2020/09/07~13

     2020年9月7日、月曜日。


いちかは、いつかこんな日が来ることを想定していたのだと思います。


「いいよ、いちか、匣がほしいなら、ゆりかのお腹を切り裂いて」


ゆりかがそういうと、いちかはお給仕先の常連のご主人様から誕生日にもらったという、お気に入りのSAZABYの赤いバッグから、バタフライナイフを取り出しました。


ゆりかは目を閉じて、いちかにお腹を切り裂かれるのを待ちながら、

こんなにもあっけなく、ゆりかは死ぬんだな、とか、

こんなにもあっけなく、生まれてはじめてできたお友達にうらぎられるんだな、とか、

そんなことを考えていました。


でも、楽しかったから、いいや。

お母様やももかにもう一度会いたかったけれど。


ですが、1分が過ぎても2分が過ぎても、いちかがついこの間ゆりかにはじめて食べさせてくれたカップヌードルにお湯を注いでから待つ時間が過ぎても、ゆりかはお腹を切り裂かれることはありませんでした。


「ねぇ、ゆりか、あんたのそばにいる、そいつ、なんなの、、、」


ゆりかが目を開けると、いちかはとても怯えた表情をして、バタフライナイフを持つ手はブルブルとまるで蝶々の羽ばたきのように震え、膝はガクガクと震えていました。


「ゆりかのそばに何かいるの?」


ゆりかには、いちかの言っていることの意味がわかりませんでした。


「機械仕掛けの、、、大きな、、、人の形をしてて、歯車とかがむき出しの、くすんだ金や、、、え、あれ?」


その表現を、かつてゆりかもしたことがありました。


「もしかして、こいつ、、、ゆりかがキュロ・ヒキカサのそばにいる、って言ってた、、、」


まるでスチームパンクの世界のロボットのような?

それが、ゆりかのそばにいるの?


「いる、、、まるで、スタンドやペルソナみたいに、もしかして、これが守護霊? ゆりかのそばに立ってる、、、」


ゆりかの前?それとも右?左?うしろ?


