第34話 我々は皆 水の中の魚

 隣の三号室は一層不気味さを増していた。ドアには何かを擦りつけたような汚れが日ごと増えていた。床に積まれた新聞記事が朝夕ごとに変わっていく。読み手のない紙面を覗いてみる。官僚の汚職は政治家も巻き込んで隠蔽されかかっていた。あの広い公園から始まったウィルスは感染が広がることもなく、かといって公園が開放される見通しもなく膠着状態を続けていた。アメリカで造られた新しいコンピューターの暴走が止まらない。この件について日本の文部科学大臣が、叩くかコンセントプラグを抜くかすればよいのではないかと記者に話して失笑を買った。サチエのクライアントである建築デザイナーQ氏の横顔が紙面に掲載されていた。都の再開発計画の委員に就任したらしい。自転車盗難多発の文字。ばれないようにそっと元に戻す。不在のはずなのに深夜になると隣室から物音がしていた。いつだったか一度だけ渋い音でドアが開くのが聞こえた。チョコレートは病院にも持って行かず未だ吊戸棚の中に入ったままだった。

 職安でいくつか見繕って紹介状と面接の予約を彼は取り付けた。でもそれで気分が晴れることはなかった。選んだのは建築美術とは関係のない職種だったからだ。サチエに投与される薬が変わった。新しいものは身体に合わなくてサチエは不快な日々を送っていた。耐えられなくなると明け方でも電話を掛けてきて珍しく夫に弱音を吐いた。前の部屋のビジョンは意識して思い浮かべないようにしているにも関わらずより一層明確になっていた。その気になればいつだって鮮明に見ることができる。夕飯のメニューがリンクしている。今夜は肉じゃがだ。向こうのガス台は右、こちらは左。勉強のペースも同じだ。ただ向こうは大き過ぎる窓のせいで外から監視されているような不安感を抱きつつなのに対し、こっちはベランダからの景色を眺めながら優雅にやっている。向こうもこちらと同じく職探しに苦労している。向こうのビジョンは時に現実と区別がつかなくなる。その一方でなにか特別なものはぼやけることが多い。どうやらこちらの知識が不足しているとうまくビジュアル化できないらしい。よくはわからないがどうも向こうは家族構成が違うような気がした。そのあたりが一番ぼやける。一度向こうのビジョンに引き込まれてしまうと狂気と冷静さとの綱渡りで一気にエネルギーを消耗した。自分の頭がおかしいのか。何かに巻き込まれているのか。どちらにしても早くトモナガ氏と話がしたい。


 中庭は風がなかった。窓ガラスに反射した陽さえまどろんでいた。芝生と橙がまたもF氏の季節感を混乱させた。シュレーディンガーは教授とF氏の間で楽な姿勢を取りうつらうつらしていた。もし優しい風が吹いてきたならF氏もレトリーバーに負けないくらい睡魔に襲われたに違いない。

 盲目の老紳士は夫人を介して図書館の中庭に来るよう指示をした。そこがふたりの講義室だ。

「では本題に入る前に少しだけ多次元について説明しましょう。あらゆる物質は原子の組み合わせによってできています。我々の座るベンチも呼吸する空気も人や犬の身体もすべて原子でできています。この原子は原子核と電子から構成され、さらに原子核は陽子と中性子で構成されています。ついてこれていますか。よろしい。ではこの陽子と中性子が一番細かく分けられた、言い換えればこれ以上分けられない最小かというとそうでもなくて、さらに小さく分けることもできます。ここに量子論という分野が登場します。それではどこまで小さくなるのか。実はまだよく分かっていません。

 アインシュタインの提唱した相対性理論は宇宙をマクロに見る学問です。一方量子論はミクロです。物理学者は常に物の理を簡潔な数式で表したいと考えています。もう少しなじみやすい表現をするならば物理学者は神の創った世界をたったひとつの言葉で受け止めたいと願っています。ちなみに物理学者の場合この言葉とは数式になります。数式は世界共通なので行き違いがないのです。余談ですが教科書で数学者として紹介されているピタゴラスも正確には宗教家です。彼もまた神の言葉は数式であると信じていました。しかしながら貴方は数学が苦手と仰ったのでなるべく数式は使わずに話すことにしましょう。

