五寸釘・一輪車・季節外れ

 季節外れの寒気が北の方から流れ込んでいている不思議な空模様だった。やけに空は暗くて、じめじめとした空気となっている。夏の暑い日の切れ間とでもいうのか、昨日までとは打って変わって過ごしやすい日だ。

 だからというわけではないのだけれど、冷房の効いた部屋から出たのには理由がある。殺したいほど憎いやつをこれ以上野放しにしておけないからだ。

 少し昔話をしよう。やつのしでかした数々の悪事についてだ。やつは自慢の筋肉を武器にあらゆる罪を重ねた。恐喝に強盗、主に力ずくに犯罪を繰り返していた。自分が被害にあわなければ、見かければ避ける。その程度の危機回避能力さえあれば関わり合いにならないはずだった。そう自分の身内が被害にあうまでは。

 本人はちょっとお金に困っただけみたいだけれど、それによって引き起こされる事件としては最悪だ。被害者は父と母。道端でわざとぶつかってきたやつの慰謝料と叫ぶ姿が数人に目撃されている。正義感の強い父のことだ。反抗したに違いない。それがどういう結末になるかなんてわかってくれていると思っていたのに。そうはならなかったみたいだ。

 そうやって両親を失った。それは到底許されるものではない。しかしやつはのうのうとそのあたりの道を闊歩している。それはやつが町の権力者の息子であり、その権力があらゆるものの上に位置するからだ。

 だからやつに復讐するためにここにいるのだ。深夜の神社の裏手の森。ここでやることは一つ。やつの髪の毛を詰め込んだ。藁人形に向けて五寸釘をひたすら打つ抜くのみ。

 うまく行くなんて正直思っていない。そもそも成功する道理がない。けれどやらなくては気が済まないのも事実だ。いや、むしろその理由の方が強いのかもしれない。いくらこんなことをしたってふたりは戻ってこないのだから。

「おい。そこで何をしている?」

 機嫌の悪そうな声が聞こえた。いったいだれがどうしてこんな時間に好き好んで居るというのだ。その理由を考える前に足が動いた。

 念のために用意しておいた逃走用の一輪車を手に取ると勢いよく漕ぎ始める。ふたりから貰った大事な技能をこんなことに使って申し訳ない気持ちと、山道で乗ったことなんてなかったから怖くてしょうがない気持ちが強い。つまり、どうでもよくなっていたのだ。やつに復讐など。それは帰るまで気付かなかった。

 それからしばらくしてだやつが不慮の事故で入院したうわさで聞いたのは。

 しかし、それどころではなかった。オフロードを走ることが出来る一輪車の競技開発にいそしんでいたから。

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