「すぐ後ろ」


いちかに言われて、ゆりかが後ろを振り返ると、そこにはたしかに、ゆりかがキュロ・ヒキカサのそばにいるのをテレビ越しに見たロボットのようなものが立っていました。




     2020年9月8日、


某国の国家元首、キュロ・ヒキカサの傍らに常に立ち、ゆりかにしか見えない機械仕掛けの存在を、ゆりかといちかは、デウスエクスマキナと呼んでいました。


それにとてもよく似た存在が、ゆりかのそばにもずっといたのです。

ゆりかが気づかなかっただけで。

いちかに見えなかっただけで。


「あなたは、だれ? 神様?」


ゆりかの問いに、機械仕掛けの存在は首を横に振りました。


「私は神ではない。

機械仕掛けの存在ではあるが、そなたたちが話していたようなデウスエクスマキナという存在でもない。

私はただ、匣の所持者を守護する者だ」


喉の部分にあるスピーカーのように無数に小さな穴が空いた場所から、彼はとてもきれいな、楽器の音色のような声でそう答えました。


「匣の所持者っていうのは、ゆりかで、、、あなたが今までずっとゆりかを守ってくれてたの?」


今度は首を縦にこくりと、頷いて見せてくれました。

なんだが、ゆりかには、そのしぐさがすごくかわいくて、たまりませんでした。

ペッパーくんよりかわいいと思いました。

でも、ロビちゃんには負けるけど。


「会話ができるの、、、?」


いちかは震えがとまらない体を両腕で抱き締めながら、言いました。

ゆりかと彼?彼女?のやりとりは、いちかにも聞こえていたみたいでした。


「我が主だけでなく、そなたとの会話も可能だ。

もっとも、本来なら匣の所持者でないそなたには、私の存在を認識することはできないはずだった。

所持者でない者が私の存在を認識したとき、その瞬間にその者は死ぬ運命にある」


「じゃあ、どうして、わたしは生きてるの?あんたと会話できてるの?」


「そなたが私の存在を認識したとき、つまりは私が姿を現した瞬間、そなたには、私が守護すべき主に対し、敵意や悪意、そして殺意という負の感情があった。

だから、私はそなたの前に姿を現し、そなたを破壊しようとした。

しかし、そなたの心には迷いがあり、我が主に対する愛が、負の感情よりもはるかに大きかった。

だから私は、そなたを我が主の親愛なる隣人であると認識を改めた」


「ものすごく堅苦しい言い方をしてるけど、いちかがゆりかの友達だから、いちかを破壊するのをやめたってこと?」


「そうだ」


「ねぇ、あなた、名前は?」


「アンドロマリウス」


「名前もちょっと堅苦しいんだね。ま、いっか。アンドロでいいよね」


「構わない」


「構わないの!?」


「ゆりかやいちかみたいに、普通にしゃべったりはできる?堅苦しくないしゃべり方」


「そういう命令をされたのは、はじめてだが、、、多少時間はかかるかもしれないが、おそらくできるだろう」


「アンドロ、勘違いしてるよ。ゆりかは命令なんかしてない。お願いしてるの」


「お願い、、、?」


「そう、お願い。

アンドロが、ずっとゆりかを守ってくれてたの、知らなくてごめんなさい。

ゆりかは、アンドロのこともっとよく知りたい。たくさんお話しがしたい。

だからね、主とか命令とかじゃなくて、仲良くなりたい。お友達になりたいんだ」


「、、、ゆりか、と呼べば良いのか?」


アンドロの困惑しきった問いに、ゆりかは大きく頷きました。


「ゆりか、、、君みたいな人間に、ぼくははじめて出会った」


「男の子だったんだ?」


「、、、たぶん」


「ゆりかは、全然特別な女の子じゃないよ?普通ともちょっと違うけど」


「、、、そうなのか。人間について、ぼくは認識を改めないといけないのかもしれない、、、」


「じゃあ、ゆりかが匣の所持者とか、アンドロがゆりかの守護者とか、そういうのは関係なしで、普通にお話ししよ?」


「わかった」


「いちかを殺さないでくれてありがとう」


ゆりかがそういうと、アンドロは、少し照れたように、


「ゆりかの大切な友達を壊さずにすんでよかった」


と言いました。


ゆりかは、アンドロに、ゆりかだけでなくいちかのことも守ってくれるようにお願いしました。


そして、ゆりかの二人目のお友達になってくれるように。




ゆりかといちかは家に帰ると、アンドロを招き入れました。


「いらっしゃい」


ゆりかが言うと、


「ぼくはずっと、ゆりかのそばにいたから、この部屋に入るのははじめてじゃないよ」


彼はそう言い、ゆりかは、

そっか、じゃあ、おかえりだね、

と言いました。


「おかえり、アンドロ」


「ただいま、ゆりか」


「土足厳禁なんだけど」


部屋に上がろうとするアンドロに、まだ警戒しているいちかがそう言いました。


「いちか、頭のいい君ならわかってるはずだよ。この姿は実体じゃない。土足という言葉は、ぼくにはあてはまらない」


「ふん、勝手にしたら?かわいくないやつ」


何言ってるの?いちか。

ゆりかは、すごくかわいいと思うけど。


「ゆりか、いちかは、ぼくにゆりかをとられてしまったような気がしてやきめちをやいてるんだよ」


アンドロは言いました。


なーんだ、ふたりとも、かわいいんだね。大好き。


ゆりかがそう言うと、ふたりとも恥ずかしそうで照れくさそうで、ふたりはすごくよく似ていました。




     2020年9月9日、


ペッパーくんよりかわいくて、ロビちゃんよりはかわいくないアンドロは、あれからたった数日で、すっかりこの部屋の住人になりました。


朝8時からスッキリをかじりつくように見る、機械仕掛けの友達は、なんだかとても不思議です。


「この某国の国家元首が推し進めているモノクローン法、、、

新たに誕生する命が必ずクローンをともなって生まれることを義務づけられ、そのクローンには脳の記憶容量を拡張する処置を行う、、、

これはグレート・アトラクターと対立関係にある文明、シャプレーで進められていた子孫繁栄の手段だ」


「シャプレー?」


「シャプレーは、ぼくたちグレート・アトラクターと数万年に渡り、いくつもの銀河をまたいで戦争中にある文明だよ。

クローンの脳の記憶容量を人工的に拡張し、そこに最先端の科学や医療、文化をインストールすることで、さまざまな分野のスペシャリストを次々と生み出し、それは戦争にも活かされた。


