ヤブ医者・無差別・我が儘
身を守るためにだれもいないとたかを括って入った雑居ビルの一室。整理整頓はされていないが物は多く転がっていて、しめしめと物色してたとき人の気配がしてとっさにそこに転がっていた白衣を身にまとったのがいけなかった。
「ねえ。ヤブ医者さん。このこ見てくれない?」
人のことをヤブ医者と呼ぶような輩の頼まれごとなんて聞きたくはなかったし、そもそも医者でもなんでもない自分のことをそう呼ばれても困る。しかしとっさに着込んでしまったのは確か自分のミスをどうにかするしかない。
しかもこのこと言って差し出してきたのは子犬だ。確かに足は引きずっているようだけれど。知識もなにもない自分にどうしろというのだろうか。包帯でも巻けばそれで満足して帰ってくれるのだろうか。
「こんな寂れた雑居ビルまできて用はそれだけなのか。だったら街の獣医に見てもらえばいいだろう」
そう言ったもののもっと素直に自分では治せないからちゃんとしたところで見てもらえと言ったほうが良かったのだろうか。後ろめたいことをしていた以上、妙なことに巻き込まれてのはごめんだ。勘違いされている以上、無難に追い払うのが得策だと思える。
「こんな世の中だよ。子犬一匹のために時間を使ってくれる医者なんてヤブ医者くらいなもんなんだよ。いいから見ておくれ」
こんな世の中だからこそ、小さな命も救わなくてはならないと思うのだけれど、街は大混乱が続いているのも確かだ。門前払いを受けるのもわかる。
「無差別テロの最中で困っているのはみんな同じだろう。そしてそんな余裕もないこともわかっているはずだ」
だからこうして隠れられるところを探していたと言うのに、どうしてこうやって厄介事に巻き込まれなくてはならないのか。もしかしてここには先客がいてそいつがヤブ医者なのか。だったらさっさと人違いであることを伝えてしまって、逃げ出したほうがいいのではないか。
「そうかい。噂通りにケチなんだね。わかったよ包帯のひとつでも貰えればこっちでやるよ。さっさとよこしな」
なんでこんなに我が儘なのかと思わないでもない。そのあたりに転がっていた包帯を投げて渡した。むこうも危なげなくそれをキャッチすると満足気な表情を浮かべる。
「ありがとうよ。こんな物資だけでも感謝しないとね」
そう言って子犬を抱き上げるとそのまま去っていった。
しかしここにいるとまだ面倒事に巻き揉まれるかもしれないのでさっさと立ち去ることにする。包帯のほかにもなにか使えそうなものがないかと物色をしているとひとつのメモがあった。
「おっと。それはみちゃいけないものだよ」
人の気配なんてなかったのに急に話しかけられて驚きのあまり飛び跳ねる。
「人のものを勝手にあげちゃったことは見逃してあげるから、さっさと逃げるんだね。まだ死にたくないでしょ?」
おそらくヤブ医者と呼ばれてる人なのだろうけれど、その気配からは医者とは程遠い圧を覚える。
「す、すまなかった」
その圧に言葉も出てこずその場をそそくさと立ち去る。明日の日付、正午ちょうどに街中の大きなビルの名前。メモに書いてあったその内容を必死に忘れようとする。覚えていたらきっと後悔してしまう。
起きるであろうその悲劇を受け止められる自信はとてもじゃないが持ち合わせていなかった。
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