2020/10/09~11

     2020年10月9日、金曜日。


あれから、一週間以上が過ぎました。

ですが、何の進展もありませんでした。


今日はお母様の誕生日。


ももかに電話をして、お母様のことを訊きましたが、お母様はまだこどもがえりをしたままだそうでした。


お母様とお話がしたかったけど、いまだにいっしょに暮らしているももかのことがわからなくなったり、数日おきに記憶がリセットされてしまうらしく、今日はお母様の誕生日だというのに朝からずっとお父様のことを呼びながら泣いていて、まったくお話ができないそうでした。


3ヶ月ぶりに聞くももかの声は、ゆりかの知る舌足らずなこどもっぽい声でしたが、怒ったり泣いたり、かと思えば急に笑い出したり、、、ももかもとても情緒不安定でした。


急にいなくなってしまったゆりかへの怒りや、

ゆりかが勝手にももかの知らない人を、ももかの預かり知らぬところで勝手にお手伝いさんとして雇ったりしたこと、

パンデミックや戦争は終わったはずなのに、某国や合衆国が突然滅んでしまったこと、、、


何よりも、大好きなお兄ちゃんがそばにいないこと、、、


それが原因だということは、たぶんゆりかでなくとも、ももかのことを知る人なら誰でもわかったことでしょう。


今のお母様のそばにはお父様が必要で、今のももかには雪侍さん、いいえ、佐久間航さんが必要でした。


お父様や佐久間航さんにとって、

世界を変えるとか、匣をすべて破壊するといったことは、

お母様やももかがいつも笑顔で幸せでいられるために過ぎないこともまた、ゆりかでなくても、ふたりを知る人なら誰でもわかることでした。


それなのに、ふたりとも、一番大切な人のそばを離れて、一度も帰らず、連絡もせずに、世界や匣のことばかり考えてしまっている、、、本当に男の人というのはどうしようもありません。


ゆりかは、小久保晴美さんに電話をし、ふたりが今見失ってしまっている、一番大切な人のところへ帰れるようにしてあげてと、お願いをしました。


ふたりには、お母様とももかのそばにいてあげてほしいと思いました。


あとのことはもう、全部、ゆりかとアリスちゃんにまかせてくれていいから、、、


それでいいの? ゆりかちゃんは大丈夫なの?


晴美さんは訊きました。


大丈夫、とゆりかが答えると、大丈夫じゃない人に限って、大丈夫って答えるのよ、と言いました。

それは以前ゆりかがお父様に言った言葉でした。


大丈夫なわけない。

お父様がいなかったらゆりかは、、、


でも、お父様が目指す世界に、匣は存在してはいけないのです。

お父様が創る世界に、ゆりかは存在してはいけないのです。


「晴美さんも降りていいからね。あとはゆりかとアリスちゃんがどうにかするから」


「ゆりかちゃんの気持ちはわかったわ。でもわたしは降りないわ」



だって、わたしも匣の所持者だから。


あなたたちが探している、残りの匣、すべての。



晴美さんはそう言って、電話を切りました。


数分後、ももかから電話がありました。


お父様と雪侍さん、いえ航さんが、お母様とももかの前に突然現れたそうです。


お父様も航さんも、なぜ東京にいたはずの自分が、一瞬でそこに転移させられたのかわからず、困惑していたそうでした。


晴美さんの仕業だと、ゆりかにはすぐにわかりましたが、ももかには何も言いませんでした。


お父様の姿を見た瞬間に、お母様は失っていた記憶をすべて取り戻したそうです。



ありがとう、晴美さん、、、

晴美さんが残りの匣のすべての所持者だったなんて、思いもよらなかったけれど、ゆりかとアリスちゃんと晴美さんなら、きっと世界を変えられる。




     2020年10月10日、土曜日。


匣の守護者が名乗る、ソロモン72柱の名前。


旧約聖書に記される、ソロモン王が使役したとされる悪魔の数を72柱とすることは、魔術書『レメゲトン』の第一部『ゴエティア』に準拠しており、


ゴエティアに記された悪魔のうちの68柱は、ヨハン・ヴァイヤーという人が記した『悪魔の偽王国』から引用され、


悪魔の偽王国には、ウァサゴ、セーレ、ダンタリオン、アンドロマリウスの4柱についての記載はなく、代わりに「プルフラス」という一柱の悪魔が記述されているそうでした。



「つまりは、匣は全部で72個ではなく、73個目の匣が存在するってことかしら?」


アリスちゃんの問いに、


「いいえ、匣は全部で72個よ」


晴美さんは答えました。


「意味わかんないんですけど?」


「あら、人類史上最高の遺伝子を持つ元合衆国大統領も、大して頭がいいわけじゃないのね」


晴美さんの言葉に、アリスちゃんはムッとして、あっかんべーをしました。


「ゴエティアには記されており、悪魔の偽王国には記されていない、ウァサゴ、セーレ、ダンタリオン、アンドロマリウス、、、

この4柱の悪魔は、プルフラスの力を4つに分けた存在、、、と言えばわかるかしら?」


「4つの匣は、4つでひとつ?」


「その通りよ、さすがゆりかちゃん!」


「ちょっと!?晴美!!ゆりかとわたしに対する態度違いすぎない?」


「でも、ダンタリオンの匣は雪侍さんが、、、」


ダンタリオンは、某国の国家元首キュロ・ヒキカサが所持していた匣の守護者であり、

その匣は、雪待さんに契約をもちかけたことで、彼の怒りを買ってしまい、破壊されていました。


「私が、目の前で本物の匣を破壊させると思って?

