第7話

 翌朝。


「お父さん。早くしないと、列車に乗り遅れちゃうよ!」


(やってしまったな……)


 アンの声はあわてたような声色だ。車から降りてから、すぐに荷物を持って走ろうとしていた。

 ウィリアムは走って駅の改札を抜けて、一足先にホームへとかけ上がっていく。鍛えてはいたが若い頃のようには動きにくくなっていた。


 後ろから追いかけてくるアンの声が聞こえてきて、ものすごく急いでいるのか早口で話してくる。


「そんなこと、あとで聞くから。取りあえず乗るぞ! これは自分の責任だし」


 ホームを走っている理由は自分ウィリアムが寝坊をしてしまい、ホテルをチェックアウトして出たのが列車の出発する十二分前だったためだ。


 フロントで待っていた運転手に急ぎの旨を伝え、法定速度ギリギリの速さで送ってくれた。ウィリアムは助手席に、アンは後部座席で荷物を飛ばないように押さえていた。

 そして、なんとかアルバティア駅に列車の出発する二分前になり、急いでダッシュで走っていた。

 ウィリアムがトランクを持って列車のステップに軽やかに飛び乗った瞬間、列車の出発するベルがホームに鳴り響いていた。


「お父さん、待って‼」


 ガタンと列車が動き出したとき、アンの声が聞こえてきた。まだ列車には乗っていないようだ。

 ウィリアムは片手で手すりを掴み、片手を伸ばしている。アンは彼の胸の中に飛び込み、落とさないように抱きしめていた。


 下は完全に線路になっている。

 しかも高架になっているので、アンは下を見て恐怖のあまり父に必死にしがみついている。


「大丈夫か……? アン」


 冷や汗をかきながらアンをそっと床に下ろし、怖がっている表情を見て優しく抱きしめていた。


「大丈夫だよ。お父さん、心配してくれて……ありがとう」


 笑顔がまるでハナと面影が重なって見えたように見えた。

 そう思ったとき少し目の前がにじんで、ゴシゴシを目元を拭っている。


「お父さん、泣いてるの? 大丈夫?」


 アンは驚きの表情を浮かべ、そこから心配そうな表情しているようだ。


「年を取ると涙腺が脆くなるんだよ。少し……だけね、大丈夫だよ」

「仕方ないなぁ。お父さんは」


 そう言いながらアンはチケットと自分の荷物を見て列車の車内へ向かった。


 ウィリアムはそれを見送り、ジャケットの内ポケットにしまっていた旅券パスポートを取り出した。

 その旅券のカバーに挟んでいた写真を見つめながら、煙草を吸い始めていた。


「ハナ、そろそろハインブルクにたどり着くよ」


 持っている写真にそう語りかけていく。

 それは娘のアンが三歳のときに撮った家族写真で、ハナの両親がいるアズマ国内で撮られたものだった。


 自分とハナは陸軍の礼服を着ている。

 イスに座っているハナに抱かれたアンは、洋服とキモノが掛け合わさったような和洋折衷な服装をしている。


 不思議と三人とも笑顔で、軍服以外は全く戦争の色を見られない。

 特にアンは満面の笑みを浮かべている。


 その写真の裏にはそれぞれのサインが書かれてあって、ハナの名前はショーン大陸とアズマの文字で丁寧に書かれてある。


 アズマの文字で桜宮サクラノミヤハナ――それが彼女の生まれ故郷での名前だった。


「ハナ、アンと一緒に行くから。待っててくれ」


 そして、これから向かうのはハナが戦死した最終決戦の地ハインブルク。

 なかなか踏み出せずにいた場所へ、ウィリアムは成長したアンと共に行く。


 アンが成人したことと、本人がハナの亡くなった場所に行きたいと希望したことが理由になる。


 息を吐くと紫煙が青空へと上っていく。

 しばらくその場を離れずに、ウィリアムは青空を見つめていた。





 一方、アンも同じ写真を見つめていた。


 彼女の場合はもう一枚持っていて、それはハナが陸軍に入隊したときの写真だ。


 当時の士官学校は卒業する学年を二年繰り下げていた。

 規定での最年少の満十歳で入学した母は十七歳になる年の春に士官学校を卒業し、同時に陸軍に入隊したことになる。


 いまの自分の年齢よりも年下の母は、陸軍の真新しい礼服で晴れやかな笑顔でカメラの方を向いていた。

 その笑顔は自分によく似ていると思ってしまう。


(お母さんはこのときにお父さんに出会ったんだ~。お父さんが一目惚れするのも無理はなさそうだな)