いちかの好きなアニメにたとえるなら、連邦軍のパイロットがすべてアムロ・レイで、アナハイムエレクトロニクスの技術者が全員、アムロ・レイの天才的な能力にあわせた兵器の設計や開発を行えるし、なおかつそれを量産できる、と言えばわかりやすいかな」


ゆりかにはちっともわからないたとえだったけれど、


「それって、戦場に出る兵士ひとりひとりが、たった一機でリックドム12機を3分もかからずに撃破するような、ひとりで戦況をひっくり返すくらいの戦闘技術を持っている上に、その全員がG3ガンダムに搭乗してる、、、ううん、そんなレベルじゃないかも、、、全員がハイニューガンダムレベルのモビルスーツを操縦してるってことでしょ? そんなのただのチートじゃん」


いちかは納得してたけれど、ゆりかにはますますわかりませんでした。


「そう、シャプレーは、モノクローンを生み出し続けることによって、戦争においては兵士や兵器だけでなく軍そのものがチート的な存在になっていったんだ。それだけにとどまらず、文明そのものがチート的存在だった。

やがてクローンがオリジナルにとって代わり文明を統治するようになり、オリジナルは奴隷として扱われるようになった。

皮肉な話だよね。

ぼくがこの星にもたらされた2000年前の時点で、すでにオリジナルは絶滅していた」


「やっぱり千のコスモの会は、匣を複数所持していたわけか、、、」


「この男が、本当にシャプレーがもたらした匣を手にしていて、、、いや、あの機械仕掛けの守護者はダンタリオン、、、彼がそばにいるということは、匣は必ずこの男の手にあるということか、、、

この男が、本当にモノクローンという、子孫繁栄計画を実行しようとしているとすれば、早く手を打たなければ、この星はシャプレーの二の舞になりかねない」


「ゆりかは、この人自体が、ゆりかのお父様のモノクローンだと思っているのだけれど、、、」


「、、、それは、つまり、すでにクローンの成長速度をコントロールして、オリジナルに近づけることが可能な技術があるわけか」


「新生児がクローンをともなってうまれてはくるけれど、オリジナルより数倍数十倍成長速度を早くできるとしたら、、、世界中にあっという間にモノクローンがあふれる、、、」


「一度成長速度を早められたモノクローンは、早められたまま早死にするのか?」


「シャプレーのクローンはそうだった。だからこそ、千年細胞を持ち不老長寿であるグレート・アトラクターはシャプレーに対抗できた、、、待てよ、、、ゆりか、君はたしか千年細胞を持っていたね?」


