第5話 1つ目の謎

 それから、何をするでもなく談話室で過ごし、昼食の時間になった。秋月先生、詩樹先生、野呂さんと次々と先生方が集まってきた。しかし、十分経っても大向先生は姿を現さない。  

 野呂さんは大きなため息をつく。

「大向先生の様子を見てまいります。皆様は先にお食事をなさってください」

 そう言って談話室から出て行った。私達は野呂さんの言う通りに弘川さんや近藤さんの運んでくる料理を食べていった。しばらくすると野呂さんが帰ってきた。

「あの、大向先生は?」

 かえって来た野呂さんに尋ねる。

「ええ……。『気分が悪い、飯は部屋に運んでくれ』だそうです。近藤君、昼食を大向先生にお運びして」

 きっと、まだ機嫌が治っていないのだろう……。大向先生から始めたとはいえ、うちの先生にも原因の一端はあるわけだし、少しは責任を感じてしまう。当の先生は、といえば、何事もないようにお昼を食べている。どうやら、完全に興味がないらしい。 

 みんなが食事を食べ終わって、食後の飲み物を飲んでいる時に野呂さんが徐に立ち上がり、全員にカードを配った。カードには暗号? のようなものが書かれている。その内容はこのようなものだった。


『HNLZZEHC→ILOVEYOU


 SJXRFEHC→THANKYOU


 ACZOTUNZIYDY→?』


「まずはこの暗号を解読し、その指示に従ってください」

 野呂さんは笑顔でそう言った。何が何だかさっぱり分からないので、私にはその笑顔が不気味にすら思えてしまった。私だけでなく、先生方も頭を悩ませているのだろう、みんなそれぞれに考えている様子が見て取れる。

「紙とペンってある?」

 先生のその言葉に脊髄反射するがごとき速さで、弘川さんが紙とペンを差し出す。先生はアルファベットを書き出し、何回かその紙の上でペンを右、左と動かして、急に笑顔になった。

「分かったわ。じゃあ」

 そう言って談話室を後にした。そうして、しばらくするとまた談話室に戻ってきて、さっきのように座り直し、コーヒーを飲みだした。私は、相も変わらず、さっぱり意味が分からない。もうギブアップ寸前である。

「澄空先生。私にもその紙、貸していただけるかしら」

 秋月先生のその言葉に、先生は黙って紙とペンを手渡した。秋月先生もそのアルファベットだけが書かれた紙の上で先の出ていないペンを右、左に動かした後、立ち上がって談話室を後にした。その後、先生と同じように一、二分ほどして帰ってきた。

 その二人の様子を見て、乙ヶ崎さん、詩樹先生も何かに気が付いたようようで、弘川さんから紙とペンを受け取り、アルファベットを書き込み、二人と同様にペンを右、左と動かして談話室から出て行き、そしてしばらくして戻ってきた。どうやらこの部屋の中でこの謎が解けていないのは私だけらしい。

「野呂さん……。これってギブアップとかってありますか……?」

 苦笑いしながら質問するが、野呂さんは笑顔で、首を横に振るだけだった。

 そんな私を見かねてか、先生がアルファベットの書かれた紙を手渡してくれた。そして、Hをペンで指した後、右隣のIにペンを移す。次にNをペンで指した後に、二つ左隣のLを指した。そして、ペンを置いて何事もなかったかのようにコーヒーを飲みだした。

 ヒントはここまで、という事なのだろう。これで解けなかったら先生にどんな目で見られるか分かったもんじゃない。私は先生のヒントをもう一度頭の中で整理する。『HNLZZEHC』が『IOVEYOU』になって、Hは右隣のI。そして、Nは二つ左隣のL……。

(もしかして!!)

 私は自分が考えたことが、正しいかどうかを確かめるために他のアルファベットの確認を行う。どうやら、これで正しいみたいだ。

 この暗号は、奇数番目のアルファベットを右に、偶数番目のアルファベットを左にずらせば答えが分かる。ただ、一つずつずらせばよいのではなく、その番号の分、ずらさなければならないのである。つまり、一文字目ならば右に一つずらし、二文字目ならば左に二つずつずらすという事だ。

 この通りで、暗号を解読すると『ACZOTUNZIYDY』は『BACKYOURROOM』おそらくは、部屋に戻れという事だろう。

 私は、談話室を出て、自分の部屋に向かうとドアに紙が貼られていた。そこには『机の引き出しを開けろ』と書いてあった。部屋の入り指示通りに引き出しを開けると、封筒が置いてあるのを見つけた。その表面には、『この封筒を持って談話室に戻れ。この封筒は誰にも見られるな。』と書いてあった。私は、これでようやく先生達の不可解な行動の意味が分かった。

 そして、それを取って、急いで談話室に戻った。

 私が談話室に入ると野呂さんは見た目とは不相応な悪戯っ子のような笑顔を私に向けた。

「今の暗号はいかがでしたかな?」

 私はその言葉に思わず苦笑いをしてしまう。

「一番初めから難しくないですか? 全然分かりませんでしたよ」

「それはよかった。一人でも悩んでいただけたようで、安心しました。他の先生方はすぐに解いてしまわれたのでこの暗号はあまりにも簡単なものかと思ってしまいました。実を言いますと私はこの暗号をかなり気に入っておりまして、この暗号をこのミステリーツアーの開幕の謎として使おうとかねてから考えていたのですよ。他の先生方はどうでしたでしょうか」

「けっこう難しいと思いますよ。ボクが解けたのだって澄っちの様子を見てだったしね。一人だったらもっと時間が掛かったと思いますね」

「私も良い暗号だと思います。ただ、普段から謎を考えたり、仕事で触れたりする私たちのような職業の人間ならともかく、一般の方々がヒントなしでこの問題を解くのは少々骨が折れるのではないでしょうか。現に来弥さんも解くのに苦労されていたようですし、何か分かりやすいヒントを設けた方が良いのではないでしょうか」

 野呂さんは乙ヶ崎さんと秋月先生の意見を聞いて、考えるように唸った。そして、詩樹先生の方に目を向ける。

「詩樹先生はいかがだったでしょうか」

「自分も初めからこのレベルの暗号を出すのは厳しいのではないかと思います。最初はもう少し簡単な問題からにしてみてはどうでしょうか。どうしてもこの暗号を最初に持って来るのなら、例の単語はもう少し短めのものを使うべきかと……」

「ふむ、なるほど……。では、澄空先生はどうでしょう」

 私はその言葉に少しドキッとしてしまった。この問題をあれだけさらっと解いてしまった上に、あれだけ物事をはっきり言う先生のことだ……空気も読まず、「簡単すぎてつまらないわ」なんて言いかねない。

「そうね。確かに一番初めの問題としては難しいと思うわ。あと最低、紙とペンは事前に配っておくべきでしょうね。アルファベットが書いてある紙も配ればいいヒントになるんじゃない? まぁ、細かなことを言えば、英語が間違っている、なんていうのもあるのかもしれないけれど、意味は分かるだろうし、問題はないと思うわ」

 あぁ、先生がまともなこと言ってる……。私はその言葉に不思議とほっとしてしまう。全員の意見が出終わったところで、野呂さんから部屋の机引き出しに入れられていた封筒を開けるように指示が出された。封筒を開けると、中にはカードが入っており、表には『明桜社』、裏には『来弥凪』と書かれてあった。

「ん? なんだ、これ? 会社の名前?」

 私のその言葉に真っ先に反応したのは乙ヶ崎さんだった。

「おや? もしかしてこのカード全員違うのかな? ボクのは『霧に沈む街』と『雨音』って書いてあるんだけど。もしよければ、全員分見せてくれないかな?」

 野呂さんを見ると、止める様子もないので、どうやら禁止行為ではないようだ。全員分のカードが机に置かれそこには『赤の殺人鬼』と『澄空黄昏』、『ノスタルジア』と『秋月紅葉』、『さざめく死体』と『詩樹』と書いてあった。

「すみません。私はよく知らないのですが、秋月先生のカードの『ノスタルジア』というのは秋月先生の作品名ですか?」

「ええ、私の処女作ですわ」

 つまり、私以外は先生方のペンネームと作品名である。ただ、これだけでは何が何だか、さっぱりだ。野呂さんの方を見ると少し困ったような表情を浮かべる。

「申し訳ありません。実は、この問題は全てのカードが出て、初めて本当の意味に辿り着けるような作りになっておりまして。大向先生のカードは大向先生の部屋にありますので、現状これから先のミステリーツアーを進めることが出来ないのです……。内容を話してしまえば、問題は解けるには解けるのですが……」

 それは困る、とでも言いたげな表情だった。全員が空気を読むという形となり、明日までに大向先生が部屋から出てこない場合には、別の問題を先に出題するという事になった。今日のツアーの内容はここまでという事で、夕食までの間、各々が自由に時間を過ごすことになった。

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