2020/05/29~31
2020年5月29日、金曜日。
ほんの少し前までは、まだ2限かぁ、なんてため息をついてたのに、最近は気づいたら一週間が過ぎちゃってる。
時間の流れは同じはずなのに。
同じはず……だよね?
うん、同じ。同じだと思う。
時計の秒針の早さは同じ。
夏休みや冬休みがあっという間に終わっちゃうみたいに、学校がないと、時間はあっという間に過ぎていく。
夏休みの倍以上の時間も。
30過ぎたらあっという間に年を取るって聞いたことがあるけど、ももかはまだ十四歳なのに。
このまま、ずっと、こんな何にもない生活が続いていくのかな。
ももかは今、中学何年生なんだろう?
中学二年の後期は、年が明けてすぐ、新型のウィルスが世界規模でパンデミック?っていうのかな、それを引き起こしてしまって、2月から学校に行かなくてもよくなって、3月に終業式はしたけれど、それから2ヶ月が過ぎても、中学三年の前期の始業式がいつからになるのかまだ知らない。
もう二年生じゃないけど、三年生でもない、2.5年生とかになるのかな。
そんな疑問をももかが口にすると、
「まるで、芸人のお笑い第なんとか世代みたいなこと言うんだな」
と、お兄ちゃんが言った。
ももかがよく意味がわからないでいると、
「今は第六とか、第七世代が活躍してるけど、第6.5世代とかいるんだよ」
なにそれ。変なの。
でも、ももかはその話を聞いて、どこかで、そっかと納得してしまった。
第六世代とは言えないし、第七世代とも言えない人たちは、きっと今のももかみたいに宙ぶらりんなんだ。
「ねぇ、お兄ちゃん、学校、いつから始まるんだろうね」
「それよりも先に、戦争がはじまるかもしれないよ」
お兄ちゃんが、ももかの作ったオムライスを食べながら、冗談まじりに言った。
「戦争? オリンピックが来年になっただけじゃなくて?」
「今回のこのパンデミックが、もし、あらかじめ仕組まれていたものだとしたらだけどね」
ももかには、よく意味がわからなかったけど、お兄ちゃんはその可能性を匂わせるだけ匂わせて、オムライスを食べ終わると、お仕事で疲れているのか、そのままお風呂にも入らずに床で眠ってしまった。
ももかは、お兄ちゃんが風邪をひかないようブランケットをかけると、一度ベッドに横になった。
でも、眠れなくて、お兄ちゃんのそばにもぐりこんで、抱きついて眠った。
お兄ちゃんが、戦争が始まるかも、とか言ったからかな。
なんだか、ももかは急に不安になった。
お兄ちゃんと過ごせる時間が、ももかには残り少ないような気がして、すごく怖くなった。
2020年5月30日、土曜日。
昨日が金曜日で、今日が土曜日だったんだね。
曜日の感覚が段々薄れてきてる。
少し前なら、土曜日が来るのが待ち遠しかったはずなんだけどな。
ももかはテレビをあんまり見ないから、お兄ちゃんみたいにテレビ番組で今日が何曜日かわかるっていうことはあんまりないし、わかるのは平日の水木くらい。
水木は、お兄ちゃんのお仕事がお休みの日だから。
前は金土だけ、お兄ちゃんのお店は夜中の12時まで営業していたから、お兄ちゃんが帰ってくるのがすごく遅かったけど、今は営業時間の短縮で、毎日夜の8時にはしまっちゃうから、毎日帰りも早くて、それはももかにとってすごくうれしいことだったけど、曜日の感覚を薄れさせてる一因にもなっていた。
お兄ちゃんがお仕事の都合で、M市山手町に引っ越して3年が過ぎた。
お兄ちゃんは、ゲームセンターの会社で、肩書きはまだ店長じゃないけど、ほとんど店長みたいなことをしてる。
三年前の春、山手町にあるお店で、社員でひとり欠員が出た。
その欠員を埋めるために、フリーターだったお兄ちゃんに白羽の矢がたって、お兄ちゃんは二つ返事でM市に来ることを決めて、社員になった。
ももかは誰にも聞かれることなく、お兄ちゃんについてきた。
ももかとお兄ちゃんは一回り以上年が離れていて、血も繋がってない。
ももかのパパと、お兄ちゃんのお母さんは再婚同士で、ももかとお兄ちゃんは連れ子同士だった。
そのとき、ももかは5歳で、お兄ちゃんは19歳。
今は、それから9年が過ぎて、ももかは14歳、お兄ちゃんは28歳。
お兄ちゃんとももかがこの町に引っ越してきたとき、ももかはまだ11歳の小学6年生だったことに、今さらながらちょっとびっくり。
お兄ちゃんも、ももかも、実は一生働かなくてもいいくらい、パパとお母さんはお金持ち。
ももかのパパは、小説や原作を手掛けた漫画が映画化されたりもしている作家で、お兄ちゃんのお母さんは、いろんな出版社で仕事をするパパの編集者のひとりだった。
