2001/10/15-10/21

   10月15日、月曜日。誘拐から丸15日が経過。


 誘拐されて丸二週間が過ぎました。

 手錠につながれて過ごすこの何日かにもそろそろ慣れて、飽きてきました。

 バケツのトイレだけはどうにかしてほしいのはかわらないけれど。


 棗さんは土日もブラスバンド部の顧問をしてるからって昼間出かけちゃうし。

 麻衣はいつだって男のひととどこかへ行きたいのに待ちぼうけばかり。

 いつか棗さんがタクトをふるところは見てみたいな。


 棗さんは今日、街中に貼られた麻衣のポスターを一枚はがして持って帰ってきてくれたんだ。

 もう麻衣はこの家の外には出られないから、一度見てみたくて朝わがままを言ったの。


「ぼくがこれをはがしたすぐ隣でね、頭の悪そうな男が電話帳くらい厚い束を抱えて貼ってたよ。

 貼った途端にぼくにはがされてきょとんとしてた。

 二十歳くらいかなぁ。赤い自転車に乗って街中をまわって毎日ひとりで行方不明の女の子や指名手配犯のポスターを貼ってるって言ってた。

 おかしな仕事をしてるおかしな子だった。

 貼り方は知ってても剥し方を知らないんだ。

 教えてあげたら楽しそうに何枚もはがしてたよ」


 そういった仕事があることを麻衣は知っていたので別に驚きませんでした。綾音さんも同じ仕事をしてるから。


 ポスターにはヒロコや同じグループの子たちと撮った写真が三枚使われていて、麻衣以外の子の顔には目に黒い線がいれられています。

 写真の隣には麻衣のことがびっしりと書き連ねてありました。


 麻衣が今置かれてる普通じゃない状況を再認識しました。でも、


「なんだか照れちゃう。でもよくできてるし、こういうの案外悪くないね」


 麻衣は少しだけわくわくして誘拐されたのにまるで共犯者みたい。


 わたしたちはこれからどこへ行くんだろう。





   10月16日、火曜日。誘拐から丸16日が経過。


 ひとつわかったことがあるんだ。

 棗さんは麻衣の涙に弱いっていうこと。


 小学校の頃にいたいじわるな男の子みたいに、いじわるするだけが目的で泣かせちゃったらきっとどうしたらいいのかわからなくなるんだと思う。

 麻衣の嘘泣きに騙される棗さんはすごくかわいいと思います。


 今日の麻衣はひさしぶりに軟禁からのがれることができました。

 部屋は汚れてきていたし、洗濯物ももうずいぶんたまってたから今日の麻衣は家事漬けです。


 お料理もしなくちゃ。麻衣には棗さんに毎日コンビニの弁当ばかり食べさせたりできないから。

 本当は外出なんかしちゃだめだけどスーパーにお肉や野菜を買いに行かなきゃ。


 平日の昼間にセーラーはまずいから、ロリ服を着て縦ロールの金髪のかつらをつけてみたんだ。

 まるで別人に見えたけど頭の足りない子にしか見えないのはどうしてかな。たぶん似合ってないから?


