第4話 新たな出会い
バスが走り始めてからどれくらい経っただろうか。アイマスクで視界が塞がれているせいか時間の感覚がおかしくなっている。バスにも何か特殊な加工をしているのか、外の音がほとんど聞こえない。エンジン音ですらとても遠くから聞こえているかのように感じる。ぼんやりとそんなことを考えているとバスが少しずつスピードを落とし、停止した。
「皆様、アイマスクを外していただいてかまいませんよ」
その言葉を受けて、私たちはアイマスクを外す。目に届く光があまりにも眩しくて思わず目を閉じる。目が光になれるのには多少の時間を要した。
バスを降りると目の前にはいかにも、ミステリー作品に出てきそうな洋館が立っていた。
さすがの先生もこの洋館には多少の興奮があったらしく、目を輝かせている。こういうところを見ると先生が年下だと言う事が実感できる。いつもこうしていれば、もっと可愛げがあるのに、とつい思ってしまう。その奥では、自前の一眼レフで一心不乱に写真を撮る乙ヶ崎さんの姿も見える。
そんな私達の様子を見て、野呂さんも嬉しそうに頬をほころばせている。
「さぁ、そろそろ屋敷の中に入りましょうか」
そう言って、野呂さんは徐に入り口のドアを開き、私たちを招き入れた。
中に入ると、それぞれの部屋の鍵を渡された。
私の部屋は二階の一番奥、二〇六号室。先生はその隣の二〇五号室。乙ヶ崎さんは私の前の部屋、二〇三号室だった。私達は、自分の荷物をそれぞれの部屋に置いてから集まるように言われていた談話室という大きな部屋へと集まった。
そこには三人の参加者がいた。
「皆様、本日はミステリーツアーのモニターにご参加いただきましてありがとうございます。私はこのミステリーツアーの主催者であります、野呂潤と申します。皆様にはまず自己紹介をしていただきたいと思います。では、大向先生から時計回りにお願いします」
野呂さんに促されて立ち上がったのは、和服の男性だった。いかにも頑固そうな大御所といった感じで、あまりいい印象は受けない。
「わしは大向翁(おおむこおきな)。最近は新作を執筆などしていないが、昔はそれなりに筆を振るっておった。今日から三日ほどの付き合いじゃが、よろしく頼む」
次に立ち上がったのは、フードをかぶって、口には棒付きキャンディーを咥えた男の子? 女の子? だった。
「えっと……自分の名前は詩樹(しき)です。最近、『さざめく死体』っていう小説でデビューしたばかりなんですけど……。えっと……まぁ、よろしくです」
声からも男の子か女の子かは判断がつかない。大向先生はそんな詩樹先生の態度が気に入らないのか、少し眉間にしわを寄せて腕を組んでいる。確かにあまりいい態度ではないとは思うけど、そんな不機嫌な顔をするほどでもないだろう……。
次に立ち上がったのは乙ヶ崎さんだった。勢いよく立ち上がったのと同じ方向に彼女の豊満な胸が大きく揺れる。思わず目が吸い寄せられる。
「これは、ペンネームを言っていく流れかな? ボクの名前は雨音。ボクもデビューしてから日が浅いから、詩樹先生とは似た者同士だね。これから三日間よろしく頼むよ」
その挨拶の後、みんなの視線が私に刺さる。ついに来てしまったか……。
「最初に申し上げておきますが、私は、小説家ではありません。私はこの澄空黄昏の編集者をしております。来弥凪と申します。よろしくお願いします」
そういって、一礼だけして、座った。先生と乙ヶ崎さん以外の先生方は少し訝しげな表情をしていたが、口を開くことはなかった。それだけで私の胃は守られたのかもしれない。
私が先生の方に目を向けると、明らかに面倒くさそうな顔をしていた。先生は黒色のウィッグを外しながら立ち上がる。先生が、頭を左右に振ると、それに続いて金色の絹のような髪の毛も左右に揺れる。そこにいた全員の目がその美しい黄金色の絹に釘付けになったことだろう。
そして先生は「澄空黄昏。よろしく」と、本当に最低限の挨拶だけをして座った。あまりにも美しく、流れるように行われた、その自己紹介に大向先生でさえも呆気に取られて不満を顔に出す暇もなかったようだった。
最後に先生の隣に座っていた綺麗な女の人が立ち上がった。長く綺麗な長髪で、赤を基調とした色の和服に身を包んだ、私よりも二、三歳ほど年上であろう、色香の漂う女性である。
