第10話 時間は冷酷に


 学校が終わると、その足で京子が入院する病院に面会に行くのだが、日によって面会できる日とできない日がある。京子の容態によって面会の可否は変わってしまうので、病院に行ってみて初めて分かる。


 初めのうちは毎日面会できたのだが、そのうち面会できない日が週に一、二回、そして二、三回と増えて行き、京子が入院して一月が経った。


 うちに一番近い神社はそれなりに大きな神社だったので、一度そこに訪れて、お守りを買った。


 そのお守りをもってお見舞いに行き、病室に入る。


 俺が見舞いに来ると決まって京子の母親は気を利かせて席を外してくれる。


 点滴のチューブと、酸素のチューブ。酸素のチューブから京子の鼻に向けて酸素が流れ出ている音が静かな病室の中に聞こえる。


「京子、水天宮にいってお守りをもらってきた」


「えーと、水天宮でお守り?」


「そう。近くの水天宮。これだけど」


「見せて」


 京子に買って来たお守りを渡す。


「あのー、祐介さん? このお守り安産のお守りのようですけど?」


「えっ? 安産?」


「それでも、祐介が気を使ってくれたんだからありがたくもらっておくわ。ありがと」


「そうか、それはマズかったな。こんどちゃんと調べてほんとのをもらって来るから」


「もうそんなことしなくていいわよ。そういえば、祐介、わたし、小さいころから犬を飼いたかったの知ってるでしょ? もしわたしが犬を飼えたら、名まえは『ニコ』って決めてるの」


「ニコ?」


「そう、ニコ、いつもニコニコ笑ってるの」


「犬ってニコニコ笑うのか?」


「さあ、でもいいの。わたしが、この子はニコニコ笑ってると思えば」


「そうかもしれないな」


「でも、うちのマンションじゃ飼えなくてずーと我慢してたの。それでわたしは、外でね、犬を飼うことにしたわ。それは祐介も知らなかったでしょ?」


「それは全然知らなかった。どこで飼ってたんだ?」


「その犬はね、何でもわたしのいうことを聞いてくれるの」


「ふーん」


「ほんとうの犬を飼いたかったけど、そっちの犬もとってもかわいかったわ」


「へーん」


「その犬はね、……いえ、やめておくわ。そのかわり祐介、あなたニコニコ笑って見せてよ」




 京子が入院して、二月ふたつきが経った。そのあいだ、俺はちゃんと病気平癒のお守りを見つけ京子にとどけたら、「祐介、バカね。でもありがとう」といって受け取ってもらった。


 生徒会の方は、副会長をしていた黒ぶち眼鏡が正式に京子の後を引き継いで生徒会長になった。最初のうち黒ぶち眼鏡は京子のことをうるさく聞いてきたが、今では偶然顔を合わせても何も言わなくなった。俺は、生徒会を辞めた。


 そして、京子は日に日にやつれて行った。



 6月も後半に入り、今日は朝から梅雨の雨が降っている。



「祐介、さいきん薬が強いようで、すごくつらいの」


 いままで泣き言を一言も漏らさなかった京子が初めて俺につらいと言った。


「だからね、もう、祐介ここに来ないでいいから。いままでありがとう」


 力のない声で京子が俺にそういった。


「俺が来たくて来るんだからいいだろ?」


「だめ、こんなにやつれて、醜くなって、これ以上変な姿を祐介に見せたくないの。分かってくれる?」


 もちろん京子の言いたいことは分かる。俺だって京子のやつれていく姿を見たいわけじゃない。でも少しでも一緒にいたいんだ。


「そうか、分かった。京子、頑張れ、とか無責任なことはいわないけど、俺の顔が見たくなったらいつでもおばさんに言って俺を呼んでくれよな」


「うん、そうする。それじゃあ祐介」


「それじゃあ、京子」


 そう言って俺は病室を後にした。俺は京子の頬に流れる涙を見ていられなかった。





 病院を出て、小雨こさめの中、今日は家に歩いて帰ろうと思い、傘もささずに歩道を歩いていた。


「バカヤロー!」


 横断歩道を渡ろうとしたら、目の前をトラックが走り過ぎて行った。見れば信号が赤だった。俺はあわてて後ろに下がった。


 雨がシャツから浸みて、寒くなってきた。急いで傘を差して小走りに家に向かった。



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