第4話

 アンが起きたのは午前七時半過ぎだった。


 本人はいたって普通の休日の起きる時間帯らしく、大きく伸びをして眠気を吹き飛ばそうとしている。

 車内は心地良い揺れが続いているが、まだ寝たい気持ちがあったが起きることにした。

 カーテンの隙間からは太陽が眩しくて、思わず目を細める。


「うーん……ふぁ~あ、眠い……」


 眠気がまだ襲ってくるらしく、ベッドの上であくびをしている。

 背中まで伸びているストレートの黒髪は少し寝癖がついているが、少し櫛を通せば直るくらいだ。


 彼女はベッドからおりるとすぐにネグリジェのままトランクから服を取り出した。

 白いラインのついたスカイブルーのフレアスカートと白いフリルブラウス、その上に昨日の黒いジャケットに服装を決めて洗面所に行く。


 そのまま洗顔と歯磨きを終えて、長めの髪を編み込みのハーフアップに銀色でピンク色のリボンがついたバレッタをつけている。

 彼女は決して髪をまとめることはしない。

 本人な手先が器用であるので、時間がないと編み込みのハーフアップにするのだ。


「よし! 完ぺきだ」


 青空のような青いピアスを耳につけて、茶色のショートブーツを履いて外に出た。



 午前八時近いと、車内はあわただしく準備を始めたりしている。

 準備をしている乗客たちは大きなトランクを片手に列車の席に座っている。

 昼過ぎに到着する次の停車駅で下車する人もいるのか、荷物をまとめる乗客も見受けられた。


「アン、おはよう、よく眠れたかい?」

「おはよう。お父さん、うん」


 父と共に食堂車で朝食を食べようと歩き始めて、人混みからアンを守るようにそっと手を取る。

 自然とアンもホッとして、すぐに身をゆだねるように歩き始めた。


「今日は何をしようかな?」

「うん。でも、この車両には娯楽もあるから、案内するよ。ビリヤードとダーツ、図書室もあるよ」


 図書室という単語にアンは琥珀色の瞳を輝かせている。

 学院の休日でも図書館に通うほどの読書家でもあるので、いろんな本を読めるかもしれないという希望を持っている。


「やった~! お父さん、早く朝食、食べに行こうよ‼」

「そうか。それじゃ、朝食、食べに行こう」


 すぐに食堂車へ行くと、同世代の少女がやって来ていた。淡い金髪に同じく淡い紫色の瞳をして、不思議そうにこちらを見つめている。

 あんなに淡い色をしている容姿の少女をあまり見たことがないので、アンは思わず見つめてしまった。

 どこかで見たことのある顔立ちをしていたが、それが思い出せずにいたのだった。


「アン、どうした?」

「何でもないよ?」


 アンは食堂車のドアを開け、すぐに席につくとモーニングを頼んだ。

 食べるものが来るまで窓の外を見る。


「いま、どこにいるのかな?」

「レイーズリー駅までは遠いけど、次の停車駅はサーディルアー駅に三十分間だけ停まるんだ」


 父の説明を聞いて、楽しそうに微笑んだ。


「もうフェーヴ王国に着いてるの?」

「うん、昨日の夜に入国したよ、そろそろ旅券パスポートとチケットを確認されるかもしれないから、ちゃんと持っていること」

「そう言われなくても、持ってるから。安心してよ、子どもじゃないんだから!」


 子ども扱いしてほしくないようで、少し反論気味に父に話した。

 ウィリアムはその言葉を聞いて、優しく微笑む。彼から見ればまだアンは子どもだと感じてしまう部分があるようだ。


(まだ世話を焼かせてほしいんだけどな……ダメって言われそうだなぁ)