 ほとんど父の一目惚れだったことを酔っぱらいながら、母とのなれそめを話していた。

 そのときの姿を思い出して、クスクスと笑っていた。


「アン、遅くなってすまない」

「あ、お父さん。大丈夫だよ」


 父がやって来て隣の席に座ると、アンは写真を旅券パスポートのカバーに挟んでしまった。


「もうすぐハインブルクだね! めちゃくちゃ楽しみだな」


 地図を広げ、アンは父に見せる。


「ハインブルクは色んな建物も多くて、ここのおみやげを買える店を探しにいきたいから、少しだけ時間を作ってもいいかな?」


 アンは旅行するときは書店でおみやげを買える店がまとめられた本を買って、それを携帯している。

 ずっと気になっていたのはアクセサリーの店で、とてもかわいらしいデザインを多く揃えている。


「そうか……確かに、少し休息を取るのもいいね。朝食も食べ損ねてるからね、カフェとかを探してみようか」


 そう言った彼は少し顔色が悪くなっているように見えた。


「お父さん、顔色が悪いよ? 無理してるよね?」

「……乗り物酔いした……。あのアルバティアのホテルから、スピードに乗って駅まで行ったときにやられたかも」

「吐かないでよね。お父さん。面倒見れない」

「そんなことを言うなよ……。アン」


 頭を抱えながらこちらを向く表情は、先ほどのアンの表情に苦笑をしている。


「なんか見ないうちに成長したんだな……」


「そうかな? お父さんも疲れてるなら、無理しないでね?」


(お父さんがいなくなったら、わたしは一人になっちゃうから……)


「ハハハ、そろそろレイーズリー駅だ。あれを見てごらん」


 景色を見ると、アンは目を見開いた。


「わぁ……! 州都みたいだね!」


 そこに広がっていたのは赤レンガがきれいな高さもバラバラではあるが同じ色合いの建物だ。それが並ぶ姿はとても美しい光景を演出している。

 まだ駅の周辺しかそういった建物は無いが、その他の土地も工事を行っているようでどんどん栄えていくようだった。


「ここが……ロジェ公国のレイーズリー駅」


 レイーズリー駅はエリン州の州都アリ=ダンドワ駅の駅舎と同じ赤レンガだが、屋根や装飾がちがうことで印象が異なる。

 列車を降りると、ホームで大きくアンは伸びをする。


「ようやく、来たぁ~! ロジェ公国」


 入国の手続きを改札の隣にある窓口で行っているようで、アンは父と共にそちらへ向かった。


『すみません。入国手続きをお願いします』


 ロジェ語を流暢に操る父の姿に驚きを隠せなかった。

 手続きは父娘おやこまとめて行われて、アンは窓口を出て改札を抜けたとき。


「お父さん。ロジェ語、いつの間に覚えたの?」

「え、学生時代に少しだけ選択科目で取ってたから……」

「それにしてはペラペラ過ぎる。うらやましい」


 父と一緒にカフェを探しに歩いていく。

 到着したのは午前九時なので、ちょうど開店した店ばかりだった。


「お父さん。あそこのカフェにしよ?」


 アンが見つけたのはシンプルで落ち着いた印象的なカフェで、先に自分が店のドアを開ける。

 旅行に出る直前に覚えた片言のロジェ語で、あいさつをして開店してることを確認して席に案内された。

 ロジェ語での注文は父に任せて、おすすめのものを頼んだ。


「アンはロジェ語を無理しない程度で話しなさい」

「うん。わかった~。お父さんはロジェに来たときはどんな感じだったの?」


 アンは父が陸軍の軍人であること、それも第二次大陸戦争のときに母と出会ったことも教えてくれた。


「この辺も辺り一面焼け野原で、ハインブルクはとても酷かった。大砲や銃の穴が地面にあったり、兵士の亡骸も多くあったし」

「そうなんだ。じゃあ、変わってるのかもしれないね。お父さんが来たときよりも」


 あれから十五年が経っているので、少し街の景色も変わっているはず。

 窓の外を見た父の表情はとても苦い表情を浮かべていた。


「お父さん、ハインブルクに新しいお店に行ってみてもいいかな? ここから歩いていけるらしいし」

「うん。わかったよ……アンの言う通りにしてあげる」


 アンは少しだけ新しい気持ちで朝食を食べて、レイーズリー駅近くのカフェを出た。

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