第9話 黒髪


 ノックの後、母親たちが病室に戻って来た。京子のお母さんの目元は赤くなっていた。


「それじゃあ、祐介、そろそろおいとましましょう。京子ちゃん、お大事にね」


「悠くんのお母さん、お見舞いに来てくれてありがとう」


「それじゃあ京子ちゃん、お大事にね」



 病室からナースステーションに立ち寄り、退出するむね来客名簿にチェックを入れてエレベーターに乗り込んだ。やって来たエレベーターの中にはだれも人はいなかった。


「祐介、京子ちゃんから病気のことは聞いた?」


 俺は首を振る。


「そう、あなたも覚悟しておいた方がいいわよ」


 どういうことだ?


「京子ちゃん、急性〇〇病だそうよ。それもかなり進んでるんですって。治療は抗がん剤と放射線らしいわ。それで、治療を続けて3カ月間体がもてば、そこから完治するかどうか五分五分ですって。明日からすぐに治療に入るから、髪の毛が抜け落ちる前に坊主にするって話よ、あんなにきれいで見事な黒髪なのに。……」


 そこで、母さんも涙声なみだごえになってしまった。俺自身は、顔の筋肉が固まってしまったようなそんな感覚でぼーとしていた。


 1階でエレベーターを降りて、病院からバス停へ。


 母さんの後を付いて歩いているのだが、雲の上を歩いているようで自分の足の感覚がおかしくなったのか力が入らない。


 しばらく病院前のバス停で何も考えられず母さんとバスを待っていたら、そのうちバスがやって来た。そのバスに乗って家に帰りつくまで、二人とも何も話さなかった。


 俺は家に着いたその足で、散髪屋に行き、丸刈りいちぶがりにしてもらった。散髪屋にはそれ以上短く刈れるバリカンがなかった。ここまで短くすると、青剃りとか聞くが、同じように頭の色が青く見えることに気づいてしまった。


 もちろん、夕食時母さんは俺に何も言わなかった。




 翌日。


 通学途上、俺の丸刈りいちぶがりはよほど周囲の目を集めるようで、登校中の同じ中学生だけでなく、大人たちにもじろじろ見られた。


 俺なら、そのくらいなんともない。でもな。女の子がこの目に耐えられるのか?


 おまえたちは、何気ない好奇心からじろじろ俺を見ているんだろうが、見られる人の気持ちは分からないだろう。分からないのが当たり前。幸せの中にいて、そんなことに気づける人はまずいない。それは仕方がない。


 教室の扉を開けて、中に入ると、すでに登校していたクラスメートたちが俺に気づいて、騒ぎ始めた。何を言っているのか気にもならない。俺も見て笑っている者もいれば、何だか戸惑っているような顔をしている者もいる。坊主頭の俺を見て扱いに困っているんだろう。


 そのまま、俺の周りに集まってきた連中を無視して、目をつむってホームルームが始まるのを待つ。


「花沢は、病気で入院するため、この1学期は休学することになった」


 担任がそう告げ、クラスメイトたちが取ってつけたような言葉を担任に投げかける。意味のない言葉のやり取りでホームルームは終わった。担任は俺の頭を見ても何も言わなかった。


 その後の授業中、前を向いて教師の声を聞いているつもりなのだが何も頭の中に入らない。京子のことを考えているという訳でもなく、ただ思考力が低下している。そういった自分を客観的に見ている自分がいるのが不思議だ。


 学校が終わり、すぐに教室を出るとまたあの生徒会の黒ぶち眼鏡、ウザオが教室の出口に立っていて、


「松田、花沢さんのことを何か聞いていないか?」


「聞いていない」


「本当か?」


「好きにしろ、それじゃあな」


 昨日と同じ会話をして、俺は下駄箱に急いだ。靴を履き替え、そのまま京子が入院する病院に急いだ。




 病院の最上階のナースステーションで、面会の手続きをして、京子の病室に向かう。


 ノックすると中から、


「どうぞ」


 おばさんの声がして、中からドアを開けてくれた。


「あらまあ、祐介くんどうしちゃったのその頭?」


「京子が頭の髪の毛を切ったって聞いたので、俺も一緒に坊主になりました」


「バカねえ。でも、祐介くん優しいのね。いま、京子は寝てるけれど、点滴がもうすぐ切れるから看護師さんが取り換えてくれるの。その時には一度起こすから少し待っててね」


 ベッドに横になった京子は、頭を自分と同じほど短い坊主頭をしていた。鼻には以前と同じ吸入用のチューブをつけて、目を閉じて寝ているのだが、その目元が赤くなっている。ほとんど空になった点滴のパックからチューブがぶら下がって、一度小さな機械を通ってテープで巻かれた腕につながっていた。


 そろそろ京子を起こすというので、俺はいったん部屋の外に出ていることにした。


「祐介君、どうぞ」


 おばさんが呼んでくれたので、中に入った。京子もちょうど起きたようだ。


「祐介、今日も来てくれてありがとう。お母さんに聞いたわ。祐介まで坊主になってどうするの? でもありがとう。本当は、私も少し恥ずかしかったから、毛糸の帽子を用意してたんだけど、祐介が坊主頭になったって聞いて止めたわ」


「頭のことを気にする必要はないからな」


「そうね」


 その後少し話をしていたら、看護師さんがやって来て点滴のパックを代えて行った。




[あとがき]

実際の病気の方がいらっしゃると申し訳ないので、病名は、架空の病気ということでお願いします。



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