第14話
平和を願う建物はとても静かで穏やかに入場者を迎える。
資料館は入場するとまず見えてきたのは、壁に大きな砲弾の跡と思われる大きな穴が見えた。
この時間帯に関しては来館者が少ない、ここは地元の人でもあまり来ないようだ。
二人は一言も発しないまま、順路を歩いて行く。
「……」
色鮮やかな花束を抱えて黙ったまま、アンはその壁の前で立ち止まった。
壁は自分の背丈以上にへこみ、かなりの威力でぶつかったと思われる。
そのときに説明書を読み、隣にいる父に質問をした。
「お父さん。この穴って、南軍の?」
「そうだ。当時の最新鋭の大砲で撃ってたからな~。壁に穴が開くのは普通だから、かなりの破壊力はあった」
ここに突入する部隊の兵士だった父は、悲しそうにこの壁を見つめている。
突入したときのことを思い出してるのか、ぐるりと資料館のなかを見ている。
「そうなの?」
「あぁ。突入した経路もご丁寧に書かれてるんだな……忠実だな」
父の声は少し暗く、いつもの気持ちではないのは明らかだった。
敷地のほとんどは屋外で暗いトンネルのような場所があり、その上には城が建っているようだった。
コツコツと靴の音が反響してくるのが聞こえる。
順路を見ると、光が向こう側から漏れているのが見えてきた。
「ここを通り抜ければ、慰霊碑だって」
アンは不思議とずっと知らない道なのに、知っているような歩き方をしている。
まるで導かれるように自分の歩く速さが上がっていくのに気がついた。
「アン、どこに行くんだ?」
「先に行ってるね!」
父の驚いたような声で後を追いかけてくるが、彼の頭のなかで声が響いてくるのがわかった。
――アン、早くおいで。
(お母さんが呼んでる?)
それは忘れかけていた母の声、それに一気に気持ちが揺らぐ。
とても懐かしくも、悲しい気持ちを誘ってしまう。
グラグラと視界が揺れ動きそうになるのを我慢しながら、早く光のなかへと入りたいと思ってしまう。
そして、一気に光が目に入ってきて、思わず目を細めて花束を天にかざす。
だんだんと視界が周りの風景に慣れてきたとき、ようやく周りを見ることができた。
そこはハインブルクの街を一望できる場所で石造りのバルコニーや花壇があったりと、大きな広場みたいな場所に出てきた。
メインストリートから少し離れた場所はのどかな畑が広がり、ここはかつて片田舎だったということを教えてくれる。
アンがその風景から右に視線を逸らしたときだった。
心臓の鼓動が大きく波打って、足の裏がゾワッとした。
多くの人々が訪れ、弔いのために花束がたくさん手向けられた大きな石碑。
そこには各国の言葉で『ハインブルク戦没者慰霊碑』と刻印されている。
ここは最終決戦で南軍が攻め込んだときに、敵味方関係なくここで多くの兵士が亡くなった場所であった。
アンは慰霊碑の前に向かうと、膝から崩れ落ちてしまった。
持っていた花束とトランクを地面に落としてしまい、父が駆け寄ってくる足音が聞こえてくる。
訳も分からずいろんな感情が溢れてくるのがわかった。
それはケガによる痛みや苦しみなどがあるのに、そのなかで大きな悲しみと愛情が混ざっているのは明らかだった。
子どもの頃からこういったことが起きるのはよくあって、故人となった母方の血縁者の気持ちを感じ取ってしまうことがあった。
それは母方の血筋では少なくはないというが、強い気持ちの残った場所ではより鮮明に感じる。
(この気持ちってまさか……お母さん?)
気がつくと、余計に涙が溢れてしまう。
「アン? どうした?」
それを聞くと自分の琥珀色の瞳が揺れて、ようやく止まった涙が溢れてしまった。
「アン、もしかして。お母さんのことを感じたんだな」
「うん……痛くて苦しかったんだよね? 体がつらいのに、うちのこと、愛してるって、自分がつらいときに」
うつむいて涙が伝って、地面にシミを作っていく。
しだいに母の気持ちは優しげな感情へと変わっていき、スッと消えて行ってしまったように感じる。
「ありがとう。ハナ、アンに伝えてくれて」
そっと自分の肩を抱き寄せて、父は少しだけ見せないような表情をしている。
そして、琥珀色の瞳から大粒の涙が一筋、頬を伝っているのが見えた。
地面に落としていた花束を持って、すぐに慰霊碑の前に手向ける。
そして、アンは手を組み、祈りを捧げるように目を閉じている。
(お母さん。お父さんとようやく……来れたよ、ずっと待ってたんだね)
アズマでは死者はこの世に四十九日とどまり、その後に成仏と言って天の国へと行くと言われている。
しかし、この世に未練が残っていると、何年もこの世にいたり、亡くなった場所にとどまったりしてしまうことがあると。
母も同じだったのかもしれない。
愛する娘に会えずに亡くなってしまったことで、かえってそれが未練になってしまったのかもしれない。
それがようやく叶えることができたのか、もう母の気配すらしなくなっている。
その気持ちを考えるとどんどん涙が頬を伝って、拭っても涙がとめどなく溢れてくる。
「お母さん……会いたいよ」
ポタポタと涙がスカートにシミを作っていき、声を漏らさないように泣いている。
それを見て、そっと肩を抱き寄せて胸の中に収める。
アンは少し落ち着いてきたのか、本来の気持ちを取り戻すことができたようだ。
「ハナ……ようやくアンと一緒に来れたよ。アンは成人をして、ハナに似てきたよ。出会ってくれて、この子を産んでくれてありがとう」
アンはポーチに入れていた宛名のない桜色の封筒を慰霊碑に手向ける。
それは少し前にホテルで書いたもので、少しだけ願いを込めて置いた。
「お母さん……生んでくれてありがとう。また来るね!」
花束と手紙を手向けて慰霊碑の周りにあるバルコニーを見たり、屋内の展示を戻ってじっくりと眺めたりしていた。
そのなかで北軍のロジェ公国やレスティア連邦、南軍のエリン=ジュネット王国やローマン帝国などの国々の兵士たちが着用していた戦闘服が展示されていた。
「あ、これって……」
ここ
戦闘服は硝煙と土や返り血の汚れがついている。経年劣化を防ぐための魔法が施されているのか、それはつい昨日汚れがついたような色をしていた。
そのなかでエリン=ジュネット陸軍の戦闘服を見つける。
モスグリーンの戦闘服はあちこち汚れがあったが、それ以上に擦りきれたり縫い合わせていた痕もある。
これを着ていた兵士は十八歳の青年で、身長が伸び盛りな頃だったのか裾や袖口を伸ばしても、足りなかったと書かれてある。
(自分と同い年の人もいたんだ……)
「お父さん。この服で戻ってきた? 葬儀をする前に」
アンの記憶の中から父がこの服装で母の棺と共に帰国したことを思い出した。
それは血や泥に汚れていて、幼い子どもながらにショッキングな記憶としての子lkつている。
そのときの父の顔は絶望しかなくて、瞳にも輝きを失っていた。
はっきり言って生気すら感じなかったくらいだ。
突然帰って来た父が戦死した母を連れてくるとなると余計にだった。
「そうだな、あのときが一番つらかったよ」
父の同じ琥珀色の瞳は揺れ動き、顔を背けて肩を震わせている。
「お父さん……」
その瞳から涙がこぼれたとき、アンは滅多に握らなくなった手を握った。
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