第2話 初めてのネタ探しへ
ジリリリリㇼ
目覚まし時計特有の嫌な金属音で私は目を覚ました。
今日からは、会社に出社しなくてもいいことをすっかり忘れて、いつも通り七時に起きてしまった。私の家から先生の家まではどんなに時間がかかっても三十分といったところだろう。これから二時間半もどうやって過ごそうか……。二度寝しようにもいつもの習慣からか、体が完全に目覚めてしまっていて二度寝しようという気にもならない。
「とにかく、朝ご飯でも食べるかな」
冷蔵庫を開ける。
「あっ……忘れてた。何にも入ってないんだった……」
一度やろうとしていたことが途中でできないとなるとなんだか途端ににやる気がなくなってしまう……。もはや、コンビニに行くのすら面倒くさい……。
そんなことを思っていると、どこからかスマホの着信音が聞こえる。軽く周りを見渡すが、見当たらない。音を頼りにスマホを探していると昨日着ていたスーツの内ポケットの中だった。いつもはきちんと掛けられているはずのスーツが脱ぎっぱなしで、床に投げ捨てられているところを見るとどうやら昨日の私は相当疲れていたようだ。
スーツからスマホを取り出すとその画面に映された文字は悪魔の名前……もとい、澄空先生という文字だった。急いで出ようとしたが、スマホを取り出すのが遅かったようで、先生の名前を確認してすぐに着信は切れてしまった。
折り返そうとしていると、そんな間もなく、再び着信が入る。今度はノータイムで電話に出る私。
「お、おはようございます! さっきはすいませんでした! 寝ぼけていたもので!」
私の様子とは打って変わって冷静な……というか冷静から静の部分を綺麗に濾過したような声が私の耳に届く。
「おはようございます。こんなに朝早くに電話をしたこっちが悪いし、別に、謝らなくてもいいのだけれど……朝早くから耳元でそんな大きな声を出さないで。頭に響く」
血の気が引くっていうのはこういう事を言うのだろう……。私も別の意味で冷静から静の字を引いた状態になりそうだ。
「ご、ごめんなさい。それで、何か御用でしょうか?」
『あ、それなんだけど。今日の予定早まっちゃって、今から東京駅に来てもらえる?』
「え……。い、今からですか? ……分かりました。すぐに向かいます」
その言葉を聞いて、先生はすぐに電話を切ってしまった。そうして、すぐにまた今日の予定を聞く機会を失ってしまったと後悔する。
まぁ、そんなことばかりを考えてもいられないので、昨日準備したバッグといつもの仕事道具を担ぎ、昨日とは違うスーツに身を包んで、結局いつものような時間に部屋を後にした。
*
無事、東京駅に辿り着いたところで、ようやく澄空先生との待ち合わせ場所を聞いていなかったという事に気づいた。
「待ち合わせ場所は東京駅」といったって田舎の駅じゃあるまいし、待ち合わせ場所を指定しなければ合流など出来るはずもないのである。
ここ二日の自分の計画性の無さ、というか振り回され様には、いささか問題があるように思えて仕方がない。
「あの……編集さん?」
私はスマホを取り出して先生に電話を掛けた。スマホを耳に当てると私の耳に届く音と若干のタイムラグを生じながら、近くで同じ着信音が聞こえた。少し違和感を覚えつつも、先生が電話に出るのを待つ。
「あ、澄空先生ですか? 東京駅には着いたんですけど、待ち合わせはどこにしますか?」
私のそんな言葉に苛立ちを隠せないような声がスマホの向こう側……だけでなく、私の耳に直接届く。
『「後ろにいる!!」』
「うわぁぁ!!」
思わず倒れこんでしまった。先生は、明らかに不満げな様子を顔に浮かべている。
私はすぐに立ち上がって全力で頭を下げた。少女に全力で頭を下げている成人女性に周囲から、槍のような鋭い視線が向けられていることは言うまでもなかった。そんな私の様子に、今度はあきれたような表情の先生。
「もう、いいわよ。というか、そろそろやめてもらえない? 奇異なものを見つめる視線に耐えられないのだけれど……」
「す、すいませんでした」
また、軽く頭を下げて謝った。顔を上げると先生の姿に尋常じゃないほどの違和感を覚える。白色のワンピースに黒色のスーツケースを手にしている。ここまではいたって普通……いや、無茶苦茶可愛い……あ、そんなことはいいとして、何の変哲もない格好なのだが、先生の頭から伸びる髪の毛が「真っ黒」だった。
昨日までのあの見事ともいえる金髪を見てからこの姿の先生を見れば、私の感じている違和感も分かってもらえるだろう……。
そんな私の様子から、何かを察したようで質問の前に答えが返ってきた。
「金髪は目立つでしょ? 私、無駄に目立つのって嫌いなの」
