クリームソーダ・番傘・人生

 クリームソーダを片手に道を歩いていた、年甲斐もなくおしゃれな飲み物を持っているのはわかっている。しかし、タピオカミルクティーなんてお腹がもたれそうな飲み物は飲みたくなかったのだから仕方がない。今、歩いている道もただの道ではない古い石畳だ。普段のアスファルトを踏みつける感触と大した違いが判らないのは履いている靴のせいなのか。それとも足の裏が鈍くなってしまっただけなのか、還暦を迎えたばかりの舞子まいこにはよく分からなかった。

 通りの右も左も商店が立ち並ぶそこは、観光地ならではの活気に満ち溢れている。こういう雰囲気に当たっていると懐かしさと一緒に物足りなさもこみ上げてくる。ふと隣に手を伸ばしそうになって、その手を引っ込める。少し前までこうすればすぐに察知して手を取ってくれた人もここにはいない。ふと行き場をなくした手は店頭に並ぶ番傘をつかんでしまった。

 あっ、と思ったがもう手に取ってしまったからには少し持ち上げて興味があるふりをしてみる。竹でできた骨組み心棒も竹だが太さが違う、手になじむその太さは使い手の心に寄り添っている気がした。

 あの人の手に似ている気がする。手に持っていたクリームソーダを脇のベンチに置かせてもらうとゆっくりと開いてみる。薄い紅色の和紙が太陽の光を薄く通してほんおりやわらかい陽光へと変えてくれる。これは日傘なのだろうか。これならどちらにでも使えそうな気がするのだが。少し気に入ってしまって、元の場所に戻すのが惜しい気がしてきてしまう。その時点でこの商店の狙いにはまってしまっているのだろうけれど、これも運命だと思いそのままお会計を済ませてしまった。しかもベンチに置いたクリームソーダを忘れそうになって店員さんに声をかけられてしまった。さらにその瞬間を娘夫婦に見られていたものだから、たちが悪い。

「お母さん。しっかりしてよね。まだ、ボケられちゃ困る年だし。まだまだ元気でいてもらわないと」

 厳しい言葉なのはまだまだ長生きしてほしいという心の表れかそれとも、看病なんてしたくないという心の表れなのか。どうしたってそうやって疑ってかかってしまう。これも年齢のせいなのだろうか。そんな自分が嫌に思えてきても反射には逆らえない。でも、こうして元気のない自分を連れ出してくれたのは感謝している。

「クリームソーダ飲まないならちょうだい」

 こちらの返答も聞かずに奪い取ってしまう娘に呆れてしまうのと同時に、その旦那に申し訳なさがこみ上げる。子育てを間違えたつもりはないがこう無遠慮な性格だと困ることも多かろうと思う。それを受け入れてくれる人に出会えたことは感謝しないといけないよと言い聞かせてはいるのだが、どうにものれんに腕押しとでもいうのだろうか、手ごたえが感じられないのだ。

 クリームソーダだって娘が飲みたいと少しごねたからだ。自分が飲みたいものがあるが久しぶりに味は楽しみたいのだという。娘が自分で飲みたかったのはタピオカミルクティーだったらしく、おいしそうに飲んでいた。しかしそれもすぐに飽きてしまったようで旦那さんに預けて、ひとり小物屋さんに入って行ってしまったのだ。追いかけていく旦那さんをしり目に一人残された舞子はクリームソーダを片手に番傘を買ってしまったわけだ。

 帰ってきた娘の手には袋が下げられている。衝動買いをしてしまったようだ。似た者親子ということか。ふう。ため息が少しだけ出る。

「疲れましたか?どこかで休憩でも取りましょうか」

 ほんの少しのため息にも気にしてくれる旦那さんに感心してしまう。よくできた男を捕まえたものだとわが娘ながら感心してしまう。

「大丈夫よ。もうすぐあの人が帰ってくるのだもの、もう少し頑張らないと」

 そればっかりは本心だった。あの人が修行から帰ってくるのを心待ちにしていた。

「お父さん。元気かなぁ。髪の毛残ってなかったりして」

 そう笑う娘に髪の毛は出家したのだからあるはずがないと突っ込むタイミングを逃し、軽く笑うことしかできない。

 なぜ50を過ぎて出家したのかはいまだにわからない。自分に原因があるのかと自身を責めた日々もあったけれど、今となってはどうでもよくなっていた。あの人も、私も、自分の人生をただ生きているだけだ。そこに是も非もない。

 ただ、あの人の懐かしいぬくもりを感じることが出来るのだと思うと少しだけうれしく思うだけだ。

 喉が渇いてきた。クリームソーダを口に運ぶ。それは口の中に広がると甘さを強烈に主張してくる。まるで、ふたりの思い出の様に感じられ、これからの人生に少し彩を与えるのだ。なんて年甲斐もなく思ってしまって少しだけ空を仰いだ。

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