2001/10/22-10/28

   10月22日、月曜日。誘拐から丸22日が経過。


 お兄ちゃんを誘拐しよう。


 麻衣は決めました。

 朝一番でココに電話して、この間撮影に使ったばかりの包帯やガスマスク、モデルガンを借りました。


「麻衣に全部あげるよ、わたしもう写真撮らないからいらないんだ。デジカメもあげよっか」


 何本ものボルトが頭蓋骨を貫く包帯を頭に巻いて、ガスマスクを被る。

 ヴィレッジヴァンガードで買った自衛隊のおさがりだそうです。

 呼吸がしづらくて大きく息をすると傷だらけのレンズが曇りました。

 ココと同じように手首から手のひら、手の甲、指先まで包帯を巻いてモデルガンを構えて、これから学校へ仕事に出かけるところだった棗さんを麻衣は脅迫しました。


「今日、麻衣のお兄ちゃんが自殺するの。

 棗さんが麻衣を誘拐したから。

 ひとりじゃ何もできないお兄ちゃんの面倒をみるひとがあの家に誰もいなくなっちゃったから。

 富良野で一番空に近い場所で死ぬのがこわくないように女の子といっしょに青酸カリを飲んで自殺するんだって言ってた。

 駅前のデパートの屋上だと思うの。

 兄妹になったばかりの頃、小さい子がやっとふたり乗れるおもちゃの汽車にふたりで乗って、綾音さんの買い物が終わるまで何十周もして待ったの」


 お兄ちゃんが自殺するとしたらそこしかないと思うの。

 棗さんは銃口を不思議そうに眺めたあとで、うその咳をしながら不良の男の子みたいに校長先生に電話をしたから、麻衣笑っちゃった。


 デパートの正面入り口で開店を待つ数人の男女のなかにお兄ちゃんと仮想現実の恋人は並んでいました。


 車を運転する喪服を着たミイラ男みたいな格好の棗さんは歩道に乗り上げてふたりの真横に車を止めました。

 後部座席にいた麻衣は素早くドアを開けてお兄ちゃんとココの腕をつかみ車の中に連れ込みました。


 え? ココ?



 午後から仕事にでかけた棗さんを見送って、今3人で食卓を囲んでいます。

 目の前にいるお兄ちゃんの仮想現実の恋人はまぎれもなく麻衣がよく知るココで、ココは別に好きで遊びにきたわけじゃなくて、麻衣が誘拐したみたいです。ココは気まずそうな顔をしてお兄ちゃんの手をぎゅっと握っています。


 麻衣は今日、犯罪者になりました。





   10月23日、火曜日。誘拐から丸23日が経過。


 半年以上前のことです。

 ココはたくさんのひとに裸を見せていました。

 麻衣は何の努力もしていないし、日記や棗さんに撮ってもらった写真をただただ垂れ流しにしてるだけだけど、ネットアイドルをしてる女の子というのは本当は毎日敵情視察を欠かさないし、派閥のようなものの学習をしたり、隠しや会員制ページでハンズで買ったブルマをはいたりスクール水着を着たりバナナをくわえたりとか、男の人が喜ぶような写真を載せたりしているみたいです。


 ココのホームページには今そういったファンサービスは、オリモノで汚れた下着の写真と心の弱さをアピールするためだけのリスカ写真があるだけです。


 そこに裸の写真があったのはもうだいぶ前のことだというのに、そのことでココの掲示板は荒らされて、もうとっくに削除されていた画像があちこちのサーバーにアップロードされてそのURLが掲示板に貼られていました。


 名前も顔も明かさない匿名性は、発した言葉に生じる責任と義務を放棄していて麻衣は大嫌いなんだけど、ココを笑い者にするためだけに立てられたスレッドだけは読みました。


 裸になった14歳のネットアイドルはまるで神戸でふたり小学生を殺した透明な男の子のように虐げられていました。


 ココが麻衣に麻衣のホームページの話もココのホームページの話もしないように、麻衣もしません。麻衣たちの関係はそれでいいと思います。


 お兄ちゃんとココが夜麻衣の隣でセックスするのは見てみぬふりをしようと思います。




    10月24日、水曜日。誘拐から丸24日が経過。


 えっとね、関係ない話なんだけど。

 麻衣のホームページは精神系じゃないです。

 確かに誘拐された女の子が事件の真っ最中にこんな風にホームページで手記を公開してるし、一昨日みたいにお兄ちゃんとココを麻衣が誘拐したりしてるなんてありえないことかもしれないけど、麻衣はどこかの鬱病のひとみたいに「わたし鬱病なんです」なんて一言も言ってないし、境界性人格障害の子みたいに対象となるひとによく思われたいがために嘘を上塗りしたりもしません。


 もちろん薬だって飲んでいません。自傷行為だってしたことありません。

 ココのホームページみたいなのはできれば見ずに一生を過ごしたいし、精神系を芸術の域にまで昇華させたホームページもきれいだとは思うけど麻衣はどちらかといえば苦手です。

 麻衣は生理のときあんまり血が出ないからかもしれないね。血がすごく苦手なの。


 この日記がもしクローン人間の観察日記だったりしたらそれはもう本当に麻衣の頭はおかしいのかもしれないけど、今麻衣が毎日つけてるこの日記に書かれてることはすべて事実だから。日記に嘘なんか普通書かないでしょ?


 だからリンクページで麻衣のホームページを精神系って紹介するのはやめてください。


 そういえばお兄ちゃんとココを誘拐してひとつだけ変わったことがあります。


 棗さんが仕事に出かけている間、麻衣とお兄ちゃんとココの足首が3つの手錠で輪になるようにつながれていることです。


 麻衣たちは放射線状に寝転がって、中心にもうすっかりおなじみのバケツのトイレがあります。


 お兄ちゃんとココはときどき思い出したようにセックスをして、麻衣は今日もそれを見てみぬふりをしなくちゃいけませんでした。





   10月25日、木曜日。誘拐から丸25日が経過。


 おとなをひとり捕まえて、そのひとがおじさんやおばさんかどうかを確かめる方法を麻衣はひとつだけ知っています。


 それはジャンプを買ってきてって頼むこと。


 最新号のナンバーを教えるだけじゃなくて、それが何月何日号かとか、先週号の巻末にある最新号の広告を見せて、この漫画が表紙だよってちゃんと教える。


 それで月刊ジャンプとか買ってきたらそのひとはもうおじさんやおばさん。

 麻衣のお父さんも綾音さんもおじさんとおばさんでした。


 棗さんもおじさんです。


 麻衣が少年漫画を読むようになったのはお兄ちゃんの影響で、お兄ちゃんがひきこもりをはじめてすぐの火曜日の夕方、ジャンプを買いに行かされたのがきっかけ。


 それまで麻衣はりぼんしか読んだことのない女の子で、それも毎月買うわけじゃなくて何ヶ月かに一度思い出したように買うだけでした。

 雑誌って毎週買うからおもしろいんだってこと麻衣は知りませんでした。


 だから小学校のクラスメイトの女の子たちがどうしてあんなに夢中になれるのかわからなかったんだ。


 ほくほくのピザまんを食べながらジャンプを読みながら歩いて帰るのを毎週続けてたら、いつのまにかお兄ちゃんとジャンプの話をするようになっていたし、好きだった漫画が打ち切られたらお兄ちゃんにあたったりするようになってたんだ。


 ココに少女まんがの話を振りました。

 水沢めぐみってまだ現役だっけ? ちょっとマニアックな質問かもしれないけど。


「わたし、そっち系じゃないんだよね。なかよし派だから」


 なかよしなんて麻衣、セーラームーンしか知らない。


 棗さんが今日買ってきたVジャンプ、誰が読むんだろう。





   10月26日、金曜日。誘拐から丸26日が経過。


 生理が来ました。

 棗さんはとてもひとりじゃナプキンなんて買えないって言ったので(顔を真っ赤にしてすごくかわいかった)、夕方棗さんと麻衣は隣町のコンビニまで行きました。

 お兄ちゃんとココはお留守番。


 棗さんは毎日帰宅途中に車で弥生町を一周して、富良野市の地図に麻衣のポスターがどこに貼ってあるかを赤鉛筆で書き込んでいて、外出するときは棗さん の家のごくごく近所かずっと遠いところしか連れていってくれません。


