2001/10/08-10/14

   10月8日、月曜日。誘拐から丸8日が経過。


「ねぇ麻衣、公園で焼き芋でもしようか」


 火を焚いてあったまって、おいしいよ、たくさん焼いて、公園で遊んでる子がいたら食べさせてあげよう、ねぇ麻衣、外は寒いから妹のコートを着ておいで。


 麻衣と棗さんはつくづく不思議な関係です。誘拐された女の子と誘拐犯なのに、兄妹か親子みたいに家族ごっこをしてる。


 夕方、アルミホイルで包んださつまいもを両手いっぱい抱えて、ふたりで公園に行きました。

 落ち葉を拾って、山を作るとさつまいもを埋めて火をつける。さつまいもが焼けるまで麻衣は落ちていた石を並べて過ごしました。


「宇宙人が作った古代遺跡だよ。ここがUFOの発着地点。これが滑走路ね。宇宙港なの」


 棗さんはふぅんと興味なさそうに枝をおいもに刺して火の通りを見ていました。

 枝を拾って、棗さんの似顔絵を描く。

 ほかほかのおいもを食べながら棗さんに似るまで何度も描き直し。

 結局似なくて棗さんには見せられなかったな。


 赤いダッフルコートを着た背の高い女の子がブランコでひとり揺れて麻衣たちを見ていました。


「あなたもおいも食べる?」


「いらない。わたしあなたのこと知らないし。それにこの公園で焼き芋なんかしちゃだめなのよ」


 風が吹いて、炭になった落ち葉が宙を舞いました。

 麻衣は見ました。落ち葉にまじって、数式や古文が印刷された紙が細かく、黒くなって舞っているのを。


 それは麻衣がどれだけ優しく触れても、その瞬間形を失い、麻衣の指をよごすだけです。

 ほんの少し前まで麻衣が頭を悩ませた過去問題集でした。


 やけどをするのを覚悟で麻衣はまだ少しだけ落ち葉の燃える火のなか問題集を探しました。

 何もかもが壊れていきます。

 棗さんは受験勉強をする麻衣が嫌いだったんだ。


 悲しくて涙が出ました。





   10月9日、火曜日。誘拐から丸9日が経過。


      お兄ちゃんへ


 麻衣です。

 お兄ちゃん、元気ですか?

 一週間も家に帰らなくてごめんなさい。

 突然家出なんかしちゃって、お父さん怒って、お兄ちゃんやお継母さんにあたったりしてるんじゃないかって麻衣心配。


 お兄ちゃん、ごめんね。お兄ちゃんの心の拠り所は麻衣だけなのに裏切るような真似しちゃった。

 でもね、違うんだ。あのね、麻衣はお兄ちゃんのことがいやになったわけじゃないんだ。

 血はつながっていないけど、お兄ちゃんは麻衣の本当のお兄ちゃんだと思うし、お兄ちゃんも麻衣を本当の妹だと思ってくれてるよね。

 だからお兄ちゃんは麻衣だけをお兄ちゃんのお部屋にいれてくれて麻衣と遊んでくれるんだよね。


 お話しなくちゃいけないことがあるの。

 それで本当は禁止されてるんだけどメールをしたの。

 お兄ちゃんにだけは本当のこと話しておきたいんだ。


 麻衣は今、あるひとに誘拐されています。


 素敵なひとです。お兄ちゃんには負けるけど。


 ときどき手錠をかけたりするけど、ちょっと前の新潟の9年も女の子を監禁した男の人みたいに麻衣を身動きのとれないようにはしないし、麻衣のスカートをめくったり着替えを覗いたり体を触ったりしないんだ。


