揺れ始め、原稿と思しき紙が文鎮で押さえれている用紙がなびかせている。


「二人とも、ソファに座ってて。アンとウィルは何を飲む? ダージリンとカモミールがあるよ」


 サーシャは自分たちをソファに座るようにと促され、すぐにキッチンから何かを手にしているのが見えた。

 彼は持ってきた二種類の紅茶の茶葉が入った缶を見せて、アンはカモミール、父はダージリンを選んだ。


「ウィルは相変わらずのダージリン、アンはカモミールね。わかったよ、すぐに淹れるね」

「すまないね。突然来てしまって」

「いいんだよ、俺は息抜きで人を招いているからな」


 サーシャは少し疲れたような表情を浮かべているみたいだった。

彼が紅茶を淹れてくれている間、アンは目の前の机に置かれた本を見た。

 それはハードカバーの小説で『雪国の春姫』と書かれ、そこには作者の名前も書かれてあった。


(アレクサンダー・ミシェル……って、まさか)


 アンは少し背筋が凍ったようにこちらを見ていた。

 そのなかで紅茶の匂いがこちらに漂ってきているのが見えた。


「その本。俺が書いた小説」

「え、えええ⁉」


 紅茶を持ってきたときにサーシャがそう言うと、びっくりして大きな声を出した後に言葉を失っていた。

 それを見て、父は少し驚いて紅茶をこぼしそうになった。


 そのなかで『雪国の春姫』という小説はエリン=ジュネット王国内ではベストセラーになっていて、ここ数年の有名な文学賞にノミネートされているタイトルで現在では書店でも売り切れが相次いでしまうことが多かった。


「ほんとですか⁉ この本、持ってきてるんです」


 アンは素早くトランクからその本出して、サーシャの目の前に置いて見せたのだ。

 少し本人が持っている本とは違い、少し読み込まれたりして傷ができている。


「ありがとう。とてもうれしいな、友人の娘までファンなのは」


 彼は照れ隠しのような笑顔はとても印象的で、すごいかわいらしい一面があるのだとわかった。


(サーシャさん、良い人だな)


 本の表紙には他にも春の花々のような色合いの衣装を身につけた五人の少女が描かれ、装丁や箔押しの題名が華やかさを一層増しているのが見えたのだった。


 この五人の少女は六年に一度に行われるフローレンティアの祝祭に関係がある。

 毎年フローレンティアの祝祭あるが、六年に一度ある大祝祭が行われる。

 春が訪れる喜びと五穀豊穣を祈り、春姫と呼ばれる少女たちが『春告の踊り』を踊る。


「これは二年前にあった大祝祭で踊った春姫たちから、インスピレーションが湧いたんだ」


 この『雪国の春姫』はロジェ公国で行われる春姫に選ばれた少女のマリアが、フローレンティアの大祝祭で華麗に舞を披露するまでの成長を書いた小説。

 そのなかでは多くの登場人物たちの交流が描かれている。


 主人公のマリアは家族に愛されない貴族の令嬢として描いていて、それに共感や応援したくなる少女が増えている。

 アンの同級生にもこの本を持っている学生は多く、自分自身も何度も読み返したりしている。


「大祝祭でアンも春姫に選ばれたよな? 感動して泣きそうになったが」

「ああ、あれは本当に必死だったな。振付を覚えていくのに」


 アンも二年前の大祝祭で春姫に選ばれた。

 父方の親戚では史上初だったので、伯父のアンダーソン子爵が仕立店テーラーを紹介してくれた。


 さらにその知らせを聞いた母方の祖父母からアズマ国の布地を贈られたのだ。


 折り重なるように咲いた八重桜の模様が描かれた桜色と、こちらも控えめに描かれたしだれ桜の模様が描かれた濃い桃色の布地を使って衣装を仕立てた。


 花冠は色の濃さの違う牡丹ぼたんを組み合わせたもので、花冠とブレスレットには藍色と紫色、若草色の三色のリボンが揺れていたのを思い出したのだ。


 衣装と花冠は母のルーツを、三色のリボンは父の実家であるアンダーソン家の紋章に用いられる色だ。

 その美しい春姫の衣装を身にまとう彼女は、貴族の上流階級の令嬢に負けず劣らずだったのだ。


「そうか。エリン州の新聞でアンダーソンって姓を見たから、もしやって思ったんだよね」

「そうなんだよ。あれはとてもきれいでね、いまはそれを春姫の衣装を展示される博物館にあるんだ」


 サーシャはアンが持っていた本を取り、開いてすぐのところに万年筆を取り出してサインをしたのだ。


「ありがとうございます!」

「サーシャ。すまないな」

「いいんだよ。小説の締め切りが近くて、まだ全然、まとまってないんだ」


 サーシャは少し悩みながらタイプライターの前に座っている。

 穏やかな表情をしているが、頭の中では今でも新作を考えているのかもしれない。

 お茶をしていると、九時を知らせる柱時計の鐘が聞こえた。


「そろそろ資料館が開館する時間だね。ウィル、アン、こっちへ来てくれないか」


 リビングのバルコニーから階段で降りたところにあったのは花が咲き乱れる庭園が広がっている。

 しかし、その花たちはエリン=ジュネット王国では四月初旬に見られるものが多い。


「わあ……めちゃくちゃきれい。すごい」

「庭園を造りたいって夢、叶えたんだな」


 父が言うようにおそらく終戦してから庭園を造りたいと話していたのかもしれない。


「うん。季節ごとに咲いた花が見れるようにしてるんだ。この辺はエリン=ジュネット王国とは違って標高が高いし、大陸の北部だからまだ向こうの四月くらいの気温なんだ」


 その証としてアズマ国の国花である桜の木が満開になっていて、花びらが散り始めているようだ。

 アンは懐かしそうに見つめていると、サーシャは少し考えてからガサゴソと準備を始めている。


「そうだ。この辺の花を花束にしよう」

「え?」

「うん。ハナに手向けてやって。俺はあまり行くことがないから」

「アンはどうしたい?」

「それじゃあ、お言葉に甘えて」


 サーシャの提案に乗ったアンは咲き乱れる花を見て、そのなかで淡いピンクと赤などの暖色系の色を選んでいる。


「それと、この水色の花をお願いします」

「いいよ。センスあるね」


 サーシャは新聞紙に花束を包み、さらに紐で結ってくれた。

 アンが選んだのは暖色系の花が中心となっていて、さらに水色の花が差し色になっている。

 父とサーシャと話をしてから、アンが先に玄関を出ていた。

「また来るよ」

「ああ、わかった。俺も仕事を片づけて待ってる」


 片手に鮮やかな花束とトランクを片手に、父と一緒に緩やかな坂を上っていく。


「着いたな……ここに」


 そこはかつて戦時中はハインブルクの砦と呼ばれ、現在は戦争を伝える資料館となっている。

 ずっとアンが行きたかった場所で、その入口をくぐった。

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