そう、ぶっきらぼうに言い放った。確かにあの金髪はひどく目立つ、だからと言って、元々人間離れしているともいえる先生が黒髪にしたところで、目立たないという事もないのだが……。
その証拠に、さっきから先生に視線を吸い寄せられている男たちが横を通り過ぎているのだが、このことに、先生は気づいていない。
「と、ところで、今日はどこに行くんですか? 私、何も聞かされてないんですけど……」
「それはそうでしょ。言ってないもの」
真顔で先生はそう返した。
「で、そちらに?」
「金沢」
「え?」
「知らない? 石川県の県庁所在地の金沢市。石川県よりむしろ金沢の方が有名だと思うのだけれど」
「そ、それはさすがに知ってますけど……。金沢で三泊もするんですか? 私、宿とか予約していないんですけど」
「それもそうでしょ。頼んでいないもの」
先生はまた真顔で答える。
「宿のことは心配しなくても大丈夫よ。準備してもらっているから。あと、これ新幹線のチケットね」
「はぁ、ありがとうございます。……でもこういうことは事前に私にも伝えてもらえませんか? 取材なら、ある程度、経費で落とせますけど……。事後報告すると、経理の人に怒られるんですから……」
心底困った私の様子が、どこか可笑しかったのか先生は相貌を崩す。この時、彼女の笑った顔を初めて見たのだが、年相応の少女らしい可愛さがそこにはあった。
「ふふ、まぁ、それも心配しなくてもいいわよ。どちらも先方が出してくれるそうだから」
「??? 先方……って?」
「あ、もうこんな時間。ほら早くいくわよ。編集さん」
質問を遮って、先生は私の手を掴み、小走りで駅のホームへと向かう。チケットを見ると残り十分もないくらいの時間だった。
先生に手をひかれるままに、ホームへと向かい、ぎりぎりの所で新幹線へと乗り込んだ。
自分の席はどこか、と思いながら、先生の後についていくと、まさかのグランクラス……。初めて乗った……。というかこんなところに私がいてもいいのだろうか。後から、「やっぱり、経費で落として」とか言われたらどうしよう……。
窓に映る自分の顔が青白く変色している。通路を挟んで反対側に座っている先生は、そんな私を見てまた笑っている。
人の不幸を笑うなんて、なんて酷い人だ……。
そもそも、私がこんな人間にあるまじき顔色をしているのは先生のせいだというのに……。
「……それで、金沢で何をするんですか?」
「え? あぁ、そういえば言ってなかったわね。はい、これ」
先生から渡されたのは一枚の手紙だった。
今時珍しく封蝋がされている。手紙には
『ミステリーツアーのご案内。
突然のお手紙、失礼いたします。
来春より、弊社では、体験型ミステリーツアーを開催することを企画しております。三月十五日からの三日間、石川県、金沢市におきまして、数名の小説家の方々をモニターとしてお招きし、実際にミステリーツアーを体験していただきたいと思っております。
澄空先生におかれましては、是非ともご参加いただけないかと思っております。
交通費、宿泊費に関しては、全て当方が負担し、御礼もご用意させていただいております。
御参加に関しましては、三月十日までに、こちらの番号にお問い合わせください。
〇〇〇〇―〇〇〇〇―〇〇〇〇
NORO JUN 」
と書いてあった。なるほど。先生はこれに参加するため……に……。
「……先生、ちょっと待ってください。私は小説家じゃないんですよ!? へ、編集ですからね!? わ、私が参加していいんですか?」
「それなら大丈夫よ。確認は取ったから。それにいざとなったら、旅費もすべて経費で落としなさいよ」
「だから事前に行ってくださいって言ってるんですよぉ!? 怒られるのは私なんですからね……」
あぁ、胃が痛い……。もうやだ……。帰りたい……。
……そういえば、私が行くことって昨日決まったよな? もしかして、私が帰ってから確認取ったのか!? ってことは、確認も取れていない内から、私に準備させてたってことだよね!? というか、参加の電話は三月十日までだし。どれだけ、行き当たりばったりなんだ……。
ますます胃が痛くなってきた……。近くに薬局ってないのかな? あ、ここ新幹線の中だ……。
「ふふ、経費で落とせなかったら私が払うわよ。それくらいのお金を出せるぐらいは持っているつもりだから」
……ええ、そうでしょうとも。私は、所謂「ジト目」というやつで先生を見つめる。そんな私を見て、先生はまた頬を緩ませる。
何が一番納得いかないって、先生の笑顔を見るとなんでも許してしまいそうになることだ……。
私は不安という大きな鉄の塊を抱えながら、窓の外を流れる景色を見守った。
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