澄空黄昏の推理ゲーム〜天才小説家の推理日記〜

宮間風蘭

第1話 天才小説家との出会い

「はぁ~」

 半ば諦め交じりについたそのため息に、隣のデスクの中村さん(私より五年先に入社した先輩、筋トレが趣味らしく、筋骨隆々という言葉を絵に描いたような人だが、基本的にいつもニコニコしていて優しい先輩だ……。) が明らかに憐れみを帯びた目線を向けてくる。

「憂鬱そうな顔だな……。そういえば今日だったか? 澄空(すみぞら)先生の所に行くの」

 その言葉に、また体の奥から大きなため息こみ上げる。

澄空先生というのは今日から私が担当編集となる先生の名前だ。最近、推理小説業界にまさに彗星のごとく現れた天才であり、私の勤め先でもある明桜社(めいおうしゃ)から出版された処女作の「赤の殺人鬼」は、この出版業界が落ち込む中、百五十万部を超えるヒットを記録した。それから先に出版された二冊の本も発行部数が百万部を超えている。 

 しかしながら、うちの編集部ではその売り上げに対しての感謝なんかよりも恐怖の噂が飛び交っている。

 それというのも先生がとんでもない「編集者キラー」なのである。先生が原因でやめた編集はこの前で三人。直近だと、澄空先生の三作目が出版されてすぐに、前担当者が退職してしまった。おかげさまで、私が四代目の被害者だ。初めて澄空先生の担当に任命された時は底なしの谷にでも突き落とされた気分だった。

 それからというものの、気のせいだろうか……。先輩達からの同情を含んだ憐れみの視線が私に注がれている。

「憂鬱なんてものじゃないですよ。これ、遠回しに会社を辞めろ、って言われてないですか?」

「ははは、そう言うなよ。お前から特別措置で澄空編集は他の仕事は一切しなくてよくなったんだろ? むしろほとんど仕事しなくてよくなるんだから、うらやましいぜ」

「じゃあ、中村さん、代わってくれますか?」

「いやぁ……。遠慮しておくよ……」

 中村さんはバツが悪そうな笑顔を向けてくる。まったく、この人は他人事だと思って……。

私は、机に突っ伏しながら頭だけを中村さんに向けた。

「はぁ~。私の前に三人も会社を辞めているんですよ。私、まだ入社二年目なのに……。自信ないですよ~」

「ははは……。それよりお前、時間大丈夫なのか?」

 中村さんの言葉に、人生史上最も重たい頭をゆっくりと持ち上げて壁に掛けられている時計を見る。時計の針は間もなく十三時を指そうとしている。

「えーっと……。待ち合わせは十三時三十分……。 そ、そろそろ行かないと!! じゃあ、私、行ってきます」

「おー。いってらっしゃい」

 編集部を出るときに見えた中村さんの笑顔に何か言ってやりたかったけれど、遅刻しそうだったのでそのまま編集部を飛び出した。エレベーターに乗り込んで深呼吸をしたけれど、私の心に巣くった憂鬱が消えることはなかった。

 オフィスのビルから出て、袋詰めされたお菓子のような人混みの中をぶつからないように歩いてく。その、人が密集している時特有の息苦しさで、心の憂鬱は、強まるばかり……。気分まで悪くなってくる……。

 人混みを抜けると、私は少しでもこの気分の悪さから抜け出したくて、小走りで待ち合わせ場所へ向かう。ヒールじゃなくて、スニーカーでも履いていたかったが、仕方ない。流れてくる汗と一緒に憂鬱さも流れてくれればよかったけれど、結局は予定の時間よりも待ち合わせ場所についただけのまさに「骨折り損のくたびれ儲け」だった。

 待ち合わせ場所は、先生の自宅、先生曰く「なるべく部屋からは出たくない」だそうだ。先生は高層マンションの最上階に居を構えている。いくら売れっ子とはいってもまだ新人作家であることには変わりはないし、これから先、作家としてどうなるかも分からないのに大丈夫なのかとも思うのだが、他人が気にするようなことでもないだろう。小走りで荒れた息を整えながら、腕時計に目を落とす。現在の時刻は十三時二十三分。

