家系ラーメン・バンコクの正式名称・フグ
30過ぎると途端に自分の体調を気にしだす。特に食生活についてだ。決して20代の頃に、気を使っていなかったわけではないが、体が直に影響を受け始めている実感が急激に襲ってくるのだ。食べ過ぎれば胃がもたれるし、飲みすぎれば次の日に残る。食べれば食べるだけ、贅肉へとそれは変化し、体は大きくなるばかり。急に危機感が襲ってくるのだ。20代の頃のまま生活を続けてはいけない。それが、あらゆるものから感じ取れるようになった。しかし、自分の欲望を抑えるのもまた、それは制御の効かないものである。
まあ、何が言いたいのかと言えば、月に一度の一杯500円の家系ラーメンの行列に並んでしまっている、自分への言い訳に過ぎない。昔はこんなことで、体調の事を考えだしたりはしなかった。好きなものを好きなタイミングで食べることができた。
行列に並び始めてそろそろ5分。あまり時間がかかるようだと、昼休みが終わってしまう。できれば早くご飯の上に汁をたっぷりと吸ったほうれん草を乗せて食べたいものだ。
ふと、はす向かいにある、行列が目に入った。人の並びはこちらのものより長い。しかし、どうにも回転が良いようで、店に入ってもすぐ同じ量の人が入れ違いで出てきているようだ。
お手軽なものが食べれるのか。
よく見てみるとラーメンの文字が描かれたのぼりが立っていた。
『いっぱい100円!今だけ!』
そう書かれたのぼりを見た瞬間に、気持ちがそちらへ引き寄せられるのを感じた。家系ラーメンの店内はあまり動きがなく、ご飯をお替りしている姿が目立つくらいなので、まだ時間がかかりそうだ。であれば、あちらの方がいいのではないだろうか。あれだけの行列も気になるし、回転率が良いのも気になる。なにより100円というのが、魅力的だった。まだ、動き続ける列を見て決意を固める。あっちにしよう。
ぐーんと伸びた列の最後尾に並ぶ。前の人がぶつぶつと何かをつぶやいていた。どうしたんだろう。なにかったのかと思ったが、後ろに並んだ人も難しい顔をしてぶつぶつと何かを言っていた。頑張って聞こうとしてみたが、呪文のようななにかで、よく聞き取れない。
不思議に思っているが、声をかけるのも悪いので、仕方なく順番を待つことにする。案の定、行列はすぐに動き始める。順番に人が入っていくのを見ながらなんのラーメンが食べられるのかを観察する。
『フグラーメン』
その看板が見えて、テンションが上がる。フグのラーメンなんてめったにお目にかかれない。しかも、それが100円だなんて、幸運に恵まれている。
しかし、妙だ。店に入った人がすぐに出てきている気がするし、その表情は難しい顔をしていて、晴れやかでない。フグのラーメンを食べて出てきている人の表情ではない気がする。
そうこうしている内にどんどんと、列は先に進む。期待もしていたが、どこか不安がこみ上げ始める。
しかし、まれにこの世の至福をすべて得られたのではないかと思うくらい幸せそうな表情の人が出てくるのを見かけた。ものすごくおいしいに違いない。
そうしてようやく店に入ることのできた。そしてその目の前によくわからないカタカナの羅列が書かれた看板が現れた。
「お客さん初めて?」
横に立っていた中国人らしき店員さんがそう声をかけてきた。
「は、はい。初めてです」
「じゃあ、とりあえず、100円ね」
料金は前払いなのか。食券機じゃないのに珍しいなと思わないでもない。
「じゃあ、説明するね。チャンスは一回。とりえず一分で覚えたらこれを読み上げてね。全部噛まずに読み上げられたらフグラーメン食べていいよ。ダメだったらもう一度並んでチャレンジしてね」
なんの話だ。ラーメンが食べられるのではなかったのか。チャレンジとは一体。
「それじゃ、一分開始ね」
店員さんは持っていたストップウォッチをカチリと押してタイムを図り始めた。
『クルンテープ・マハーナコーン……』
いや、読み始めたが意味が分からない。とてもじゃないが覚えられる気がしない。
「これなんですか?」
思わず聞いてしまった。
「時間ないよ。そんなこと気にする必要あるか?ラーメン食べたいんだろ?ほら覚える」
『クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット』
とりあえず読んでみたが何のことだかわからない。これを覚えろって。そんな無茶な。
「はい時間切れ。隠すからな。スタートって言ったら、覚えたの言ってみ」
こちらの都合なんて知ったことじゃないと言わんばかりの店員さんにせかされる。
「クルンテープ・マナコナー・アマ……」
「はい!失格!ラーメン食べたかったらもう一度並びなおして!」
急に態度が悪くなった店員さんに押し出されるように外に出た。
「クルンテープ・マハーナコーン。アモーンラッタ……」
後ろでつぶやいていた人が何を言っているのか聞き取れるようになっていた。その人は店の中に気合を入れて入っていく。
『フグラーメン一杯1500円!チャレンジ料いっかい100円』
そう描かれているのぼりの隣にぼんやりと立ち尽くしながら。もう一度チャレンジしてみようかなと、よくわからない文字の羅列を思い出しながら、列の最後尾へとむかった。
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