買い忘れ・インプラント・ルービックキューブ

「ねえ。そんなことばかりしてないで、いい加減インプラントにしたほうがいいんじゃない?」

 よっぽど噛みちぎるのに苦戦したいたように見えたのか、そう何度目か忘れてしまったしつこい提案に心の表面にさざなみが立つのがわかる。言われなくても自分がいちばんそう思っていると言いたいけれど、言ってしまえば最後。だったらの枕ことばから始まるお説教はとどまることを知らないのが分かっているのだから、ぐっとこらえたまま。ああ。そうだなとだけ返しておく。

 別に歯が2、3個抜け落ちたままでもそんなに不自由していないのだが、そ言う問題じゃないと反論されればそのとおりだと返すし、忙しくなければいつだって治療する気はあるのだがいかんせん時間がかかる歯医者に通い詰める余裕がないのが問題だ。

 しかしそんな悩みが生まれてくるようになるとは自分も年老いたのだと否が応にも考えてしまう。

 物忘れもひどいものでこの前もなくなるからと言ってシャンプーを買い行ったのに、ドラッグストアのあまりの大きさに純粋に買い物を楽しみ始めてしまい、肝心のシャンプーを買い忘れたりもしだす始末だ。いや、あれはいろいろなものを置きすぎているドラックストアがいけないのだと、言い張りもしたけれどそれを加味しても確かに衰えたものだと思うエピソードのひとつになってしまった。

「食べるときくらい手を止めてくださいよ」

 そう続けてくるのは確かに行儀は悪い自分がいけないのだと理解している。しかし、食事自体は終了しているしごちそうさまもした。食後のフルーツを食べているときくらい手を動かしていてもいいじゃないかと思う。思うだけだが。

 そもそも手を動かしているのはボケ防止のためだ。興味があったけれどできないと思いこんでいたルービックキューブを見つけてたのはシャンプーを買い忘れたときだ。

 インターネットで調べてみたら、どうやらパターンがいくつかあるだけで、それを覚えてしまえば、揃えるのはそんなに難しくないらしい。そんなバカなと説明を参照しながら進めてみたが案の定揃わなかった。

 騙されたと思い、投げ出したのだがそれをたまたま遊びに来てた孫があっという間に完成させているのを見て、思わずどういうことだ!と叫んでしまった。

 説明どおりにやったらできたと言う孫の証言にショックを受けたのは間違いなかった。それからというもの時間を見つけてはこうやって没頭しているのだが、もどかしい時間が過ぎているのもわかる。いま一歩のところまで来ているのだが、そこから手順を間違えるクセが付いているみたいで、どうしても完成しない。

「あのね。いくらそうやってボケることには変わりないんですよ」

 あまりに行儀が悪かったのか。ついにはそこまで口を挟んでくるようになってしまったか。しかしそこまで言わなくもいいじゃないか。確かに事実だけれども。

「私との会話も楽しんでくれないと、私が先にボケちゃいますよ」

 予想外の言葉にルービックキューブが地面に落ちた。そのルービックキューブはきれいに色がそろっていたのだけれど、それについてはもうどうでもよくなっていた。

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