小皿の上のXXX
佳原雪
食事-1(赤い糸が紡ぐ焼菓子について)
磨かれた指輪は艶やかに光って長い指を彩る。仕上りに満足したリロイは手袋をはめ、磨き粉とクロスを元のように引き出しへと入れた。同時にノックの音が響く。扉が開けば、見知った男が現われる。名はヴィクター。青い幅広の装飾帯を結んだ黒色の帽子に同色のマント、臙脂と紺の派手な上着に呪い剣を提げた議会付きの剣士。普段通りの目を引く格好の中で、いつもと違うところと言えば一つ、物々しい格好に似つかわしくない籐の篭を持っている。
「元気にしていたか? リロイ、今日は土産がある」
機嫌良く言ったヴィクターは花とリボンで飾られた篭から丸い包みを取り出し、リロイへと差し出した。受け取ってみるとずっしりと重い。示された通りに開けてみると、中にはパイが一台包まれていた。焼いてからそう時間の経っていないであろうパリッとした生地からは僅かにスパイスが香る。
「ありがとう、わざわざ持ってきてくれたのか。……ああ、これは肉だな。ものはなんだ? 羊……じゃないな、猪かこれは……」
「なんだろうな、まあ、食えばわかるさ」
返った言葉ははっきりしない。なにかもわからない肉でこしらえたパイを持ってきたのか、と思ったが、深くは追求しない。ともかく皿を出してきて、立ったままだったヴィクターに椅子を勧め、円形のパイを切り分けてサーブする。匙を手に取ったヴィクターが僅かになにかを待つようなそぶりを見せたので、リロイは不信感から目を眇めた。そこでふと、空のカップに目をとめる。
「……これか。気が付かなくてすまないな」
手元のポットを手に取ると、ヴィクターは嬉しそうにカップを差し出した。
「悪いな! ここに来るまでに随分たくさん喋らされた。どうにも喉が渇いているようだ」
吸い込まれるように消えていく茶を見ながら、なるほど、パイに手を付けなかったのはそのためか、と思う。リロイは自分の分の茶を注ぎながら、ヴィクターの切り分けるパイを眺めた。挽き肉を野菜と荒く練った、食味の良い品であるようだった。あまりなじみのない味付けであるらしい。鼻をくすぐるスパイスの調合はリロイの知るどれとも異なっているように思われた。となるとこれは
「……しかしなぜわざわざ。何かあったか」
リロイが訊ねると、顔を上げたヴィクターは少し驚いたような顔をした。そのまま口を押さえると、喉が僅かに上下する。
「何かって……祭りの日だろう。議会に寄った折に、アルゴスが持たせてくれた」
「アルゴスが……? というかなんの祭りだ、暦には乗っていない」
「……
無理だろう、とリロイは思う。議会の初代トップ、女王アルゴスの記憶喪失は魔術的なものだ。今後一生戻ることはないと思われたし、おそらくそれは事実であろう。リロイは暦にない『祭り』に思いをはせる。長い赤毛を持つことからアレスの人間ではないだろうとは思っていたが、それだけはどうも確かなようだ。
「しかし、アルゴスが…… そうか、ヴィクが作ったわけではないのだな」
リロイの発したその言葉に、ヴィクターは少し咎めるような視線を向けた。
「俺の作でなければ不満か? 仮にも女王の下賜だぞ。そもそも俺は最初に『中身についてはしらない』と言っただろう。それともなんだ。俺が由来のしれない肉を調理して持ってくるような人間だと思っているのか?」
「ああ、いや、そういうつもりで言ったわけでは…… ただ、そうだな、アルゴスもパイを焼くんだな、と思ったんだ。台所仕事とは縁遠い身の上だろう」
「ん? ああ……」
ちょっと考えるようにして、ヴィクターは頷いた。
「なるほどな。俺もそれは思ったし言った。女王は母なのだから当然でしょう、とそんなようなことを言っていた。笑っていたぜ。いつもと同じようにな」
元が世話焼きなんだよな、とヴィクターが続けたので、リロイは少し呆れたような顔をした。
◆
ヴィクターはさくさくとパイを切り分け、器用に口へ運んでいく。外を駆け回っているとどうしたって腹が減るのだろうな、と机仕事にばかり拘束されるリロイはぼんやり考えた。ぬるい茶で口を湿しつつその様子を見ていると、ヴィクターが脈絡なく顔を上げたので、リロイは少しぎょっとした。
「……そっちはこの頃どうなんだ? 会合には相変わらず出ているのだろう、内地の皿に慣れた舌には食えたものではないか?」
未だ手を付けられていないリロイの皿を一瞥し、ヴィクターは揶揄するように言った。リロイは目を細め、カップを降ろした。
「嫌な言い方をする。女王の下賜であると言ったのはヴィクだろう。……昼食を取ったばかりで腹が減っていないんだ」
リロイはそこまで言ってから、少しのあいだ話すのをやめ、パイに目を落とした。目の動きだけでヴィクターへ視線を投げると、それに、と言って再び口を開く。
「……会合では確かに贅を尽くした皿が並ぶが、俺はあれらへ楽しみのために参加しているわけではない。ちなまぐさい話の持ち込まれる政治の場でなにを食べたところで味などわかるものでもなかろう。違うか」
不機嫌さの滲む言葉はどこまでも投げやりだった。内地であるにもかかわらず、よこされるのは前線もかくやというほどの案件、複雑かつ厳しいリソース分配の打診である。渋い顔のまま茶を啜るリロイへ、ヴィクターは僅かに驚いたような顔をした。
「……大変だとは聞いていたがそこまでとはな! 全く、お前もよくやるもんだ、指輪だって抜かなくちゃならないんだろう?」
不躾な視線に抗うように、リロイは手袋をはめたままの甲を撫でた。
「政治の場というのは往々にして形骸化した作法があるものだ。ヴィクの言うことはもっともで、それ自体に反論はないが、これは与えられた役割だ。現時点、自分以外に職務をこなせる者がいるわけでもない。愉快な仕事ではなかろうが、せめて代わりが見つかるまでは受け持とうという気でいる」
「おまえ、本当にそういうところ真面目だよな……」
ヴィクターは目を眇め、よくやるよな、ともう一度言った。リロイは荒っぽく息を吐くことでそれに答えた。
「……そういや、食事会とは言うが、どんな皿が並ぶんだ? 珍しいものか?」
「それは場所によりけりだな。海辺に呼ばれたときは鮮魚でこしらえたマリネが出た。酢で漬け込まれない、骨を取り去った魚の切り身がサラダとして出る場合もある。……そうだな、配膳された分は口にするが、私はあれらを好まない」
言いながらリロイは少し嫌そうな顔をした。生ものはそうだよな、と言って、ヴィクターはリロイに同調した。
「大体の事情は把握できた。刺身が出るならまごうことなく贅沢な席だ。陸の魚とはものが違うだろ? 香草でフライにする方が好きか?」
「どうだろうな。なんにせよ食べ慣れないものであるのは確かだ。魔術士でいて生の物を食べる機会などないわけだからな」
骨が抜かれるのはありがたいことだが、と続け、パイの手元をフォークで切り崩す。途中、突き入れた匙はつっかえる。リロイは顔をしかめた。練られた肉に挟まる、青みがかった黄土色。弾力のあるビニールじみた皮膜には見覚えがあった。
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