「とりあえず電話してみるか……」

 スマホを取り出し、連絡先から「澄空先生」の文字を探す。サ行が近づくたびに自分の指が遅くなるのを感じる。しかし、何をどうやったって現実からは逃れられないわけで、それから数秒で「澄空先生」の名前が姿を現した。今の私にとっては悪魔のような名前である。震える手でその名前を押して、スマホを耳に当てる。三回ほどのコールの後で耳にとても澄んだ声が届いた。

『……もしもし』

 あまりの声の美しさに呆気にとられ、喉から声が出なかった。

『……あの、もしもし?』

 不快な感情をそのまま声にのせていることが感じ取れる。私は慌てて言葉を返した。

「あ、あの。こ、この度、澄空先生の担当編集になりました。来弥凪 (くるやなぎ)と申します」

 そう言ってから、自分がすでに先生に挨拶済みであることに気づく。先生も、私の言葉に不思議そうな声を出す。

『知っているけど……。もしかして、もう着いた……?』

「そ、そうですよね……。すいません。今、先生のマンションの前にいます」

『……じゃあ部屋の前に来たらまた連絡して』

 そういって電話は一方的に切られてしまった。マンションのエントランスに入ると、部屋から私を見ているかのように、ちょうどオートロックの扉が自動で開いた。エントランスの奥に進み、エレベーターに乗り込む。さすがに高層マンションなだけあって、エレベーター内の時間は長く、何もすることがなかったのでとりあえず身なりを整えようと鏡と向き合う。鏡に映る自分を見て、自分が、どれだけ心底陰鬱な気分なのかを改めて自覚する羽目になってしまったのは失敗だったのかもしれない。喉元にナイフを突きつけられた方がまだ健康的な顔色になっていられる自信がある。

 そうこうしているうちに最上階につき、扉が開く。私は、エレベーターから降りて先生の部屋の前で電話を掛けた。すると、電話に出る前に部屋の鍵が開けられたようで、閉じたままの扉の向こう側から「どうぞ」という、ぶっきらぼうな声が聞こえてきた。

 私は、もう一度スーツの襟元を正してから部屋に入り、鍵を閉めた。てっきり、目の前に先生がいると思っていたが、先生は、私が部屋に入って鍵を閉めるまでの短い時間で、姿が見えなくなっていた。電気がついているので、おそらくは玄関の先の部屋にいるのだろうと思う。

「お、お邪魔しまーす……」

 靴を脱ぎ、先生がいるであろう奥の部屋の扉を開く。だだっ広いリビングのソファーに一人の若い女性(この場合は女の子と表記した方が正しいかもしれない)が座っていた。金色の絹糸のような長髪に雪のような白い肌、背は高くもなく低くもないがすらっとした手足のため、非常にスタイルがいい。

そして、その特徴的な大きく青い目は、私をじっと見つめていた。

 妙に生活感のない部屋と、現実離れした美少女は不思議と調和していて、ある一つの絵画のようにも見える。そんな彼女に見とれていると、彼女は眉間にしわを寄せ、明らかに不満そうな表情を浮かべている。

「……突っ立ってないで座ったら?」

 そういって一人掛けの方のソファーをポンポンと叩いた。

「あ、はい……。すみません……」

 私がソファーに座ると、先生は、いささか面倒くさそうに、立ち上がって冷蔵庫へと向かった。

「何か飲む? アイスコーヒーかオレンジジュースなら出せるけど」

「あ、じゃ、じゃあ。アイスコーヒーで……」

 先生は二つのグラスにコーヒーを注ぎ、一つを私に手渡して、自分は一口飲んで、テーブルに置いた。

「……。えっと、澄空黄昏(すみぞらたそがれ)。十八歳。いつまでかは知らないけどけどよろしく」

 「いつまでかは知らない」というのは皮肉なのだろうか……。先生は、もう一口、コーヒーを口に含んだ。自己紹介は、ここまでという事なのだろう……。

「何回も申し訳ありませんが、来弥凪、二十四歳です。よろしくお願いします」

「そう……」

 先生は、興味なさげにまたコーヒーを口に含んだ。私たちの間に沈黙が流れる。そんな沈黙が嫌で、私は何か話そうと心に浮かんだ質問を自然と口に出していた。

「先生は年齢の公表は行わないのですか?」

 澄空黄昏は年齢不詳、性別不詳の謎の多い推理小説家なのである。当然の発想として若ければ若いほどその話題性は高くなる。澄空先生程の実力とその作品の完成度があれば、その話題性は他の追随を許すことはないだろう。