今は、編集者のお仕事をやめて、パパの事務所を作り、ももかのパパのマネージメントをしてる。
パパは、誰よりもお母さんを信頼していて、お母さんは誰よりも作家としてのパパと、男の人としてのパパの理解者だった。
ふたりともお仕事が忙しくて、ももかにとってパパはパパだけどパパって感じがあんまりしない。
お兄ちゃんがももかを大事に大事に育ててくれた。
だから、ももかはお兄ちゃんについてきた。
でも、お兄ちゃんがどうして、パパやお母さんに頼らないで生きていこうとしているのか、ももかにはよくわからなかった。
わかるのは、きっと、ももかにはまだよくわからない、お兄ちゃんなりの事情があるんだろうな、ってくらい。
1Kの狭い部屋でいっしょに暮らすようになってもう三年。
ももかは学校から帰ると、お兄ちゃんが働いているのを毎日必ず見に行った。
三年もたつと、アルバイトの安田さんや山田さんや中島さんとはすっかり顔馴染みで、ももかを見かけると、みんなお兄ちゃんがどこにいるか教えてくれたり、インカムでお兄ちゃんを呼んでくれたりする。
ももかの学校がお休みになってからも、お兄ちゃんのお店は、緊急事態宣言が出て、県から休業要請が出ても、営業時間を短縮したり、メダルゲームやパチンコとかスロットのコーナーだけ営業をやめたりして、休まずにお店を開いてた。
ももかは、お兄ちゃんのお店もお休みになって、毎日お部屋でずーっといっしょにいられるものだと思ってたから、すごくがっかりした。
でも、お兄ちゃんがお仕事に行っている間、お部屋のお掃除や夜遅く帰ってくるお兄ちゃんの晩御飯を作ったりするのも楽しくて、まるで幼妻になったみたいだった。
元々家事は嫌いじゃなかったけど、前よりも本格的にするようになって、最近はお兄ちゃんのお店に顔を出すことはほとんどなくなっていた。
不要不急の外出になっちゃうし、ももかがもしウィルスを拾って、お兄ちゃんにうつしたりしたら、お店が大変なことになっちゃうから。
スーパーや薬局に行くときには、必ずお兄ちゃんの店の前を通るけれど、お兄ちゃん、今日も頑張ってるかな、無理してないかな、って、二階にあるお店を見上げるだけにしていた。
今日の晩御飯は、お兄ちゃんの大好きなハンバーグだから、お兄ちゃん、早く帰ってきてね。
2020年5月31日、日曜日。
緊急事態宣言が解除されて、十日以上立ったし、たまにはいいかなって気持ちになって、今日はスーパーでお買い物をする前に店に顔を出した。
日曜日なのに、お兄ちゃんのお店は、ももかが知ってるお店とは全然違ってた。
お客さんがすごく少なくて、アルバイトの女の人ひとりでも十分店をまわせちゃいそうなくらい。
そういうの、ワンオペっていうんだっけ?
前は、お兄ちゃんの他に、アルバイトの人達がふたりか三人はいて、みんな接客や機械の修理で忙しそうにしていた。
でも今日、シフトに入っていたのは、椿さんていう女の人だけ。
カウンターで、ずっとお客さんに話しかけられていた。何かメモ用紙みたいなものを渡されていた。
たぶん、電話番号とかだと思う。
椿さんのことが、ももかはちょっと苦手だった。
何度か話したことがあるけれど、男の人のウケは良さそうだけど、女の子の友達がいなさそうな感じって言えばわかるかな?
ももかも、そんなに女の子の友達が多いわけじゃないけど。
もうやめちゃった人だけど、千尋さんていう女の人が、麻衣は好きだった。
お兄ちゃんに彼女ができるなら、こういう人がいいなって思ってた。
お兄ちゃんはももかのだから、誰にもあげないけど。
カウンターをその椿さんて人にまかせて、クレーンゲームの仕掛けをつくったり、機械の中を装飾したり、一生懸命お仕事をしてるお兄ちゃんは、すごく楽しそうにしていた。
ももかの大好きな顔。
ももかはお仕事の邪魔をしないように、
閉店までずーっとお兄ちゃんを見ていることにした。
お兄ちゃんが好き。
ずっと、ずーっと、いっしょにいたい。
だけど、ももかは、その日、はじめて知った。
お兄ちゃんと、椿さんが付き合ってるっていうこと。
一仕事を終えたお兄ちゃんは、カウンターの椿さんのところへ行くと、楽しそうにふたりでおしゃべりをしていた。
お客さんに見られないように、カウンターの中でふたりでしゃがんで、キスをしてた。
お兄ちゃんは、ももかに気づいてなかったけど、椿さんはももかに気づいていた。
そして、お兄ちゃんとキスをしながら、椿さんはももかのことをずっと見ていた。
その目は、勝ち誇ったような目をしているようにももかには見えた。
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