にんじん
にんじんが嫌いだ。
何処が嫌いか、という次元ではなく存在自体が嫌い。
生理的に無理というやつである。
決して農家さんに喧嘩を売っているわけでは無いので、いち子供としての意見だということは理解しておいて頂きたい。
私だって出来る事ならば、美味しく野菜を食してみたいのだ。
自分は野菜嫌いで名が通るほどの偏食ぶりだが、大抵のものは調理法や目を瞑る事で食べる事が出来る。
然しにんじんだけはどうにも許せない。
親でも殺されたのか、はたまた前世でにんじんに殴り殺されたのかという程の憎みようである。
正直、いつから苦手だったかと聞かれると分からない。
自我のない赤子時代は疑うことなく口に運んでいたのかもしれないが、今となってはもう欠片でさえも見逃すことができないのだ。
視力は悪いのに、そういう所だけはやけに得意になってしまって困る。
小さい頃からカレーやスープに入ったにんじんはスプーンの背で潰して何とか味を誤魔化していたのだが、煮物といったものになると手段がない。
煮物なんぞは野菜の味を最大限に生かす素晴らしい調理法なのだが、私にとっては一番の地獄でしかない。
中学生の時の給食では「減らしたとしても一つは食べよう」と中途半端にストイックな自分ルールを課せてしまった為、最終的には涙目になりながら食べるしかなかった。
一つ減らすならば全て減らしてしまえばいいのに、余りにも不必要なプライドが邪魔をする。誰に褒められる訳でも無く自分をただ追い詰めている不毛さ。
ああ、アホだ……と今になれば思うのだが、同時に偉かったなとも思う。今は口に触れる事さえしない。
にんじんは鉛筆の味がする。
こう言うと大概の人に首を傾げられる。
お前は鉛筆を食った事あるのかという面白味の無い質問は一切受け付けない。
もう永らく味わっていないが、兎も角不意に思い出す風味が鉛筆に似ているのだ。
要するに、食べてはいけない様な味がする。
私の場合はにんじんの風味がすると喉の奥が引き攣ってえずいてしまう。
今まで吐いた事は自我が確立してからは一度も無いのだが、今後吐くとしたらば原因はにんじんだろう。
最早トラウマレベルで私の脳と味蕾に染み付いているのだと思う。
調べてみた所、如何やら食べ物をえずく時は脳が拒否しているのだそうだ。
それなら仕方ないねえなんて言って、結局お皿にぽつんと橙が取り残される。
「野菜が泣いてるよ」などと時々言ってくる人はいるのだが、私には野菜好きの姉がいる為に捨てられるなんて問題はないので安心してほしい。
どうやったらにんじんを食べられるようになるのかと何度も思ったけれど、多分死ぬまで治らない予感がしている。
来世は兎にでもなって存分に美味しいにんじんやキャベツを頬張ってみたい。
現世の人間の私は、生キャベツも嫌いなのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます