第303話 見ているだけでも

 それからのことは、よく覚えていなかった。


 とりあえず大浴場には行ったのだが、ぼんやりしているうちに、いつの間にか風呂から出てしまった。


 風呂から出てぼんやりと休憩場で座っていた。つい昨日は前野と話していたというのに……どうしてこうも急転直下な状況になってしまったのだろうか。


「……どうすればいいんだ」


 別に誰かに聞いているわけでもない。無論、答えが返ってくることを期待しているわけでもなかった。


「あの……後田さん?」


 と、聞き覚えのある声が聞こえてきた。見ると、そこには――


「……端井」


 浴衣姿の端井だった。心配そうな顔で俺のことを見ている。


「その……大丈夫ですか?」


「……別に。普通だよ」


「いえ……その……真奈美様も、少し様子がおかしかったので」


 端井のその呼び方に、俺は驚く。端井は俺のことを安心させるように微笑んだ。


「あはは……私、やっぱり、この方が落ち着くなぁ、って気付いたんです」


「……どういうことだ?」


「その……私、もしかしたら、後田さんのこと、好きなのかなぁって、思っていたんです」


「……思っていた、ってことは、今は違うってことか?」


「えっと……後田さんには悪いんですけど……違ったみたいです」


 申し訳無さそうにそういう端井。俺としてはどう反応すればよいかわからなかった。


「……でも、お前、なんか……外川と協力している感じじゃなかったか?」


「あー……まぁ、外川さんの方から協力するって言ってきたんですけど……私があんまり乗り気じゃないから、自分で行動を起こしたみたいですね」


「……お前、何があったか、誰かから聞いたのか?」


「聞いてないですよ。でも、真奈美様のあの反応を見ればわかります。で、後田さんの性格を踏まえれば、何があったか大体想像できますから」


 得意げな顔でそう言われるとなんだか腹が立った。しかし……なぜかその時、無駄に端井のことを俺は頼りがいがある感じに見てしまったのだった。


「とにかく! 真奈美様への誤解を早く解かないとダメですね」


「……あのさ。お前、気付いたって言ってたけど……どうして、その……俺が好きじゃないって気付いたんだ」


 俺がそう言うと端井はキョトンとした顔をしてから、曖昧に微笑む。


「その……私が好きなのはやっぱり真奈美様で……その真奈美様が嬉しそうに後田君と話している姿が最初は妬ましかったんですけど……最近になって、それはそれで、真奈美様が幸せならいいかな、って気付いた、って感じですかね」


「……まぁ、その……結構難しい話だが……とりあえず、俺に協力してくれるってことか?」


「まぁ、協力というか……真奈美様が悲しむようなことはしないように、と注意する感じですかね」


 そう言うと端井は立ち上がって、歩いていきながらこちらに手を振る。


「私としては、真奈美様が後田君と上手く行かなくて、前のように孤独なクールビューティー美少女になっても、全然問題ないので!」


 笑顔でそう言われても、俺としては全然嬉しくなかった。


 ……まぁ、でも、端井の言う通り、とにかく前野に対する誤解を解かなければいけないのは、最も急がなければならないことだというのは、理解できたのだった。

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