 昼間はちゃんとお仕事に出かけてて、学校の国語の先生をしてるひとなんだ。麻衣の苦手な古文を教えてくれるんだ。

 麻衣はお礼にごはんを作ったりお風呂を沸かしたりピアノを弾くの。


 それだけなんだ。

 車に連れ込まれたときはどうしようって思ったんだけど。

 何されるんだろうってずっと泣いてたんだけど。


 メイちゃんっていう妹さんがいて、その子は外国に留学してて、だから麻衣はその間だけのかわりなんだと思うの。


 お金が目的の誘拐ってわけじゃないみたいだし、おかしなことされたり、もし棗さんに嫌われたとしても殺されちゃったりなんてしないと思うんだ。

 麻衣のことが嫌いになったらきっとそんなそぶりも見せずにおうちに帰してくれるひとだと思う。

 すぐにじゃないかもしれないけど、でもそんな何年も先の話でもないと思う。


 麻衣は絶対お兄ちゃんのところに帰るから。

 約束するから。


 だから少しだけ我慢していてください。毎日メールするから。


 覚えていてね、お兄ちゃんとはなればなれになってつらいのは麻衣も同じだから。





   10月10日、水曜日。誘拐から丸10日が経過。


 地球温暖化なんて嘘だよね。毎年、今年は暖冬だっていうけど、冬が暖かいなんておかしいと思う。


 富良野は今年もすごく寒いんだ。まだ10月、秋なのにもう息が白いよ。お兄ちゃんと前に見た昭和のゴジラみたいに。


 麻衣は寒がりだからセーラーの上にカーディガンを着てる。

 学校にはジャージをスカートの下に履いてる子もいるし、ババシャツを着込んでカイロをいっぱい貼り付けてる子もいる。麻衣はああいうのはかわいくないと思うからしないんだけど、かわいい毛糸のパンツは履くんだ。


 ゴキブリはなかなか北海道には上陸はしてこない。一度でいいからテレビやハンズのパーティーグッズ以外で見てみたいんだけどな。


 今日は公園の砂場で遊んでたココって子と友達になりました。

 麻衣と同い年の子で、学校には行ってない。学校にはこわいお友達がいっぱいいるからってココは言いました。


 外国のお城を作ったつもりだったんだけど、ふたりともお城なんて見たことがなかったから、マリオか魔界村に出てくるみたいなお城になってふたりで笑った。


 すごく大きなお城で、穴をあけてココが家から持ってきたリカちゃんハウスを押し込んだんだ。誰もいないのはさびしいから。


 そのあとは、砂だらけの手を水道できれいに洗って、ふたりでジャングルジムにのぼったり、ブランコに乗ったりして遊んだんだ。


 公園の名前が彫られた石に、スプレーで「フリーザー村」って落書きされてたのがおかしくて、ふたりでお腹を抱えて笑った。


 明日も遊ぶ約束をしました。



 日が暮れて、棗さんが麻衣を迎えにきたとき、お城が崩れてリカちゃんたちは生き埋めになっていました。





   10月11日、木曜日。誘拐から丸11日が経過。


 ケラで見つけてすごくほしかった、くまのぬいぐるみの形をしたバッグ(留学してる棗さんの妹のメイちゃんのものなんだって)を借りて、ココと公園で待ち合わせ。約束の時間は10時。今は10時を少しまわったくらい。ココはまだ来ていない。


