ジェラシー・ロックスター・喜劇

 喜劇と呼ばれる人生を歩みたかった。そう誰かが言っていた気がする。そう言っていた本人の人生は喜劇と呼ばれるなんて程遠い悲劇と呼ばれるものだったと記憶している。

 子どもの頃からロックスターに憧れていた。自分の気持ちを表現しているその姿に見とれたのは、自分の生活が抑圧されていからに他ならない。家柄は関係なく普通の家だったと思う。しかし、常にルールだけを守ることを強要された厳格というより頑固な父。母がいないのにもそれが理由だったように思う。しかし、行く当てもない自分には従う以外どうすることもできなかった。

 だからどこかでジェラシーを感じながらもロックスターと言う存在にあこがれていたのは、必然と言えばまさしくその通りだ。

 家から飛び出したのは12の時だ。ひとりでなんとか生活できる自信がついたころだ。窮屈な家にいられなくなった。ルールは年々厳しくなり、それはルールではなく父の都合のいい使用人になると同意義になっていたからだ。

 当然の様に音楽の世界に飛び込んだ。なんでもいいから雑用をさせてくれと頼み込んだそこで、基礎を学んだ。

 しかし才能がなかった。想いも足りなかった。だから演じた。人々が望む姿になり、望む言葉を与えた。次第にそれは不思議と認められていったのだ。

 それは望んでいたロックスターへの道とは違い、自分の気持ちを出す行為とは正反対の様に思えたけれど、結局ルールで縛られ続けた自分には到底できないことなんだと次第に諦めていった。

 そして今、自分自身が喜劇を歩んでいるとは思えない自分が喜劇の王としてステージの上に立っていることを少しだけ後悔している。これじゃあるで悲劇だと思わないでもない。喜びなんて一つもないこの場所で喜劇を演じる。それがいかに滑稽なのかと考え、そして辞める。考えても仕方のないことだ。求められているなら演じよう。みなが笑ってくれていればそれでいいのだ。たとえ自分がいくらむなしい気持ちでここに立っていたとしても。

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