 さて神が創造した宇宙の仕組みをたったひとつの数式にまとめてしまおうと考えていた物理学者達はなんとかして相対性理論と量子論を繋ぎ合わせようとしていました。ところがどうしてもこれが上手くいかない。宇宙をマクロに見る相対性理論とミクロに見る量子論とでは相性が悪いのですね。これは物理学者にとってはたいへん不愉快なことです。なんとか一緒にしてしまいたい。そこで浮上してきたのが超ひも理論です。この世界の最も小さな物は球ではなく輪ゴムのような紐のような形をしているのではないかという仮説です。まあ厳密には本当に紐の形をしているのではなく計算上紐のように振る舞うということですが。

 この超ひも理論を用いれば上手く相対性理論と量子論を繋ぎ合わせることができそうでした。しかしひとつの解決が新たな問題を生み出します。超ひも理論を採用すると今度は計算上この世界は四次元時空ではなく最低でも一一次元、もしかしたら二六次元が三二次元かそれとももっとあるかもしれないということになってしまいました。確認しておきますと我々が生きているのは四次元時空です。縦、横、高さの三次元。これにアインシュタインが一方向の時間を足して四次元時空と呼びました。厳密にはアインシュタイン以前にもSF作家がそれを示唆していましたがね。ちなみになぜ時間が一方向なのかはまだ解っていません。

 話を戻しましょう。相性の悪い相対性理論と量子論を一緒にするには超ひも理論を採用するのが都合が良い。しかしこの理論を採用すると少なくともあと七次元は足りなくなる。さて他の次元はいったいどこに行ってしまったのでしょう。これには様々な説があります。宇宙が誕生した瞬間、いわゆるビッグバンですね。この宇宙の誕生から間もなくして他の次元は消滅してしまったという説。他にも四次元以外は見えないくらいに小さく丸まっているという説。地球は人工衛星から見ると丸いですが我々が住む地表は凸凹ですね。山もあるし海もある。東京は歩いていると坂道だらけです。おまけに人間は凸凹の土地の上にさらに家やビルまで建ててしまった。どう見ても地表は球面ではありません。でも人工衛星や月から見れば紛れもなく地球は丸い。同じように四次元以外の七次元も確かにそこにあるのだけれどあまりに小さく丸まっていて見ることも干渉することもできないのではないかというのがこの説です。どのように丸まっているのかというとよくカラビ・ヤウ図形というもので表現されたりします。他にも説があります。たまたま我々人類は四次元時空のみという特異な場所に生まれただけであって、手を伸ばせば届く場所に残りの次元は存在しているという人もいます。例えるなら我々は水の中の魚です。魚は水中で産まれて一生水の中で過ごしますね。彼等にとって水中こそが宇宙です。ですが水面まで上がって来ると彼等とは別の宇宙が水中の外に存在することを知ります。そしてその別の宇宙にも生物が住んでいます。地上に住む魚から進化した我々動物こそがそれにあたります。魚はまれに己の力で水面から飛び上がります。トビウオのように短い時間ではありますが積極的に水の世界から空中へ飛び上がる種もあります。それと同じことが次元にも言えるかもしれません。魚と同じように我々人間は自分達の暮らす四次元時空こそが宇宙のすべてと思っていますが水中から飛び出せば別の次元を垣間見れるかもしれません。さていくつか紹介しましたがはたしてどの説が正しいのか。それとも真実は別なところにあるのか。残念ながらまだ解明されてはいません」

 利発そうな学生が中庭にやってきて教授を迎えに来たと告げた。

「残念ながら時間です。続きはまた明日にしましょう」

 隣で寝ていたシュレーディンガーが耳をぴくと動かして眼を開けた。

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