私が匣の所持者であったとしても、なかったとしても、科学者である私にとって、私が所持していない匣はすべて、オーバーテクノロジーの塊なのよ?」


「つまり、ミスター雪侍が破壊したのはダミー、、、」


「だからね、ゆりかちゃん、

ゆりかちゃんの体の中の匣、アンドロマリウスは、匣としては今は不完全な状態なの、、、

ウァサゴ、セーレ、ダンタリオンの三つの匣を取り込むことで、匣はプルフラスという本来の姿を取り戻す、、、」


「あの、、、晴美さん、どうしてプルフラスだけが、4つに分けられたの? 何か意味があるんだよね?」


ゆりかは、できることなら、匣をさらに三つも体に取り込むことは、避けたいと考えていました。

今、ゆりかの中にある匣だって、取り除けるのならば、取り除きたかった。


でも匣はゆりかの子宮の中で、赤ちゃんのようにへその緒を伸ばし、そこからゆりかの体中の細胞や神経へと根をはって、とりのぞくことが不可能な状態にありました。

ゆりかの体の中に匣さえなければ、お父様が創る新しい世界でゆりかもいっしょに生きていくことができるのに、、、


考えないようにしていたけど、、、匣の話になるたびに、ゆりかは涙が溢れだしそうになります。


「だって、女の子だもん」


涙を目に溜めるゆりかをからかうように、そう言ったアリスちゃんのヘッドドレスの上に、晴美さんの雷のようなげんこつが落ちたのは、その直後のことでした。


「痛い! ヘッドドレスが折れて、頭皮に刺さって痛い!」




     2020年10月11日、日曜日。


「紀元前の時代、匣をこの星にもたらした文明は、いくつかの勢力にわかれていた。いわゆる同盟関係ね。


4つの匣に分けられたプルフラス以外の、68の匣をもたらした文明は、


アリスちゃんが集めた24の匣をもたらした文明の同盟、シャプレー、


合衆国を滅亡させた12の匣をもたらした文明の同盟、ラニアケア、


そして、残る32の匣をもたらした文明の同盟、ダイポール・リペラー、


三つの同盟が存在していたの」



晴美さんの言葉に、ゆりかは、あれ? と思いました。

確か、アンドロは、ゆりかの守護者であり、今はお父様の中にいるアンドロマリウスは、キュロ・ヒキカサのそばにいるダンタリオンを見たときに、彼をグレート・アトラクターと対立関係にあるシャプレーの匣の守護者だと言ったのを思い出したのです。


しかし、アンドロマリウスとダンタリオンは、もともとひとつだった、、、この矛盾が、ゆりかにはよく理解ができませんでした。



「もしかしたら、匣が4つに分かれてしまったことで、プルフラスは、プルフラスでなくなってしまったのかもしれないわね。アンドロマリウスという新たな自我が生まれたことで、自らがプルフラスのひとつであったことを忘れてしまった、、、」


「その可能性もあるけれど、晴美、大事なことを忘れてるんじゃなくて?

匣の意思、あるいは守護者は、ソロモン72柱とただ名前が同じなだけじゃないはずよ」


「あら、さすが人類史上最高の遺伝子を持つだけあるわね。

そうね、アンドロマリウスは、正義を司るヘビの悪魔で、千里眼を有する。

それに対して、ダンタリオンは、幾多の顔を持つ悪魔で、メンタリスト」


「ウィッシュ!!」


ゆりかは、なぜ晴美さんがメンタリストと言った瞬間、食いぎみでアリスちゃんが腕をクロスし、大きな声で叫んだのか、まったくわかりませんでしたが、、、きっと何かボケをかまして、盛大に滑ったのだろうということは察することができました。


「ダンタリオンは、幾多の顔を持つ、、、つまり複数の文明に対してスパイのようなことをしていたのかもしれない、、、

そして、千里眼を有するアンドロマリウスは、ダンタリオンの、シャプレーに属する文明、特にクローン技術に対する知識の豊富さを見抜いたのだとしたら、、、」


「その千里眼でも、自分とダンタリオンがもとはひとつの存在だったことを見抜けなかったわけだけどね」


「プルフラス自身が、4つに分かれた際に、4柱が自らがプルフラスの一部であることに気づかないよう、何か細工をしたのだとしたら、、、確かにありうる話ね」


「でしょ? でしょ? もっと誉めていいのよ?

あれ? もっと、っていうか、晴美、今も、これまでも、一度もわたしのこと誉めたことないけど」


「これからも、ないわよ」



ゆりかは、ちっとも話についていけませんでしたが、なんだかふたりを見ていると、とても楽しい気持ちになりました。

晴美さんとアリスちゃんは、きっとゆりかといちかみたいに、お友達なのです。


、、、いちか?

あれ? いちかって誰だっけ?


ゆりかは、何だか、とても大事な人のことを思い出したような気がしましたが、それが誰のことなのか、すぐにわからなくなってしまいました。


なんだろう、、、この感じ、、、頭がすごくもやもやする、、、


そして、ゆりかは、すぐにそのもやもやする感じさえも、忘れてしまったのでした。





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