 先生は私の言葉に、今までの興味がなさそう表情を崩し、苦虫をかみつぶしたような顔をする。

「……年齢を出したらどうなると思う? 評価のすべてに『この年齢で』なんて言葉がついて回ると思わない? 『この年齢でこれだけのものが書けるなんてすごい』みたいな、ね。たとえ私の書くものが、そこらの作家なんかよりも優れていたとしても、年齢があるだけで『この年齢で』なんて言葉が私の小説についてくるの。私は……それが嫌なの!!」

 さっきまでの先生とはうって変わったその感情的な様子に、私は驚きを隠せず、質問の選択を大きく誤ったことを悟った。

年齢が低いことは高齢な作家には出せない味を出せる点で他にはないような大きな武器になる。もちろんその話題性も大きな武器だ。しかも、その話題性も大きな武器となる。だが、一般的に話題のある作品は、話題に内容が追い付いていないものが多い。先生ほどの作品では、逆の意味でまともな評価に繋がらない原因になりうるというのも頷ける。

年齢というのは、彼女にとって大きなコンプレックスなのかもしれない……。

「す、すみませんでした……」

「……別にいいわよ。今までも言われてきたから……」

 私たちの間に再び沈黙が流れる。私は、その空気に耐え切れず、コーヒーを一口飲む。含んだそのアイスコーヒーの苦みは今でも忘れられない……。

 その沈黙を破るようにインターホンのチャイムが部屋中に鳴り響いた。先生が立ち上がってインターオンの通話ボタンを押すと外の人の声が部屋に響く。

『お姉様―――。開けて下さ―――い!!』

 先生はその言葉にさっきとは違う不快な表情を浮かべている。一つため息をついてから先生は立ち上がって部屋の鍵を開けに行った。

玄関先の会話がうっすらと私の耳にも届く。

「あーーっ♡ お姉様っ♡ お久しぶりですぅ!」

「そうね。久しぶり。という事で帰ってくれる? 今、新しい編集の人が来ているのよ」

「……編集の人?」

「ええ、そうよ。女性の方」

「…………。失礼します」

「ちょっと!? ユメ!? 勝手に入らないで!!」

 玄関から強い足音が聞こえてきて、部屋のドアが勢いよく開けられる。ドアを開けた張本人を見ると先生に負けず劣らずのきれいな女の子だった。

 ただ先生とは対照的に銀色の髪をしている。髪型は縦ロール? でいいのかな? 服装はいわゆるゴスロリというやつだ。よくできた人形が動いているのではないかという気さえする。彼女は私を見るなり、その顔を憤怒に歪ませた。

「あなたがお姉様の次の担当編集ね! 言っておくけれど、お姉様は私の物なんだから!! 手を出したら承知しないから!!」

 そこまで言ったところで、後ろから先生が頭を軽くチョップした。

「やめなさい。そもそも、いつから私が、あなたの物になったのよ……」

 すると、さっきまでの顔がどこへやら、これ以上にない、緩んだ笑顔を先生に向けている。まるで飼い主に懐いた犬のようで、不思議と振った尻尾が見える。

「あぁっ♡ ごめんなさい。お姉様♡」

 先生は、女の子の頭を撫でながら、私に目を向ける。

「編集さん、ごめんなさいね。この子、ちょっと変なのよ」

「変って……。ひどいですぅ。お姉様ぁ」

「事実でしょ? ほら、ここまで来たんだから、自己紹介ぐらいはしていきなさい」

 女の子は私に対して、明らかに不満そう……というかごみを見るような目というのはこういうものかと実感できるような眼差しを向けてきた。

 私は、というとここまで呆気に取られていて、まだ脳内で情報処理中だった。

「白百合夢花(しらゆりゆめか)です……。十七歳で、今、ユメユリっていうペンネームでライトノベルを書いています」

 私はその言葉に呆気に取られてる。ユメユリといえばうちの会社のライトノベル部門の筆頭成長株として有名な先生だからだ。

「ユメユリ……って『紅蓮の龍(ぐれんのドラゴン)』の作者のユメユリ先生ですか?」

「……そうですけど、よく知ってますね?」

「それはもう……。期待の成長株だって、ライトノベル部の同期が言っていましたから……」

 ユメユリ先生は、髪の毛を指でくるくると弄りながら頬をほんのりと赤く染めている。 

この人、実は結構簡単な人なんじゃないだろうか?

