第35話 ネオンテトラ
これも迷惑駐輪の影響か。エントランスホールに粗大ゴミが不法投棄されていた。茶色に変色した油がべっとりとついた電子レンジ。アシスト自転車に貼ってあるものと同じ警告文がその塊にも貼られていた。
F氏のHPのコメント欄に新たなメッセージが書き込まれた。相手はネオンテトラと名乗った。
『どちらかの会社が運営しているサイトなのでしょうか。もしくは個人でやられているのであればフリーで仕事をされている設計士様でしょうか』
『……』
『個人でされているということでしたら例えば設計を手伝ってもらうということは可能ですか』
『……』
『私も一応軽く勉強してみました。最新のページに掲載されている設計図は間取りはもちろん防災、防犯、物理的に無理が無いか、風通し、固定資産税、どの面においても私のイメージしていたものに近いものです』
『……』
『それほど予算は無いのですがそれでもかまいませんか』
夜通し顔の見えない相手とやり取りしているうちにネオンテトラの人物像が垣間見えるようになってきた。ネオンは都内のどこかで家族三人で暮らしている。間もなく地方に引越す予定だ。実のところもう妻と娘はネオンに先立って村長の自宅の離れを間借りして田舎暮らしを始めているらしい。ネオン本人も仕事の都合で東京と地方を行き来しているが気持ちは家族と共にある。おそらくだが娘さんは病弱で都会暮らしに向いていないのだと思う。ネオンは聞いたこともない楽器を作る職人だった。どうやら聞いたことがないのはF氏だけでなく日本ではたいへん珍しい楽器で世界でも作っている職人はごくわずからしい。楽器の需要が少ないためにネオン家は長らく経済的困窮を強いられてきた。それで地方に引越すことに決めた。引越し先は物価が安くおまけにインフラが完備されているのでインターネットと物流には申し分ない。むしろ村民のネット利用は無制限で無料となっているために世界を相手に注文を受けやすい。しかも兼業農家として農作業に従事すれば自治体のほうで家を建てる費用を賄ってくれるという。ネオンテトラはあらかじめF氏のサイトで気に入った設計図を見つけており、彼と家族のリクエストをそこに盛り込んで設計しなおしてほしいということだ。値段は格安だがこちらも駆け出しだ。何より初めての客というのはモチベーションがあがる。詳細は後日ということでF氏は依頼を受けることにした。
夕食時にサチエから連絡あり。昨夜遅くキクスイ婦人の様態が急変した。サチエの本性にたまたま気付いてしまった隣のベッドの患者だ。キクスイ婦人は集中治療室に運ばれたまま朝になっても戻って来なかったらしい。午後には遺族が荷物を引き取りに来て、遺族が去ると名残惜しむ暇さえ与えられずベッドメイクが済まされた。夕方には彼女の気配はすっかり消されていた。明日には次の患者が入って来ると看護師が言った。サチエは電話の最後にまた薬を変えたと付け加えて通話を切った。
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