「うん、小久保晴美さんが死にかけてたゆりかを助けてくれるときに、、、くれた」


「その体は細胞のひとつひとつが、千年細胞に変化しているはず、、、ゆりか、君の体を少し調べさせてもらうよ」


「ちょ、待てよ、ゆりかに何をするつもりだ」


「いいよ、服を脱いだらいい?下も?」


「え、あ、いや、はだかになるひつようはない、、、見たいけど」


「見てたくせに。ゆりかがまだお前の存在に気づく前。トイレにも風呂にもついていってたんだろ?」


「そうなの!?」


「、、、ごめん」


「まあ、別にアンドロになら見られてもいっか。トイレはさすがに恥ずかしいけど」


アンドロ、、、ゆりかのお友達で、匣の所持者であるゆりかを守護するための存在アンドロマリウスは、機械仕掛けの腕で、ゆりかの体をスキャンしました。




     2020年9月10日、


かつて、若返りや不老長寿を可能とする千年細胞を発見した小久保晴美博士。


ですが、彼女の世紀の大発見は、発見してはいけないものでした。


そのため、あらゆる研究資料は改竄され、研究結果は盗まれ、捏造され、そして彼女は、稀代の詐欺師ペテン師として学会を追われました。


同じ研究チームの研究者たちも、学会を追われたり、行方がわからなくなりました。

その中には、彼女の恋人もいて、その人は自殺に見せかけられて殺されました。


しかし、彼女は、その手元に試験管一本分だけ、盗まれずにすんだ千年細胞を、片時も離さずに持っていました。

それは恋人の形見のようなものでもあり、同時にふたりのこどものようでもあり、とてもとても大切なもののはずでした。


ですが、彼女は、体の半分が腐り落ちかけ、いつ死んでもおかしくないゆりかを前にして、何の躊躇いもなく、命の次に大切な試験管一本分の千年細胞を、ゆりかを生かすために使ってくれました。


ゆりかには、それがとても不思議でした。

晴美さんから世紀の大発見を奪っただけでなく、恋人の命までをも奪ったのは、千のコスモの会でした。

そして、ゆりかは、その実質的教祖の娘、、、


晴美さんがゆりかを助ける理由などないように思えました。


晴美さんは言いました。


「私は医者じゃないし、今はもう科学者ですらない、カーズウィルスを生み出したマッドサイエンティストだけど、、、

目の前に今にも死んじゃいそうな、それもとびきりかわいい女の子がいて、自分しかその子を助けることができないなら、助けて恩を売るしかないじゃん。

元気になったら、お風呂に一緒に入ったり、添い寝してくれたり、あわよくば、おっぱいをさわらせてもらえるかもしれないんだよ? さわらせてくれなくても、無理矢理さわるし。勝手に触るし」


何年も前にテレビで見ない日がなかったころの彼女は、いつも目に涙をためていた印象がありました。

今の彼女は、その頃とは全く違っていて、どこまで本気で言っているのかわからないほど、おふざけが満載でした。

結局、ゆりかがお風呂に入っているときに乱入してきたり、勝手に添い寝してたり、添い寝ついでに胸をさわられたりしたので、全部本気だったのかもしれませんが。

同じようにゆりかも心に闇を抱えているからか、見ている方がつらくなるくらいに、彼女が人に心配をかけまいと必死で道化を演じているのがわかりました。

心に闇を抱えていない人には、もしかしたらわからないかもしれないけれど、、、




     2020年9月11日、


ゆりかが生まれた頃になるのかな、、、ゆりがが生まれる前かな、、、

9.11と呼ばれるようになった同時多発テロが起きたのは、、、


たくさんの人がなくなって、、、

その人たちはただ一生懸命自分の仕事をしていただけ、、、


でも、その人たちが一生懸命仕事をすればするほど、貧しい暮らしを強いられる人たちがいて、、、

小さなこどもが銃の使い方を教わったりしなければいけないほど、貧しい暮らしを強いられる人たちは怒っていて、、、


誰にもテロを止められなかった、、、


そして、その直後に起きた、報復のための戦争も、誰にもとめられなかった、、、


テロの首謀者やその側近の人たち、実行犯の人たちとは関係のない、貧しい暮らしの中で一生懸命生きている人たちがたくさん死んで、、、


結局、テロも戦争も、毎日家族のためや国のために一生懸命生きている人たちが犠牲になっただけ、、、


そのあとには、大量破壊兵器など存在しないことを知りながらも、大量破壊兵器の所持しているという、専門家でもなんでもない大学生が書いた悪意の塊の妄想のような論文を理由にして、起きた戦争があった、、、