 棗さんは今朝も早くからお仕事に出かけたから、言われた通り鍵をかけて家を出たんだ。


 棗さんはどうして麻衣を監禁しないのかな。入り組んだ住宅街だけど、このあたりの住所は公園にある地図でわかるし、たぶん麻衣は歩いて家まで帰れる。

 一番近い交番に駆け込もうと思ったら10分。

 あ、じゃあ、どうして麻衣は逃げないんだろう。きっとお兄ちゃんが部屋で麻衣のこと待ってるのに。


 棗さんも麻衣ももっとちゃんと誘拐犯とその被害者だって意識をもたなくちゃ。


 ココを待ってる間に一晩中生き埋めになってたリカちゃん一家を救助。

 パパが見つからなくて困ったけど、確かピエールさんは船乗りだったから別にしばらく家にいなくてもいいや。


 リカちゃんはどんなに寒くても、どんなに瓦礫が重くても、ピエールさんが行方不明でも笑顔を絶やさないんだ。こわい女の子だと思う。


 一時間が過ぎてもココは公園に来ませんでした。





   10月12日、金曜日。誘拐から丸12日。


 ココの家はこの近所だってココから聞いてたから、水道できれいに洗って一晩乾かしたリカちゃんハウスを抱いて、麻衣は今日ココの家を訪ねていきました。

 大塚の表札のかかった家はひとつしかなかったからすぐに見つかったよ。


 ココがお母さん似だって一目でわかる、まだ30代の若くてきれいなお母さんが麻衣をココの部屋に案内してくれた。


「ココの学校のお友達? そんなわけないわよね。

 そう、麻衣ちゃんって言うのね。

 よかったらココとなかよくしてあげてね。あの子友達いないから。

 学校にも行かないでずっと部屋に閉じ込もって、たまに外に出たと思うと手も足も服もドロだらけになって帰ってくるのよ。

 一昨日もそう。もう何度目かわからない。

 何を尋ねても無表情で何も言いやしない。あの子はわたしの手にはおえないわ」


 麻衣が抱えてるリカちゃんハウスがココのものだということすら、このひとは知らないみたいでした。

 ひとがひとりようやくのぼれるだけの狭い階段を登るとココの部屋はあって、ドアには南京錠がついていた。


 ドア自体には鍵はなくて、ココが家族の誰も出入りのできないよう外側と内側にそれぞれ南京錠をつけたのだとお母さんが教えてくれました。


 麻衣のお兄ちゃんと同じだ。


「誰?」


「一昨日遊んだ麻衣だよ。開けて」


「何しにきたの?」


「リカちゃんハウス、届けにきたの。お城崩れてて、みんな生き埋めになっちゃってて、ピエールさん見つからなかったんだけど。洗ったから砂もついてないしきれいだよ」


「いらないよそんなの。部屋汚いから今日は帰って」


 リカちゃんハウスを邪魔にならないところに置いて麻衣は帰りました。


「あの子、麻衣ちゃんのこと好きみたいね。普段はまともに話もしてくれないのよ、あの子。本当にあの子の部屋汚ないのよ。掃除するように言っておくからまた来てね麻衣ちゃん」


 また明日もココを訪ねて来ようと思います。




   10月13日、土曜日。誘拐から丸13日が経過。


 棗さんは今朝、麻衣に手錠をかけてお仕事にいきました。

 誘拐されたときのように後ろ手に右手と左手ではなく、右手と芽衣ちゃんのクローゼットのなかにあるお洋服をかける鉄の棒。


 足もとにはプラスチックのかわいいバケツ。

 トイレに行きたくなったらこれにするように言われました。はずかしくてそんなことできるわけないのに。

 棗さんはいじわるです。


 ゆうべ棗さんが仕事帰りに寄ったコンビニに、麻衣の顔写真や身体的特徴、失踪時の服装などが記されたチラシが貼られていたそうです。


 棗さんに今日からはもう外を出歩いちゃいけないって言われたら、麻衣は絶対にその約束を守るのに。

 ゆうべココの話を一晩中棗さんに聞かせたから、それがいけなかったんだと思います。

 麻衣は今日もココの部屋に行くつもりだったから。



 ごめんね、ココ。

 ココはたぶん部屋をきれいにして、麻衣が訪ねていくのを待っててくれてたはずなのに。


 おしっこをずっと我慢して棗さんが帰ってくるのを待つつもりだったけど、我慢できなくて、でもバケツにはできなくて、今日麻衣はおもらしをしました。


 恥ずかしくて涙がとまらない。


 帰ってきた棗さんは黙々と雑巾を何枚も使って、床を拭きました。





   10月14日、日曜日。誘拐から丸14日が経過。


 今日も麻衣は手錠に繋がれています。

 昨日と違って手の届くところにハロゲンヒーターのリモコンやノートパソコンがあって、繋がれているのは昨日と違って左手だから、トイレに行けない以外に不自由はありません。


 さっきバケツにおしっこをしました。

 いつもはあまり色なんてついていないのに、こんなときにかぎって黄色くて、後で棗さんに見られたらきっと麻衣は泣いちゃう。


 ゆうべ棗さんに手錠をはずしてもらった後、赤く手錠の痕のついた手首を撫でながら、窓の外を見ました。


 公園の街路灯の下の砂場でココがひとり、お城を作っては壊す、そんな作業を続けていました。赤いダッフルコートがこの間と同じだったからすぐにわかりました。


 ココはしばらくして麻衣に気づいて、こちらを見ましたが、遠くてココがどんな顔をしているのかまではわからなかった。

 麻衣は手を振っていいのか、笑ったらいいのか、どうしたらいいのかわからなくて、カーテンを閉めました。


 麻衣は悪い子です。ココを裏切ってしまいました。


 ひょっとしたら昨日ココは一昨日のおわびにずっと公園で麻衣を待っててくれたのかもしれない。


 今日も公園でお城を何度も作ったり壊したりしてるのかもしれない。


 だけど麻衣はもうココといっしょに遊んだり、いっしょに笑ったりできないんだ。友達になれると思ったのに。


 棗さん、誘拐されてると不便です。

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