食事-2(舌をとろかす金の蜜について)

「ヴィク、いましがた食べた物を吐き出せ。すぐにだ」

リロイは手袋を脱ぎ捨て、指をハンカチで拭ってからヴィクターの顎を掴む。そのまま、指を口腔へと突っ込んで舌の上のものを掻き出そうとした。ヴィクターは喋ろうとして口を閉じ、僅かに咳き込んだ。顔から指を外し、顔を上げるのと同時にさっと汚れた口を隠す。

「……どうしたっていうんだ。気でも触れたか?」

「いいから出せ、全部だ。飲み込んだ分も全て吐き戻せ」

ヴィクターは怪訝な顔をしながら皿の上に残っていたパイを広げたハンカチへ退避させた。そうしてリロイから見えないように顔を肩ごとそらし、ちょっとためらうようにしてから息を詰めて、持ち上げた皿の上へと吐き戻した。突き出した舌からぬたりと体液がしたたる。皿をこちらへ、と言われ、ヴィクターはためらいがちに汚れた皿を差し出した。いまだ形の残る胃酸混じりのそれらを、リロイは新しいスプーンでひき潰した。匙を握る装身具の付いた指は、咀嚼されたパイ生地や肉の欠片、唾液などでぬるついていた。

「これは魔術士の肉だ。俺の取り分に表皮が混じっていた。……匙を入れたとき、妙に固い肉だと思ったが『合成品』なら納得だ。ヴィクター、アルゴスに会ったと言っただろう。髪が短くなってはいなかったか」

「……確かに髪を切ったとは言っていた。どれだけ切ったかは知らないが……」

何を食わされたんだ俺は、とヴィクターが小声で言うのが聞こえた。ヴィクターならばそう言うだろうな、と思う。

「十中八九、髪を練って作った代用肉だろう。アルゴスは悪意によって他者を害するような人間ではない。おそらく何らかの事故だ。どんな思惑が働いたかはわからないが」

「そこに関しては同意見だが、いや、気分が悪いな…… 茶を入れてはくれないか? あと手洗いを貸してくれ。少し……喉を洗いたい」

「……あまり吐くと歯に悪いだろう。木灰粉は持っているか?」

「ある。心配するな、こういうことは慣れている」

まさか人の肉を食わされるとは思わなかったが、とヴィクターは続け、そのまま口を洗うために部屋を出ていった。



戻ってきたヴィクターは開口一番、薬の調合を頼みたい、と言った。

「何が入り用だ?」

「飲み薬であるといい。ベースはラヴァンデュラ。ああ、酒はあるか? 高濃度のアルコールにロスマリヌスと……あと汎用の眠り薬に入っているものをいくつかつまんで煮出してくれ」

オフィキナリスだぞ、と念を押すようにヴィクターは言う。リロイは眉をひそめた。

「それは……いや、いい。少し待っていろ、すぐ戻る……」

すぐ戻る、といった言葉通り、リロイは時を待たず戻ってきた。ヴィクターは差し出された薬包紙を見ながら、戸惑うような声を上げた。

「まさか乾いた薬を出されるとは思わなかったが……」

「散剤よりシロップの方が好ましいか? 即席のものであるが……いや、だからこそ、かなり強い調剤になっている。飲み込んでしばらくしたら絞扼反射じみた吐き気が出る。二分以上腹に入れておけ。そうすればあとの憂いはない」

「胸の悪くなるような調剤をするんだな…… いや、すまない。助かる」

言いながらヴィクターは部屋をあとにする。リロイは無遠慮にバタンと閉じる扉を眺め、そこにヴィクターの焦りを見て取った。



「頼んでおいてこんなことを言うのもなんだが、もう少しやりようはなかったのか?」

戻ってきたヴィクターがしきりに口元を拭いながらそう言ったので、リロイは顔をしかめさせた。

「あったらやっている。一刻を争っているときでは負荷を減らすのが難しいのだって知っているはずだ。……具合はどうだ、優れないというのなら新しい薬を出すが」

「腹部の不快感は影もない。ありがたいことだと思っている。だがそうだな、吐いたり戻したりで疲れてしまった。薬よりも茶を出してはくれないか?」

禁忌がなければだが、とヴィクターは付け加え、自分で言った言葉がよほど不快に思えたのか苛立たしげに目を細めた。リロイは黙って茶を出してやった。

「ありがとう。……しかし、女王は何を考えているんだろうな」

「どういう意味だ? 思惑によって何かをするという役回りではなかろう。アルゴスも、ディアナもだ」

「……ディアナ?」

ヴィクターが何かに気が付いたように言葉を切った。リロイは視線で続きを促した。

「ああ、このアルゴスの下賜であるおぞましいパイのことなんだが、本来、ディアナのために作られた品なのではないかと思ったんだ。変な話じゃないだろう。この間だって……いや……」

「何かあったのか?」

言葉は立ち消え、言いかけたことは無かったことにされる。リロイは顔を上げ、なんでもないと言うように首を振るヴィクターへ、食い下がってその先を求めた。カップの茶を啜ったヴィクターは煩わしそうに目を曇らせた。

「なんだよ、そんなに気になることか? あいつ、俺をみるなり剣を抜いて、『髪をひとふさくれないか』と言ってきたんだ。全く、気持ちが悪いったらない。今思い出してもぞっとするね……」

どこか遠くを眺めるような目でヴィクターは言う。諦念と嫌悪の混じる口ぶりだった。リロイは空いたカップに茶を注ぎたしながら、胸に浮かんだ疑問を口にした。

「髪を? 髪だけか?」

「だけってなんだよ、お前、ことの重大さに……ああ、そうか、前は手を求……いや、『落とされそうになった』んだったな。お前の言いたいのはそういうことか?」

刀を鳴らして手首を落とす相談を持ちかけるディアナを思い出し、リロイは嫌な気持ちになった。ヴィクターはあのとき確かに断ったのだが、ディアナはどうも諦めていないような気配がある。手は落とせばそれきりだが、髪はまた生えてくる。そしてディアナはそのことを知っている。

「そういうことだ。……ディアナは術士ではない。何に使うというわけでもなく、お前を損なおうという思惑もなく、ただ、欲しいだけだ。そこにおそらく意図はない」

意図がなくても損なわれるものはある、とヴィクターは言った。リロイもそれに対して反論があるわけではなく、ただ頷く。

「リロイ、お前はディアナに好かれているだろう。なにか、こう、言ってやってくれよ。お前の言うことなら聞くかもしれない」

「……言っている。言ってはいるんだ。なにか不要な手出しをされたら俺に言え。大々的に問題にしてアンセル(塔の独房)に放り込んでやる」

その言葉を聞いて、ヴィクターはちょっと驚いたような顔をした。

「そこまでのことか? おまえ、よくわからないところでよくわからない怒り方するよな……」

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