それは、ただの、石油の利権ほしさのための戦争で、、、

そして、軍隊の所有する武器には使用期限があって、使い物にならなくなればそれまでに投じた軍事費用が無駄になる、、、


そんなことのために、たくさんの命が失われた、、、




世界はとても不条理。

この世界は間違っている。

間違いはたださないといけない。


ゆりかの幼い頃の記憶には、

お父様といっしょに戦争の状況を伝えるテレビを見ながら、お父様が怒りに震えて涙を流しながら、そうつぶやいた記憶が鮮明に残っています。


お父様が棗を捨て、榊となり、第一使徒として教団を率いることを決めたのは、もしかしたらそのときだったかもしれません、、、


お父様は世界を変えようとしたけれど、世界を変えるために何かをすることさえできなかった、、、


お父様は、お父様でなくなってしまったから、、、


だから、あれから十数年が過ぎても、世界は不条理のまま、、、

間違ったまま、、、

ついには60億人以上の人々が命を失ってしまいました、、、


そして、それは、ゆりかとはけっして無関係ではないのです、、、



小久保晴美さんは、

千年細胞という世紀の大発見を揉み消され、恋人の命までをも奪われてしまいましたが、

某国が引き起こした世界規模のパンデミック、、、その原因となったカーズウィルスを生み出した張本人でもありました。


しかし、カーズウィルスは感染から発病までの潜伏期間中に抗体を産み出すことさえできれば、人の細胞を千年細胞へと変化させるものでもありました。


彼女は常に人類の行く末について考えており、間違いなく天才と呼ぶにふさわしい才能と、努力を惜しまない才能を持つ、天才科学者でした。


結論から言えば、彼女は天才科学者でしたが、彼女にも世界を変えることはできませんでした。


カーズウィルスによる世界規模のパンデミックは、世界各国で戦争が起きるきっかけとなり、60億人以上の命を奪い、そして、もしかしたら揉み消されてしまっただけなのかもしれませんが、人の細胞がカーズウィルスによって千年細胞となったという事例は一件もありませんでした。




     2020年9月12日、


ゆりかの体のすべての細胞は、人が本来持つ細胞とは異なり、小久保晴美さんがくれた千年細胞にすべて入れ替わっている、、、はずでした。


ですが、ゆりかは、千年細胞によって晴美さんに命を救われる前、晴美さんが新たに生み出した進化型カーズウィルスによってゆりかやお母様が死んでしまわないよう、事前に抗体を予防接種のような形で、打ってもらっていました。


だから、千年細胞によって命を救われる前のゆりかの体は、そのときの晴美さんの体と同じで、進化型カーズウィルスが抗体を持つ人の細胞と一体化した状態にありました。


それはカーズウィルスが人の細胞を千年細胞に変化させるのとは、また異なる形の細胞の変化であり、ゆりかの体にはそこにさらに千年細胞が混ざりました。


人の細胞でもなければ、千年細胞でも進化型カーズウィルスと一体化した細胞でもない、世界中でゆりかだけが持つ細胞でした。


それが、アンドロ、、、ゆりかのお友達であり、匣の所持者であるゆりかを守護するための存在、アンドロマリウスが機械仕掛けの腕で、ゆりかの体をスキャンした結果、判明した事実でした。


ゆりかの体を構成する細胞は、

不老長寿であり、あらゆる病に対して強く、ガン化することもない、細胞ひとつひとつが千年の寿命を持つ千年細胞より、さらに優れた細胞だそうです。


神という存在が仮にいるとしたら、ゆりかの細胞は、神の肉体を構成する細胞と同じレベルにあるかもしれない、


とアンドロは言いました。


そして、アンドロは、ゆりかの体を構成する細胞を、『アルテミス細胞』と名付けました。


「アルテミス?ギリシャ神話の女神の?」


「RPGに、よくアルテミスの弓矢って出てくるよね。狩猟とかが得意な神様だっけ?」


「1995年1月26日、ゆりかと同じ名前の花が、品種登録されている。

ゆりかという名のその品種は,ダイアナという花からの変異個体を選抜して育成した品種だそうだ」


「ダイアナっていうお花の変異個体、、、つまりアルテミス細胞になる前、千年細胞がゆりかの体に入る前の、進化型カーズウィルスとその抗体を持つ人の細胞が一体化した細胞がダイアナ細胞?」