 そう考えてきたときに頼んでいたモーニングが届いたようで、アンはトーストにストロベリーのジャムを塗って食べ始めた。

 サクッと音を立てて食べ始めると、琥珀色の瞳を見開いておいしそうにもぐもぐしている。

 一口目を飲み込んでからウィリアムに向かって話し始めた。


「おいしい! お父さん、このジャム。作れるかな?」


 アンはジャムとかを手作りするのが好きで、家に置かれてあるジャムはほとんど彼女が作り置きしておいてあるものだ。


「どうだろう。でも、ブルーベリーのジャム、食べてみたい。いつもと違うものを塗りたいしね」

「そうだね。延々とオレンジだと飽きてきちゃうか~。今度からは何種類か少なめに作って小分けして入れておくよ」

「ありがとう。楽しみにしてる」


 彼女はジャムの材料を考えているその表情は年相応のもので、琥珀色の瞳は弧を描いていた。

 アンは州都アリにある全寮制の王立第一学院に通っているが、実家は州都にあるので週末は家に戻ってきている。


 その際にジャムや食べ物を作り置きにしたり、父親のためこんでいる家事をしたりしている。

 しかし、ウィリアムが仕事で夜遅くに帰宅することもあり、会話がかなり少ないことは現実だ。


 すでに戦後十五年が経つが、いまだ紛争の残る地域も国内にいくつかある。

 その地域にいる部下に指示をしたりしているため、戦後よりは多忙ではなくなった。

 大佐という階級にいる以上は大勢の部下を持つことや責任も重いことを知っているので、決して仕事に手を抜きたくはないという気持ちはわかっている。


(お父さんには無理してほしくない……これからの人生もあるんだし)


 ここ数年、白髪も出てきたのを放置しているみたいで、結構責任感や苦労が重なってきているのかもしれない。

 一度だけ倒れて父方の実家の別邸で休んでいたこともあるくらいだし、アンは再びそうなってしまうのではないかと不安だったのだ。

 そのときに同じような表情をしているウィリアムが見つめているのが見えた。


「お父さん、どうしたの?」

「なんでもないよ? ストロベリー、食べないならほしいな」

「いいよ」


 ミルクと砂糖を少し入れたコーヒーを飲むと、窓の外をふと見た。

 そこには駅を中心として多くの店や家々が建ち並び、鉄道を中心に街が発展しているようにも見える。

 まるで絵画のように目の前に広がる風景は本来の片田舎風景に近いかもしれない。


「あ、あそこ。ディリー村だ!」


 弾んだ声色でアンは嬉しそうに言った。


「知ってるのかい。アン」

「うん。国語の授業で小説の舞台がディリー村って聞いてたから、いつか行ってみたいな~って思ってるの」


 本当にこの目で見れたのがうれしくて、早口になってウィリアムへ話しかける。

 それを聞いて微笑みながら、思い出したように話を始めた。


「冬休みに行ってみればどうだろう? 実はシャーリー伯父さんがディリーに冬に用事があるらしいんだ。そのときにアンを連れていってくれるそうだよ」


 シャーリー伯父さんというのは父の二つ上の兄で、アンダーソン子爵であるチャールズのことだ。

 祖父であるアンダーソン前子爵の次男だったが、爵位を継ぐのは長男のみなので彼は代替わりしたときに軍人になるということを決めていたと話している。

 いまも兄弟関係は良好でアンもときどき遊びに来てほしいという手紙が届いたりしているくらいだ。


「ほんとに⁉」


 彼女は目を見開いて、輝かせている。


「ああ、そうだよ。連絡が来たときに聞いてくれって言われたんだよ」


 アンは嬉しそうに手をパチパチと軽く叩いて、喜びを表現している。


 その表情を見て回りの若い男性の乗客たちが、こちらを見つめていたりしている。

 あわててウィリアムがわざとらしく咳払いを大きくすると、男性たちは視線をそらしてすぐに立ち上がる乗客もいる。


「取りあえず、伯父さんには話しておくよ。そろそろ出ようか」

「うん。やけにわたしのこと、みんな見てくるけど……どうして?」


 周りの乗客のことに少し遅めに気づいて、辺りを見回しているようだ。

 ここ数年学院でアンが告白されているがだいたい断っている、まだ恋という感情もあまり知らないという状態だ。

 その手前に陸軍大佐の父親がいるということを知って、告白せずに恋を諦める生徒も多い。


「それは……アンがお母さんに似てるからだと思うよ?」

「う~ん。あんまり自覚がないなぁ」


(あまり気にしてないけど、そんなにうちのことが好きなのかな……)


 告白される理由がわからないアンはとても難しいと考えている。


(ハナに似てきたな、誰かのところに嫁ぐのは時間の問題か……)


 大事な一人娘をかっさらっていく相手が来るのを待つが、意外と早かったりするかもしれないと考えると落ち込んでしまう。

 そんな父の心配をよそにアンはすぐに食堂車を出て、図書室へと向かっていった。

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