 結局セーラーの上にダッフルコートを着て出かけました。

 赤いダッフルコート。クローゼットにココとおそろいの色のがあったのにもうココとは遊べない。ちくりと胸が痛みました。


 髪を左右にふたつ結んで黒縁の眼鏡をかけるだけで、麻衣はまるでまんがみたいに別人に見えるんだ。


 眼鏡の麻衣を知ってるひとに会ったらすぐにばれちゃうけど、まだ学校がある時間だし学区が違うから同じ中学の子には絶対にあわない。

 だから誰にも麻衣が街中に貼られたポスターの加藤麻衣だってことはわからないと思う。


 スーパーの帰り道、最新号のジャンプを読みながら歩いていると、赤い自転車に乗った男の子とすれ違いました。

 かごに無造作に放りこまれた紙の束が、一枚、また一枚と、追い風で後ろに飛ばされていました。


「ねー、かごから紙がいっぱい落ちてるよー」


 麻衣は大きな声を出したけど、男の子には聞こえなかったみたい。紙ヒコーキを折ったあとのついたその紙は全部、昨日棗さんが見せてくれた麻衣のポスターでした。

 折り目にそって紙ヒコーキを作ったけど、左右不対称の紙ヒコーキはちっとも飛びません。





   10月17日、水曜日。誘拐から丸17日が経過。


 ホームページを持ってるっていうのは恥ずかしいことじゃないんだろうけど、学校や社会で共存するひとたちにはもちろん、インターネット上の不特定多数の知らないひとたちに対しても、あまり自慢して話すことでもないと思う。


 さっき登録したネットアイドルランキングでB級の女の子たちとチャットをしたら56回もURLを紹介されたので今日の麻衣は少しうんざりしています。


 こんなことなら遊びに出かければよかった。


 ココの家に行くのもいいし、棗さんの勤める隣町の中学を覗きにも行きたい。毎日麻衣のポスターを貼る赤い自転車の男の子を手伝ってみるのも悪くないと思う。


 手錠さえ外せたらの話だけれど。


 昨日の外出はすぐに見つかって、麻衣は棗さんにまた監禁されています。


 棗さんが靴箱に揃えてくれてた麻衣のローファーが玄関に脱ぎっぱなしだったのと、麻衣の唇にグロスが塗られていたり、ダッフルコートを居間で脱いだままにしてたのが原因です。


 麻衣が誘拐されているという話を女の子たちはまるで信じてくれません。


 クローゼットに本当に繋がれている麻衣や足下のバケツのトイレの写真でも置いたら信じてくれるのかな。そこまでしてもたぶん無理かな。


 バケツに麻衣がしたおしっこを棗さんがまるで母乳みたいに哺乳瓶にいれて凍らせたりしてることとかそんな死にたくなるくらい恥ずかしい話をしてもきっと無駄なんだよね。誰も麻衣を信じてくれない。


 チャットをしながら別に開いたウィンドウでネットサーフィンをしました。


 女の子の特権みたいでちょっとだけ興味があったリストカットのウェブリングをナビをひとつずつたどって全部見たんだ。


 ココのホームページがありました。

 ココのぱっくり開いた手首の写真は、深く切りすぎて白い脂肪のようなものが見えていました。


 麻衣の名前をグーグルで検索にかけると、お兄ちゃんは宗教のホームページを開いていました。





   10月18日、木曜日。誘拐から丸18日が経過。


 誕生日を一週間も過ぎてから15歳になってたことに気づくなんてほんとバカみたい。

 棗さんに誘拐されてからはじめてお兄ちゃんにメールを送った10月9日が麻衣の誕生日でした。


 お兄ちゃんからはすぐに返信があったしあれから毎日メールが届くけど、何度読み返しても麻衣がいないとどうしたらいいのかわからないとか、もう生きていけないとかそんなことばかりが書きつらねられているばっかり。

