第45話 セラフ

 インドから来たセラフと出会ったのは空調の件で上司のジェームスを探していた時だった。彼女の部屋のドアが開いていたので数学者なのかと訊ねみた。彼女の部屋のドアには名前ではなく数字の六一七四のプレートが付いてあったからだ。セラフは挨拶しようと部屋の奥から出てきて握手を求めた。その時探していたジェームスが向こうからやって来た。

「よお。ちょうどいい所で出会った。セラフ、こちらはFでオレの部下だ。どんな小さな穴でも見逃さないデバッグチームのリーダーだ。F、こちらはセラフ。世界で最も優秀な数学者だ」

 F氏とセラフは同時に言い過ぎだと訂正した。


「いいわね。一から九までの数字で好きなものを四つ選ぶの」

 一階にあるレストランはサーカスを催せそうなくらい広くてオリーブオイルとトマトソースとアルコールの匂いと賑やかなお喋りが充満していた。三人は片隅のテーブルでカプレカ数について会話をした。セラフが教師でジェームスとF氏が生徒だ。

「数字を選んだ? じゃあそれを大きい順に並び替えて。OK? では今度は小さい順に並べる。これで大きい四桁の数字と小さい四桁の数字ができたわね。次に大きい数字から小さい数字を引きます」

「ちょっと待ってくれ。ええと。いいよ、できた」ジェームスが言った。

「Fは」

「OK。こっちもできたよ」

「では、できた数字をまた同じ要領で大きな数字から順番に並び替える。そしてもうひとつ小さい順番に並び替える。またそれを引き算をする。また並べる。するとどうでしょう。最初にどの数字を選んでも必ず最終的には六一七四の答えにいきつく」

「おい。本当だ。こいつはたまげた」

「じゃあ次は友愛数なんてどうかしら。それからソフィ・ジェルマンの定理というのもあるわよ。それともガロア理論がお好み」

「もう結構。オレは数学が苦手なんだ。いや楽しかったよ」ジェームスがお手上げという所作をした。F氏も内心ジェームスに賛成だった。

「あら、つまらない」


 セラフの名はユダヤ教とキリスト教の大天使セラフィムからきていた。ヒンドゥー教からではなくキリスト教からとったのは父がインド系イギリス人だったからだ。F氏とセラフは休日になると一緒に有名な建物を見学したり、セントラルパークの池の周りをジョギングしたり、街角でホットドッグとパパイヤジュースを頬張ったり、図書館で長い時間を過ごしたりしてささやかなデートを重ねた。F氏はセラフに想いを寄せていたものの相手は高名な数学者でプログラマーで理論物理学者だったので引け目を感じていた。一方セラフもF氏に引け目を感じていた。アメリカは彼女を受け入れた。彼女の文化も彼女の思想もすべて丸ごと受け入れた。同時にアメリカは日本人であるF氏も受け入れている。常に人種差別の底冷えはするがそれは一旦脇に置いておこう。それを言うならインドに残るカースト制度も同じだ。それに日本にだって――本人達はそれに気付いていないようだが――たいへん細かく分けられたカースト制度があって彼等日本人だけで集まるときには互いの上下関係をはっきりさせるための儀式を怠らない。お辞儀をしたり敬語を使ったり。

 いずれにしてもアメリカはアタシとFの両方を受け入れた。けれども彼の家族は果たしてインド人のアタシを受け入れるだろうか。アタシと彼はアメリカというフィルターを通して繋がっている。もしこれが外れたらいったいどうなるのかしら。アタシもそろそろ結婚について真剣に考えたい。けれど高学歴、高収入のアタシに近づいてくる男性なんているの! 本当にFでいいのかしら。彼のことはとても好きだけど、ここでもし躓くことがあったら立ち直れない。

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