「秋月紅葉(あきづきもみじ)と申します。皆様のような才気あふれる方々の中に入れていただけて、大変光栄ですわ。これから三日間よろしくお願いいたします」
そう言ってひときわ丁寧なお辞儀をして席に着いた。
「ありがとうございました。それでは、次にこれから三日間、皆様のお世話をさせて頂く当館の使用人の紹介をいたします」
奥から三人の人間が出てきた。男性二人と女性一人である。男性の内の一人はコックのような恰好をしているので、料理担当なのだろう。
「右から、主に男性陣のお世話を担当させていただきます、近藤。女性陣のお世話をさせておただきます、弘川。最後に料理を担当させていただく、梅野でございます。もし何か御用がございましたら、遠慮なくこの者達にお申しつけください。少々遅くなってしまいますが、十四時三十分から昼食の時間となりますので、それまでのお時間はお自由にお使いください」
野呂さんはそう言って、軽く一礼し、談話室から出て行ってしまった。現在の時刻は十三時三十分。部屋を出て、何かするような時間でもないな……。自由にと言われても、何をすればいいのか分からない。先生たちも同じなのか、誰一人として立ち上がろうとはしなかった。静寂が談話室を包み込む。その静寂を破ったのは、やはり先生だった。
「ここって、何か飲み物はあるの?」
その先生の言葉に弘川さん微笑む。
「ええ、ございます。何をご所望でしょうか?」
「……そうね。じゃあ、コーヒーをいただけるかしら」
「銘柄は何にいたしましょうか? もしよろしければ、私のオリジナルブレンドなどもございますが?」
「……せっかくだから、オリジナルブレンドをいただくわ」
「かしこまりました。少々、お待ちくださいませ。他の方々は何かお飲み物などいかがでしょうか?」
「じゃあボクはオレンジジュースを」
「自分は結構です」
「じゃあ私もコーヒーをお願いします」
「私は緑茶をお願いいたします」
「……ウイスキーはあるかね?」
うわ、大向先生こんな時間からウイスキー飲むんだ……。
「ええ、ございます。銘柄はこちらからお選びください」
弘川さんが、メニュー表のようなものを大向先生に渡す。大向先生はメニューを一瞥し、指を指しながら「これを頼む」とぶっきらぼうに言っていた。
「飲み方は、いかがいたしましょうか?」
「ロックで頼む。できれば、ボトルごと持ってきてくれ。自分で注いで飲みたいのだ」
「かしこまりました」
それぞれの飲み物が行き渡り、それぞれが自由に飲み始めた。詩樹先生だけは、ずっと携帯ゲーム機を弄っている。私は、先生の様子を横目で見ながら、コーヒーを口に含んだ。
「あ、美味しい」
自然と口から、言葉があふれた。本当に美味しかった。コーヒー独特の香りが濃密なのにしつこくなくて、鼻を軽やかに通り抜け、口に残る苦みも、ただ苦いだけでなく、程よい酸味が交じり合っていて心地よい。私の様子を見て、弘川さんは嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「それで、来弥君だったかな? 君はどうしてここにきたんだね?」
一杯目のウイスキーを飲み干し、二杯目をグラスに注いでいる大向先生が唐突に言った。
「どうして……と言われましても、私は先生が来いとおっしゃるので来たんです」
「そうかね。それにしても、やはり澄空先生の編集は大変そうだね。我々、小説家仲間の間でも有名だよ」
「はぁ、そうですか」
……それを澄空先生の前で言う必要があるのだろうか? 横柄な態度の彼に対して少し怒りの感情が沸き上がった。
先生は、というと全く気にも留めていないようで美味しそうにコーヒーを飲んでいる。おそらく大向先生は皮肉を精一杯に込めてそう言ったのだろうが、先生のあまりの無視っぷりにまた、怪訝そうに眉をしかめた。
「まぁ、澄空先生は今、売れに売れているからね。それくらいの我儘も受け入れられたのだろう。あまりいい態度とは思えんがね」
大向先生の言葉は先ほどの婉曲的なものではなく、ずいぶんと直接的な口撃となって先生へと向かっていった。先生はいかにも面倒くさそうにコーヒーカップを徐にテーブルの上に戻した。ゆっくりと足を組み、冷ややかな目を大向先生に向ける。
