味のする幸福

saw

白米

 私は好きな食べ物は何かと問われると、白米と答える。


 だが健康への意識が高い我が家は、物心ついた頃には既に五穀米や玄米や古代米と言った“白米ではない”ものが食卓に出されるようになっていた。

 白米は母の気まぐれで炊かれる為、頻繁には食べない。


 勘違いしないで欲しいが、別にそれに関して特別な不満があるわけでは無い。


 味も白米と大差があるわけでもなく、栄養素を十分に取れ、普通に美味しい。

 非の打ち所がないように思えるだろう。


 それでも私は白米をずっと求めている。

 理由はとても単純なことだ。


 古代米は紫色で、白米は白色。

 ここが決定的な違いだった。


 そんなの味に影響しないんだから目を瞑って食べろなんぞ言われた時には、私は冷やかな目をするに違いない。

 食事は、目と鼻と口と耳で味わうものだ。

 どれか一つでも欠ければ、どんなに素晴らしい料理でも味気ない物になる。


 五感で味わうという点で、白米はどの食べ物よりも優秀である。

 特に炊き立ての白米なんて、何物にも勝る。


 蓋を開けた時に立ち上る湯気や、真っ白で透き通った艶やかな表面や、見るからにふっくらとしたビジュアルは、口にする前から私を幸福感で満たす。


 炊き立てのそれを茶碗に盛り、まずは何も乗せずに食べる。

 白米一粒一粒の甘みと香りを十分に味わい、茶碗の中身が半分になったところで紅鮭を乗せるか茶漬けにして食べるのだ。

 この食べ方が一番白米のうまみを引きたてると思っている。


 勿論茶漬けに紅鮭を乗せて食べるのも幸福の味がするのだが、塩分の濃さにどうしても喉が渇いてしまうのだ。

 また脂ののった鮭などは折角のあっさりとした茶漬けの良さを半減させてしまう。

 本当は塩握りや、梅干を乗せたものも好き。

 とにかく白米の良さを邪魔しないおかずが好きであった。


 私は誰にも邪魔される事なく、その時間を最期の一粒迄楽しんでいる。

 音楽も流さず、テレビもつけず、誰かと会話をすることもない。

 ただ黙々と目の前の白米に向き合っている。


 この前それを見た姉がぼそっと


「それだけのものを幸せそうに食べるね」


 と言った。

 それだけのものでは無いと私は口を尖らせる。

 白米は一番のご馳走だ。


 だから今日も私は母に「ずっと白米が食べたい」ではなく、「今日の白米は美味しかった」と小さな声で繰り返し言うのだった。

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