「さぁ、自己紹介は終わったわね。じゃあ、ユメはもう帰って」

「そんなぁ。せめて、いつもみたいにハグさせてください!!」

「断るわ。第一、いつもハグなんてしていないじゃない。早く帰って」

 そう言われて、ユメユリ先生は肩を落として、名残惜しそうに、とぼとぼと帰っていった。

 澄空先生はユメユリ先生をドアまで見送ってから、心底疲れたような顔をして部屋に帰ってきた。そして、そのままソファーに突っ伏して、顔だけをこちらに向ける。その姿に、不覚にもこれが萌えかと思ってしまう。。

「あぁ。まだいたのね。今日はもう仕事もしないし、帰っていいわよ」

 そんな言葉に絶句する。私が口を開けたまま固まっていると、先生は何かを思い出したように、体を勢いよく持ち上げた。

「そういえば、編集長さんが言っていたのだけれど、あなたって私の編集以外に仕事は一切ないんでしょう?」

「え? えぇ……。まぁ、一応……」

「じゃあ、明日ここに午前十時に来てもらえるかしら? 三泊分くらいの着替えも持ってきてもらえる?」

 唐突な言葉に私はまた思考が停止してしまった。

「ふぇ? ど、どうしてですか?」

 声が上ずって、ひどく情けない声を出してしまった……。そんな私とは対照的に先生は意地悪っぽい笑みを浮かべている。そんな顔ですら可愛らしいのだから、先生の愛らしさは本物なのだ。

「そうね、強いて言うなら、ネタ探しかしら。明日、ネタ探しが出来そうな気がするのよ」

 私は、そんな先生の言葉に疑問を感じた。ネタ探しというのは分かるのだが、ネタ探しが「出来そう」というのはどういう事だろうか?

 だが、どちらにしても私は先生がいなければ、仕事がないため大抵のいう事は聞かざるを得ない。先生のいう事を聞かないという事はすなわち、職務放棄、立派な解雇理由となる……。私は、せめて退職金くらいはもらいたい。先生の言葉に頷き、部屋を後にした。

 *

 家に帰って、先生に言われた通りに三日分の着替えを少し大きめのバッグに詰めながら、ふと先生の言葉に感じた違和感をもう一度振り返る。

「明日、ネタ探しが出来る気がする……か、やっぱ、釈然としないなぁ……。ネタ探しの予定が決まっているなら、『気がする』っていうのはおかしいしなぁ? それによくよく考えたらなんで着替えが三日分も必要なんだろう? どこか泊りがけの取材? って言っても何の手配もお願いされてないし……。はぁ~」

 人生史上最大級のため息をつく。明日が憂鬱で仕方ない。あの先生と二人でいるだけでもう間がもたなそうなのに……。その上、よく理由も分からないのに着替えの準備までさせられて、私は、一体明日から何をさせられるのだろうか……。

「……とりあえず、飲もう……」

 陰鬱な気分を引きずったまま私は冷蔵庫の扉を力なく開ける。母親が見たら、小一時間くらい説教されそうなぐらいガラリとした冷蔵庫の中身、自分でも自炊がおろそかになっている事がよく分かる。中から五百㎖缶の発泡酒を取り出して一口、口に含む。

 こんなひどい気分の時くらいビールで乾杯したいものだけど、今月もお金が厳しくそんな物すら買う余裕がないのが、今の私の現状だ……。我ながら情けない……。

さらにもう一口飲んでから窓の外を眺めた。綺麗な月が上っている。そんな月を見ながら酒というのもなかなかに風流なものではないだろうか。

 でも、その月も、見ているうちに雲に覆われて姿を消していった。なんだか、不吉な予感がして、気味が悪い……。氷水の中に突き落とされたように背筋に悪寒が走る。残っていた酒を一気に飲み干し、そのままベッドに潜り込んだ。

 最後の最後まで今日は嫌な一日だ……。

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