第6話 法
先日は面白いものを見た。
若い牧師が私の才能を見極めるために鑑定を行ったのだ。
その際に私の視界にはゲームのようなポップアップが表示された。これは前世ではあり得ない事だった。
基本的に他人の能力の可視化は第三者視点で行われる。つまりは、この世界を見下ろしているナニカが居ると仮定できる。
例えばゲーム内の数値。
レベルという概念が有るが、ゲームによって最大値が違う。
ゲームAのレベル99とゲームBのレベル9999のキャラクター、何方が強いか?という質問に対しては、それぞれのゲームの基準が異なるために明確な答えが出ない。
つまりは単純な数値比べではなく、想像でしか語れない事になる。
ゲームAのレベル99のキャラクターが『地球割り』の技を使うのに対して、
ゲームBのレベル9999のキャラクターが『ヤクザキック』しか使えないならゲームAのキャラクターの方が強いのではないだろうかと私は考える。
評価者が違えば基準が異なる。牧師は才能を鑑定すると言っていた。
では個人に対してその『才能がある』と言う第三者は何者か?
神と言う人間がいたから宗教が有る。
では、神とは何かと言う疑問が生じる。
それが世界の機能だとしても、実際に存在し我々を見下ろしている物体だとしてもこの世界の住民はそれを疑問には思っていない。
目の前にポップアップが突然表示される現状に慣れていると言う事は前世とは違う、この世界にしか無い『ルール』が存在する。
前世で最も信仰されていた宗教は科学であったが、今世で最も信仰されている宗教は魔法とも呼べる奇跡であると言えるのだ。
これは、試すしか無い。時間は有り余っているのだから。
私は寝ながら指を立てて自分の顔の前に見やる。
「だうー(水を10ml指先に生成)」
すると、体の力が抜けて指先に球状の水が生成された。
これで・・・言葉ではなく理解の度合いと意識による指示だけで自由に現象を創造出来ると証明された。
単純な話、言葉を話す必要はない。
〇〇をしたいと言う意識が魔法を発動させる準備行動となる。
しかし、新たな疑問。基本的に人間は誰しもが『楽をしたい』。生活において『こう出来たら楽なのに』と言う文言は必ず出てくる。
願ったらできる。
では、なぜこの程度の文化水準であるのか。
極論、人の欲望は尽きないが為に無限に発展できる筈だがそれにしては文明の程度が低すぎる。
部屋を照らすのは蝋燭の灯り。昼ですら日の刺さない影がある場所は存在し部屋の気温は肌寒く、季節を感じる。
肌寒いなら『もっと暖かくなったらいいのに』と願う人間が一人はいる筈。では何故そうなっていないのか。
先ほど自身の願望と共に抜け落ちた力。それが願いに対する制限であるに違いない。
単純に、この身以上は願えないと言う制限である。
私は、この奇跡的な法則に魅せられた。科学は人類をより発展させ、地球をも破壊しようとしていた。
国外へ行き来し宇宙へ月にも行くことが出来るのは一重に科学あってのこと。
最高の技術だ。
私は人生を賭けてこの『魔法』を極めたいと思った。
科学では指先に水球を作る事など到底出来ないのだから。
私は初めて創り出した水球を口の中に入れた。
「・・・うー(まっずい)」
ミネラルを含まない純粋の味がした。
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