当主・常習・酒乱

 駅の改札をくぐる前、その直線100mをダッシュしているのは決して競技会を目指しているわけではなくて、乗りたった電車がホームに入ってきたのをバスから確認したからだった。

 普段なら諦めてしまいそうなタイミングだが今日だけは事情が違った。遅刻の常習犯と名高い自分がついに、上司からいわゆるお呼び出しを受けたのは一昨日のことだ。当然のように遅刻について咎められた。社会人何年目だとか、なってないとか、定番のセリフでこちらの罪悪感を増幅させようと躍起になっていたのが手に取るようにわかる。

 そんなことを言われ続けてもやりたいゲームの消化は進まないし、積んである本も減りやしないし、期待の新規アニメのチェックも終りやしない。しまいにはこなさなくてはならないデイリーミッションは誰がこなしてくれるのだろうか。

 そんな反論は許されるはずもなく、口に出すこともなくひたすら頭の中をぐるぐると回り続ける。結論として向こう一ヶ月の遅刻に合わせて今後の減給が約束された。

 そういうわけでいきなり遅刻するわけにはいかないのだ。乗り遅れた遅刻確定の電車が目の前にある状況を作ってしまったのだけは後悔するが、そうなってしまったからにはそこは考えないでおく。

 学生時代から遅刻しそうなたびにダッシュをして鍛えられた肉体がきしみを上げながら速度を上げていく。周りの人が邪険な顔をするが気にしている余裕はない。走りながらポケットからICカードを取り出して改札機へかざす。その動きはまるでリレーをつなぐ日本代表のごとく無駄がない動きだ。

 ホームまではあと数メートル。乗り換えが激しいこの駅では一分ほど停車する。まだ間に合う。そう思ったときだった。目の前に男性が飛び出してきた。朝だというのにネクタイを頭に巻いて手には酒瓶。酒乱と呼んで差し支えないだろう人。

 必死なんってその人に当たらないように避けようとしたら足がもつれた。そしてそのままその人を迂回しながら転倒した。その拍子に頭に衝撃が走った。そのまま意識が遠のいていく。

「大丈夫ですか?」

 どれくらい意識を失っていたのか、気がついたら目の前に先程の男性の顔が目の前にあった。巻いていたはずのネクタイがなくなっているし顔色もしっかりしている。

「で、電車は!?」

 ホームを確認しようとするがそこがホームでなくどこかの部屋であることがわかり、愕然とする。おそるおそるスマートフォンを確認する。着信履歴の数だけ見てそっと画面を暗くした。もうここまできたら諦めるしかない。むしろ清々しい気分だ。寝不足もあったのか、よく寝てスッキリもした。

「仕事大丈夫ですか?よければ私から事情を説明しますけれど」

 先程まで泥酔していたはずのその人はハキハキと言葉を口にしている。よくみればそれなりに良さそうな服を着ているし普段はちゃのとした人なのかも知れない。

「いや大丈夫です。首の皮一枚でつながっていたものが切れてしまっただけですから。対して違いはありませんよ」

 減給になるくらいなら辞めてしまったほうが身のためだろう。

「そんな。なにか補填させてください」

 そう頭を下げるその人になんだかこちらが申し訳なくなってくる。

「当主そろそろ時間が」

 気配を感じなかったがその人の後ろに黒服サングラスの男性が立っていて耳打ちする。なんだか偉そうな人なのかも知れない。ぶつからなくて本当によかったと思う。

「そうか。申し訳ないもう行かなくてはならなくて、なにかあったらここに連絡してください」

 そう言って差し出された名刺にはとある有名企業の名前が印刷してあった。慌てふためいている間に彼らは立ち去ってしまって、取り残された自分はここがどこかもわからないまま、ただただ呆然とすることしかできなかった。

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