 お兄ちゃんは麻衣の誕生日も忘れちゃったのかな。


 それどころじゃないのかもしれないね。

 麻衣のまわりにいてくれるひとたちはみんな麻衣と同じで身勝手なひとたちばかりだから。

 お父さんも綾音さんもお兄ちゃんも棗さんもみんな自分しかここにいないんだ。


 おなかがすいたら温めて食べてね、と言われたレトルトのカレーライス。

 手錠に繋がれたままどうやってキッチンのレンジまで行けばいいんだろう。


 おなかが好きました。

 ゆうべお風呂からあがったあと体重をはかったんだ。このたった20日くらいで3キロも減ってた。

 やせるのはいっこうにかまわないけど胸まで小さくなってたらやだな。

 ダイエットしたい子は誘拐されてみるといいかもしれないね。


 今夜は棗さんに一週間前の麻衣の誕生日を祝ってもらおうかな。

 ケーキが食べたいの、麻衣。プレゼントなんていらない。


 メイちゃんのクローゼットのなかからお気に入りのロリ服を選んで、誰かとろうそくがちゃんと15本立てられるくらい大きな丸いケーキが食べたいんだ。


 お姫様の誕生日みたいに。


 今から棗さんの携帯にメールをいれようと思います。




   10月19日、金曜日。誘拐から丸19日が経過。


 もうなんて名前の子か忘れちゃったけど、麻衣のメールアドレスを勝手に登録してメッセンジャーで話し掛けてきた女の子が今日いました。


 麻衣と同い年で、麻衣のお兄ちゃんよりも背の高い女の子でした。

 少し前にいなくなったなんとかいうネットアイドルとウェブ交換日記をしてたっていうけど麻衣はその子もあなたも知らない。

 その女の子に、あなた何もしらないのね、なんて溜め息の顔文字つきで言われたけど、ネットアイドルランキングに登録しているからって麻衣はあなたたちみたいに毎日敵情視察したりしない。


 ゆうべ棗さんが買って帰ってきてくれたケーキはいままで麻衣が見たこともないくらい大きなケーキでした。お誕生日会とかして仲のいい友達をいっぱいいっぱい呼んだときママが作ってくれたりするケーキがこんななのかな。お誕生日会なんて呼ばれたことないからわかんないけど。


「麻衣ちゃんお誕生日おめでとう」だって。


 麻衣はもう15歳だから英語でデコレーションしてくれたらいいのに。


 棗さんは若いパパが仕事帰りに慌ててケーキ屋さんに駆け込んだみたいに見えたのかな。

 麻衣の年が書いてなかったけど娘の誕生日だと間違われたから言えなかったのかな。

 それともロリコンだって勘違いされるといけないから言わなかったのかな。

 妹だって言えばいいのに。棗さんが望むなら麻衣はお兄ちゃんって呼んであげるのにな。


 この間ホームページを見つけてココのメールアドレスは知ってたけど、ココのお母さんに渡されたメモにあった家の番号に電話をしました。


「麻衣だよ。今日麻衣のお誕生日会するんだ。誕生日は一週間も前だったんだけど。よかったらココも遊びにこない?」


 絶対断られると思ったし、電話にも出てくれないだろうなってだめもとでかけたのに、赤いダッフルコートを着て、ココは走ってきてくれました。

 ココの家とは数十メートルしか離れていないのに息が切れてたのはもうずっと走ったりしてなかったからだと思います。麻衣のために走ってくれたんだ。


「誕生日、知らなかったから、プレゼント、用意、してない、ん、だけど、ごめんね」


 麻衣は昨日、一週間遅れで15歳になりました。


 棗さんにもらった大きなくまのぬいぐるみを抱いて眠る麻衣が見たのは、ココと本当のお友達になる夢でした。





   10月20日、土曜日。誘拐から丸20日が経過。


 ココが遊びに来ています。


 一昨日帰り際に棗さんがお金を渡していたのを麻衣は見ました。

 それがお誕生日会に来てくれたお礼だったのか、麻衣とお友達になってあげてねっていうお金だったのか、棗さんと麻衣の誘拐事件が明るみになっても決して誰にも話さないという契約金だったのか、麻衣にはわかりません。

 麻衣はココがお金を受け取ったのも見ました。


「たまにねこうやって部屋の外に出て写真を撮ったりするの」


 デジカメ持参で遊びにきたココは背負ってた緑色のランドセルのなかから眼帯や包帯、手錠やガスマスクを取り出して麻衣にココの体をトレヴァーブラウンの絵の女の子みたいに演出するように頼んだんだ。公園に写真撮りに行こうよ。