 隣町はいくつかあるけれど、北の峰町、新富町、末広町のみっつは桂木町や栄町、若葉町に比べると比較的、麻衣のポスターはまだ少ないみたいです。

 棗さんは桂木町にある中学で国語と、ときどき生物を教えています。


 麻衣は地図の読めない女の子だから弥生町くらいしかわからないんだけど、棗さんは優しいから地図の読み方を教えてくれました。新富町のコンビニでした。


 かごを手にもって、ナプキンと夕ごはんのお弁当を買いました。


 それからココが妊娠しないようにコンドーム。

 どれがいいのかわからないから一番高そうなのをかごにいれました。

 かごを持ってたのは麻衣だけど、お金を払うのは棗さん。


 レジの前で横に並ぶ麻衣たちを大学生くらいの黄色の髪の毛の男の子の店員がいやらしい目で見ました。


 きっと棗さんがいかにも公務員っていうまじめそうな顔をしてたのと、麻衣がセーラー服だったからだと思います。


 麻衣たちは全然似てないから兄妹には見えない。

 15しか離れていないから親子にも見えない。

 これから生理中なのにいやらしいことするんだと思われたんだと思います。




   10月27日、土曜日。誘拐から丸27日が経過。


 チャネリングをしようと最初に言い出したのはお兄ちゃんでした。


「いやよ、おばけなんて呼ぶの。わたしたち今身動きとれないんだからどこへも逃げられないじゃない」


 コックリさんと区別もつかないココが泣きそうな声で言いました。

 例の手錠で足をつながれて三人でバケツのトイレを囲む陣形がUFOを呼ぶのにちょうどよかったらしいです。


 誘拐された物語のような毎日だけでもう麻衣は十分だけど、お兄ちゃんはまだ物足りないみたい。

 UFOなんか降りてきたらまるで何本も名画をパロディした安っぽい映画みたいになっちゃうし、それに飽きたら今度はタイムトラベルか宇宙戦争でもはじめなきゃいけなくなるのに。


 手をつないで天井のずっと向こうの空を仰いで目をつぶる。

 UFOさんUFOさんわたしたちにあなたのお姿をお見せくださいUFOさんUFOさん…

 未確認飛行物体さんて何だろう。

 続ければ続けるほど麻衣はさめていくのに、ココはいつのまにか乗り気になって大きな声でUFOさんを呼んでいました。


 小一時間したら飽きると思ってたのにお兄ちゃんもココも夕方棗さんが帰ってくるまで続けるんだもん。


 驚かせてごめんね棗さん。




   10月28日、日曜日。誘拐から丸28日が経過。


 学校の友達のヒロコが「生理中は会わないし連絡も取らない」っていう誓約書を書かされて好きな男の子とつきあってもらってたのを今日麻衣はふと思い出しました。

 ヒロコと麻衣はだいたい生理のくる時期が同じだったし、ヒロコと仲良くなったのは体育をいっしょに見学したときにいろんなお話をしてからだったから。

 ヒロコは北の国からの純くんの初恋の女の子に似ています。


「ぼくね、生理中は彼に会えないんだ」


 一人称がぼくなのはジャンヌダルクみたいな女の子が世界を革命するちょっと前のアニメの影響。


 ヒロコの彼は高校生で、ヒロコが彼に生理中会えないのは別にふたりがセックスをしてるということじゃなくて、生理中の女の子のこころの不安定さが彼の輝かしい将来へと直結する大切な時期の妨げになるから。


 彼との結婚を夢見るヒロコもそうすることが最良と考えているから手に終えないけれど、彼は最悪だ。


 確かに生理中は普段なら笑ってすませちゃえるようなちょっとした気のきかない発言が口喧嘩の発端となることも多いけど、だったら月に一度一週間くらいは気をきかせてくれたらいいだけの話だし、どんな発言がヒロコの気分を害するのかわからないなら優しい目をしてぎゅっと手をつないでいてくれるだけでいい。

 言葉なんて何もいらない。

 そう、棗さんみたいに。


 麻衣たちは明日富良野をたちます。


 赤い自転車の男の子と綾音さんが富良野中に麻衣のポスターを貼り終えてしまったらもう麻衣は棗さんの家から出られなくなってしまうから。

 どこへ行くのかまだ決まってはいません。でも荷造りだけは済ませました。


 世界は大きな箱庭で、革命でもおきないかぎり麻衣たちがどこへ行こうともどこへも行けないことくらい15歳の女の子にもわかることだけど、生きるということは要するにそういうことでベストセラーのマニュアル本を読まなくたってなぜ生きるのかはわかります。


 それは麻衣たちは生かされているから。自由はすべて剥奪されて。


 棗さんはもうすぐ麻衣を誘拐した容疑者として扱われることになると思います。麻衣と棗さんはいっしょにいる自由さえ与えられてはいません。


 おやすみなさい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る