第186話 名前

「あはは。一匹だけだったね」


 金魚掬いが終わったあとで、人混みから少し離れた場所に俺たちはいた。


 結局、一匹しか釣れなかったというのに、なぜか前野は嬉しそうだった。


 まぁ、一匹も釣れないよりはマシだとは思うが。


「……一匹だけで良かったのか?」


「え? まぁ、少し寂しいけど、これはこれでいいんじゃないかな?」


「……お前がいいなら、それでいいけど」


「う~ん……そうだなぁ。この子、なんて名前がいいと思う?」


 と、いきなり前野が俺にそう聞いてきた。


「……名前? いや、全然思いつかないけど」


 なぜか前野はジッと俺のことを見ている。


「……なんで俺のことを見ているんだ?」


「ミナト」


 と、いきなり前野に下の名前で呼ばれて俺は少しビクッとしてしまった。体全体がムズ痒いような……恥ずかしい感覚だった。


「……な、なんだ、いきなり」


「あ、ごめん。後田君のことじゃなくて、この子の名前。ミナトにしようかなぁ、って」


 前野はニコニコしながらそう言う。人の名前を金魚に付けるなんて、なんというか……前野らしい。


「……いいんじゃないか。別に」


「ホント? じゃあ、これからよろしくね、ミナト君」


 前野はわかってやっているとしか思えない態度でニヤニヤしながら、上機嫌で金魚に話しかけていたのだった。

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