 ココの頭に巻いた包帯には頭蓋骨に打ち付けられたように見えるフェイクのボルトが何本も差し込まれていてそのまわりに血糊がにじませてあります。

 麻衣は初心者だからセーラー服に眼帯とモデルガン。

 こんな格好で外を出歩くなんて信じられなかった。


 ブランコに揺れたり、砂遊びをしたり、滑り台を滑ったり、ジャングルジムを登ったり、はじめて遊んだときとしてることは何も変わらないけど公園のそばを通りがかったおばさんたちはぎょっとしていました。

 交代で写真を撮ります。


「麻衣の写真も撮ってあげるね。わたしこうやって撮った写真をわたしのホームページに載せるの。麻衣の写真も載せさせてね」


 ゆうべ夜中に麻衣の掲示板を荒らしたくせにココはしらっと言うんだ。麻衣のこと全部知ってるくせに、何も知らないみたいに。


 私の写真が載ってるからココのホームページにも遊びに行ってみてください。


 http://


※ 大塚恋子が管理するウェブページは現在存在しないため閲覧できません。





   10月21日、日曜日。誘拐から丸21日が経過。


      麻衣へ


 麻衣、毎日メールありがとう。お兄ちゃんだよ。

 麻衣がいなくなってもう三週間がたったよ。


 ぼくはひきこもりだし、お継父さんとも母さんとももう何年も話をしたりしていないから、麻衣が家にいないとぼくは丸一日誰とも話さない日々を送ってる。

 寝たきりの老人てわけじゃないのに、何もできないぼくのためにしびんやおまるをぼくの部屋に運んでくれたのは麻衣だったよね。

 顔を洗うための洗面器も麻衣は運んでくれたね。毎晩ぼくの体を拭いてくれたりもしたね。


 麻衣のいない三週間はつらかったよ。部屋はぼくの汚物で随分汚れた。

 はじめは垂れ流しの汚物に吐き気を催したけど今はもう嗅覚が麻痺して何も感じない。

 ときどき踏んだり、あやまってコミックを重ねたときは辟易するけど。


 毎日誰もぼくに料理を食べさせてくれないから、世界が終わってもふたりで生きていけるように買った一年分のカンパンばかり食べてる。

 ほとんどの歯が虫歯になった。

 黒ずんでクレーターのようにへこんでいるし、歯の裏を下で触ると歯石が歯の隙間を完璧に埋めているのがわかるよ。

 成長した親知らずが奥歯をぐいぐい押すせいで、奥歯はもうぐらぐらで使いものにならない。

 頭皮が痛んでいるんだと思う。髪の毛はほとんど抜け落ちてしまった。

 昔先天性の病気で髪の毛のない子をふたりでいじめたことがあったけど、ぼくはもう彼を笑えない。

 麻衣はぼくを見てもあの頃みたいに笑わないでくれるかな。


 これからネット上にある遊園地で女の子と待ち合わせをしてる。

 この間逮捕されたドクターキリコっていう青酸カリをネットで売ってた売人、麻衣は知ってるかな。

 麻衣に内緒で、その人から買ってたふたり分の致死量の青酸カリを彼女に速達で送るんだ。


 明日ふたりで儀式を実行するために観覧車のなかで彼女から住所を聞いて夕方には届くように速達で送る。

 キリコ先生はぼくたちの誰もがいつでも死ねるなら今死ななくてもいいと思えるように生きるために青酸カリを売ってくれたけど、いつでも死ねるのならぼくは明日死のうと思うんだ。


 こわくないように女の子といっしょに。富良野で一番空に近い場所で。


 ねぇ麻衣、生まれかわっても麻衣はまたぼくの妹になってくれるよね。

 血もつながらないぼくなんかを兄と慕ってくれてありがとう。


 ぼくは母さんにはこわくて甘えられないかわりに麻衣にばかり甘えてた気がする。

 事実ママって何度も呼びそうになった。

 麻衣はぼくにとってただの妹じゃなく姉でもあったしそして母でもあって恋人でもあった。


 きみの幸福をコスモの神に願いながら明日ぼくは死のうと思う。


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