第15話 真面目な人が損をするようではいけませんので

 サチエの自転車は相変わらずぽつんとひとつだけ目立つ場所にとめられていた。さっそく籠の中に丸められたチラシと飲みかけの空缶が捨てられていた。F氏はそれをつまんでゴミ庫に捨ててから区役所へと向かった。


 呼ばれて窓口に立つと待っていたのは昨日の男ではなくて肩にほつれのあるカーディガンを羽織った女性だった。佇まいから昨日の職員の上司だろうということはだいたい推測できた。なにが始まるのだろうと待ちかまえていたら彼女が神妙な顔つきになって深々と頭を下げた。本籍変更の手続きを済ませるのに一日では足りないというのだ。

「通常ですと二週間程ほどかかります」

 女性職員の説明によると昨日受理された時点で実はF氏のやるべきことはすべて終わっていたらしい。あとは気になるようであれば各自で本籍の確認をしてもらうしかないと彼女は付け足した。

「本当にわざわざお越し頂いたのに申し訳ございません」

 F氏は自嘲的な笑みをしてみせた。謝罪されただけでもラッキー。頭を下げた女の肩越しに癖毛の職員の姿が現れた。対峙する同僚の姿勢から彼が職場で腫れ物扱いされていることをF氏は察した。おそらくコネで職場に捻じ込まれたのだろう。仕事は人並み以下で発言力と待遇だけは倍というやつだ。

 女性職員は下げていた頭をあげると今度はおずおずとした声音で申し出た。「本来でしたらそういったサービスを区はしておりませんが、もしよろしかったら本籍変更が完了した時点で私の方から手紙をお送りするという事でいかがでしょう」

 F氏はそこまでしなくてもと返事をしかけて止めた。別に悪者になったって良いじゃないか。そう思い直して彼は手紙を送ってもらうことにした。

「あの、それからですね」と女性職員が付け加えた。「たいへん申し訳ないのですが、もしかすると二週間よりもっと日数が掛かるかもしれません」

「何か理由でも」

「はい。ほら、最近例の汚職疑惑が報道されているでしょう。ひょっとするとこちらの部署にも影響が出るかもしれませんので。そうなると」と彼女は言葉を濁し、少し間を置いてから続けた。「もちろん職員一同職務に滞りの無いよう努力してまいりますが、現状ですと何が起きるか分からないもので」

 F氏はなぜ官僚の汚職が区役所の業務に影響を与えるのか理解に苦しんだ。いったいどういう繋がりがあるというのだ。言い訳にしてもヘタ過ぎる。だが彼女の表情を見ると嘘を言っているようにも見えないのでF氏は彼女を信じることにした。そしてこう付け加えた。

「貴女もたいへんですね」

 F氏の言葉を受けて女性職員が微笑した。彼女は的外れかなとも思ったが真意は伝わるだろうと普段口癖のように発している言葉を添えた。

「真面目な人が損をするようではいけませんので」


 女性職員は窓口を去っていく男を見送りながら、彼も自分と同じ貧乏くじを引いてしまうタイプなのかなと想像した。彼女はそっと男の背中にエールを送った。

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