バラ園・1995・アタッシュケース
そのアタッシュケースは不自然にそこにぽつんと置かれていた。よくみる銀色のやつだ。近くにだれかがいる訳でもない。忘れ物にしてはしっかりと立っていて、その存在感を増すことに一役かっていた。
はて?首をかしげるが、だれかが答えを教えてくれるはずもなくしばらく時間が流れる。
忘れ物ならここの管理人に届けなくてはならないとは思うが、少し離れているだけですぐにもどってくる可能性もあるのだ。知らんぷりをしてこのまま立ち去ることも出来たが、どうしたって気になるその存在に心を奪われていた。
たまの休日。特にやることもない休みにやるとこと言えば散歩するくらいだった。
近所ではわりと有名なバラ園だ。休日ともなればそこそこ人が集まる場所ではあったが、平日の昼前ともなるとそこまでの人気はなく。散歩中の老夫婦とすれ違ってあいさつをなわした程度だ。ここのバラ園は入り口が一ヶ所あって、順路通りに歩けば反時計回りにぐりると一周できる作りになっている。その入り口からちょうど一番遠い場所。色々なバラが植えられているメインの場所。その手前の休憩できる東屋のベンチに問題のアタッシュケースはあった。
近くにトイレもあるし、用を足したらすぐに帰ってくるかもしれない。忘れてそのまま先に進んでしまったのかもしれない。いや、でも、と、どうしようもない事が頭の中でぐるぐると回り始める。
「あれ。不審物ですかね」
気がつくととなりに見知らぬ男性が立っていた。同じようにアタッシュケースが気になったようだ。
それがわからないんです。忘れ物かもしれないですし。そう告げるとむむむ。と男性も悩み始めた、
「近寄ってみられましたか?」
いえ。まだ。そう答えると男性がずんずんと近寄って行った。
そうして、男性はアタッシュケースを手に取った様に見えた。しかし、そうはならなかった。
先ほどまでいたその男性の姿は忽然と消えてしまったのだ。慌てて近寄る。なにかあって倒れてしまったのかと思ったからだ。
けれど、その周囲にはだれも倒れてなどいない。人の姿もどこにもなかった。
いったい?なにが?
突然の事に頭が追い付かない。ふと、アタッシュケースの持ち手の部分のつけねとつけねの間にダイアル式の4桁の数字が目に入った。
暗証番号式の鍵かなにかだろうか。しかし、気になったのはそこではない。それが、どうしてだか動いた気がして目に止まったのだ。
『2000』
特に不審な点はないはずだが、だれも触れていないそれが動いた様に見えたのだ。なんだか怖くなったので持ち主や男性の事など忘れて、すぐさまバラ園の出口に向かい、管理人にアタッシュケースの事を報告した。男性のことはなんて説明していいかわからずに、黙っていてしまった。
家に帰ってからもそのことが頭から離れずに、ことある事にちらつく。なにも手に付かず、寝ることも出来ず、時間だけが過ぎていく。仕方なくバラ園にもどることにした。管理人さんからあれはなんだっのかと聞くだけだ。ちょっと気になった言えば教えてくれるだろう。そう思っていたが戻ってみると管理人さんの姿が見えない。消えた男性の事が思い出されて身震いする。
まさか。
気がつけば全力で走っていた。バラ園にほかの人の姿は見えない。アタッシュケースの置いてあったベンチまでやってくると、そこにアタッシュケースは先ほどと同じように置かれていた。管理人さんの姿は残念ながら見当たらない。
アタッシュケースもなにも変わらないように見える。いや違う。数字が変わっている。
『1996』
さきほどより小さくなっている。だからどうしたと言われればそれまでなのだが、そのことが気になってしかたがない。
これに、触れたらどうなるのだろう。あの男性は?管理人さんは?
どうなったのかわかるのだろうか?不思議な引力に寄せられるようにアタッシュケースに手が伸びる。
ーーカチリ。
だれもいなくなったベンチの上で静かにダイアルが回った音がした。
『1995』
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