「はぁ~。あなたは、一体何が言いたいのかしら。自称でも一応小説家なのだから、もう少し読者に分かりやすい文章を構成して見せたら? お堅い文章書いてれば、有能な物書き、なんてことはないのよ? 私が気に入らないのなら、直接そう言いなさいよ。編集さんを巻き込むなんて、回りくどいやり方をしないでね」
その言葉に激高した大向先生はグラスを持っていない方の手でテーブルをたたきながら立ち上がり、先生に向かって指を指しながら、怒鳴り上げた。
「貴様!! 年上の人間に対して、なんだ、その口の利き方は!!」
先生は髪をかき上げ、蔑むような視線を大向先生に向ける。
「年上なら、年上らしく少しでも尊敬される態度をとってみたらどうかしら。私、尊敬もできない人間に対して敬語なんて使いたくはないのだけれど」
大向先生は、ウイスキーの入ったグラスをテーブルの上に叩きつけた。まだ中に入っていたウイスキーが手を濡らしている。結婚指輪であろう金の指輪からウイスキーが茶色の涙のように滴り落ちている。大向先生は、般若のごとき形相で先生を睨みつけながら、濡れた手を拭くこともなく、談話室から出て行った。
「いやはやー。流石、澄っちだねー。あの大向先生も形無しだよー」
椅子を斜めに傾けながら、オレンジジュースを片手に乙ヶ崎さんがそう言った。心なしか楽しそうにしているのは気のせいだろうか。
「あの……大向先生って有名な方なんですか? 私はよく知らないのですが……」
「んー? まぁ、有名……?」
なんで、疑問形なのだろうか?
「あの人は世紀の一発屋だからね。最近の人じゃ知らない人も多いかもね。処女作の『皐月の雨』以外はそこらの素人が書いたものの方が面白いレベルだし。特に、二作目の『月の城』なんてひどいなんてものじゃなかったらしいね。まぁ、自分たちがあの人を知っている理由は、さっきみたいに有能な新人に嫌がらせをして、潰そうとするからなんだけど。業界一の嫌われ者なんだよ」
私の心の中の疑問を解決してくれたのは、さっきまでゲームに夢中だった詩樹先生だった。
「そ、そうなんですか?」
「そうなんですよ。他のお二方には申し訳ないけど、この中じゃ澄空先生が一番有力株だしね。口撃したつもりが逆に恥かかされちゃって……。ウケるね、本当に」
「それでも澄空先生の言い方は感心できませんわ。あれでも、長くこの世界で生きていらっしゃる方なのですから」
今度は、緑茶を口に運びながら、秋月先生がそう言った。先生は不満げに口を膨らませている。
「生きているのではなくて、最初の印税で食いつないでいるだけじゃないですか。そんな
人、尊敬できるわけないですよ」
「おや? 澄っちが敬語を使っているところなんて初めて見たよー。秋月先生は少なくとも尊敬に値する先生なわけだ」
乙ヶ崎さんのその言葉に先生は恥ずかし気に顔を赤くする。確かに先生が敬語を使っている所なんて初めて見た……。
そういえば、私も敬語使われてないな……。まぁ、いいんだけど。
「あらあら、澄空先生に尊敬されるなんて光栄ですわ。さて、そろそろ私も失礼させていただきますわ、少々、仕事が残っているものですから」
秋月先生は、緑茶を飲み干すと、湯飲みを置いて談話室を後にした。
その二、三分後に「じゃあ、自分もこれで」と言って詩樹先生も部屋から出て行ってしまった。
「いやーみんな部屋かに行っちゃったねー。ボク達はどうしようか?」
「あら? なんで犬がしゃべっているのかしら? 犬なんだから四つん這いにでもなってなさいよ」
「あぁ♡ 澄っち、いきなりエンジン全開♡」
「乙ヶ崎さんは放っておくとして、本当にこれからどうしましょうか」
「あれ? もしかして、凪さんもナチュラルS♡?」
何言ってんだ? このドM。
「別にあなたも部屋に戻っていいわよ。ツアーの内容が始まるまで、私もすることがないもの。コーヒーもう一杯頂けるかしら?」
弘川さんが一礼して、キッチンへ向かった。さて、本当にどうしようか。部屋に戻ってもすることがないし、暇をつぶそうとスマホを開いたが、圏外になっていた。いったいどこまで来たのだろうか? 随分と本格的だな……。
これで殺人事件でもおこったら、本当に推理小説じゃないか。
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