「ダイアナという花の名の語源は、ローマ神話における樹木の女神ディアナを英語読みしたもの、、、

古くからギリシャ神話の女神アルテミスと同一視されて狩猟・月の神とされる」


「同一視されているからって、同一の存在とは限らないしね、、、ディアナは樹木の神だし、アルテミスは狩猟の神で月の神だし、、、

ゆりかも、細胞に、ゆりか細胞って自分の名前をつけられるよりはいいんじゃない?」


人の細胞が、進化型カーズウィルスと一体化したのがダイアナ細胞、、、

ダイアナ細胞を持っているのは、小久保晴美さんと、お母様にももか、、、それからももかが兄と慕う棗雪待さん、、、


ダイアナ細胞が千年細胞とまざりあい、さらなる変化を遂げたのが、アルテミス細胞、、、

その細胞を持つのは、ゆりかだけ、、、


ゆりかは、なんだかとても不思議な気持ちでいっぱいでした。




     2020年9月13日、


ゆりかは、千のコスモの会という小さな箱庭で巫女をしていた二ヶ月前までより、たくさんのことを知って、実際に経験して、自分が少しずつ変わっていくのを日々感じていました。


でも、それは、たとえば学生が社会人になるとか、親の仕事の都合で引っ越しや転校をするとか、環境の変化による自身の変化に過ぎなくて、誰にだって人生に一度は必ずある変化にすぎないものでした。


それとは別に、細胞レベルで、頭のてっぺんから爪先までが、人から女神になるくらいの変化をしていたなんて、、、ゆりかは全く気づいていませんでした。

それを知っても、自分の体が変わったという感覚はありませんでした。


アンドロは言いました。


「ようやく、めぐりあえた。匣の力を真に引き出せる巫女に。

ゆりか、ぼくは君のために、その存在があったんだ。

君に出会うことがなければ、ぼくは、ぼくという存在になんの価値も、意味も見いだせなかったろう。

ゆりかとぼくなら、君のお父さんが変えたかったこの不条理な世界を変えることができる。

それだけの力がゆりかとぼくにはある」



お父様がしたくてもできなかったことが、、、ゆりかにできる、、、?



「でもさ、、、」


いちかが言いました。


「今のこの世界が、人口が七十億から十分の一にまで減っちゃったことや、国の数が三分の一になっちゃったことより、これからますますまずい状況になっていくことを理解してるのって、わたしとゆりかとアンドロ、、、他にはあと小久保晴美とかくらいだよね」


某国の国家元首や、そのまわりの連中は別としてね、

と、いちかは付け加えて、



「アンドロが属するグレート・アトラクターと対立関係にある文明、シャプレー?だっけ? そのクローンに乗っ取られた文明みたいに、某国がはじめたモノクローン法によって、この世界が近い将来シャプレーと同じになる、、、

それを知ったわたしたちに出来ることって、ひとつしかないとおもうんだ」


モノクローンと呼ばれる、将来的には危険な存在となるかもしれないけれど、個々としては何の罪もない存在を、すでに生まれているモノクローンはすべてその命を奪い、今後モノクローンが生まれることのないようにする。

そのためには、某国の国家元首が持つ匣と、匣からすでに引き出されたオーバーテクノロジーをすべて破壊しないといけないよね。


確かに、いちかの言う通りでした。


「そんなこと、ゆりかにできるの?」


、、、できるわけがありませんでした。

それは、お父様が悔し涙を流した世界の不条理さそのもの、、、

お父様が変えたかったものは、もっと根本的なことだったはずでした。



「それにさ、これって、あくまでグレート・アトラクター側のアンドロの意見であって、本当にそれが正しいことなのか、真実なのかすら、わたしたちにはわからないよ、、、ね?、、、あ、な、にこ、れ」


ゆりかの目の前で、いちかの体が風船のように膨らんでいきました。


「ねぇ、なにこれ、わたしのからだ、いったい、どうしたの?ゆりか、ねぇ、ゆりか、たすけて」




ぱん。




風船のように膨らんだいちかの体が弾け、ゆりかや部屋を血で染めました。


アンドロは、血だまりの中から、何かを拾い、ゆりかに見せました。


「これが、モノクローンの脳の容量を拡張する記録媒体だよ」


アンドロはそう言って、その小さな小さな記録媒体を二本の指先で潰すと、


「ゆりか、君はもう、ぼく以外のあらゆる存在を信じてはいけないし、その言葉に耳を傾けてはいけない、、、



君の味方は、この世界で、もうぼくひとりしかいないんだ」



その姿を、ゆりかの優しいお父様の姿に変えて、お父様の声でそう言いました。

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