現代物の怪討伐録

@magunamu2020

第1話 物の怪を斬る侍

 肌に触れた鮮血は小説で読んだように生温かった。

 

 悲鳴を上げて逃げ惑う人々を横目に自分の体にのしかかった頭のはじけ飛んだ屍に目をやった。頭がなくなったとはいえその服で理解した。この屍は母親だと。

 その屍が母親だとわかっても不思議と悲しみや怒りの感情は湧いてこなかった。ただ、頭を埋め尽くすのは、なぜこうなったのかという疑問だけである。

 記憶に残っているのは外食の帰りに、母親と最近の学校のことや、友人関係のことを話しながらこの大通りの人ごみの中を歩いていたことである。そこで何があったかは理解できていない、最後に見えたのは一瞬の閃光のようなものに母親の顔が包まれるところだった。そして気が付けばこの惨状である。


 もう何も言えない母親の屍をどけて起き上がると、角の生えた私と同じくらいの大きさをした人型の物の怪たちに襲われる人々の姿が目に入った。二、三体にも満たないその物の怪はその鋭利な爪で人々の体を切り刻んでゆく。中には抵抗する者もいたが、その抵抗虚しく体を力任せに折られ四肢を捥がれていた。


 その光景を見て、体が、精神が自分の置かれている状況を理解した。さっきまで微塵も感じられなかった恐怖や絶望が堰を切ったかのようにあふれ出した。腰がすくみ、体が震えた。眼からは涙があふれだし、息が荒くなる。その恐怖に耐えられなくなり叫びをあげ、この場から逃げ出そうとするが腰が抜けて走るどころか立ち上がることもままならない。


「いやぁッ…!誰か、助けてッ…!」

 

 周りを走り抜け逃げ惑う人々は私の助けを求める声などには耳を貸すことはなかった。必死に手を伸ばし、地を掴み、這いずる。少しでも遠くに、少しでもあの物の怪たちから離れたところに逃げようとして。

 その次の瞬間、体を棒で殴打されるような衝撃が襲った。頭を押さえられ動くことができない。何が起こったか理解できずにもがいていると、周りを走り逃げていた人々が私から離れるように逃げ始めた。何が起きているのか理解ができなかった。首が動かせない中で目を動かし、自分の上を見ると、そこにはあの物の怪の顔があった。


 物の怪は私の顔を押さえつけたままけたけたと甲高い声で笑った。まるで自分たちから逃げ惑った末に捕まった私や他の人を嘲り笑うかのように。


「いやぁぁっ!!!」


 恐怖のあまり、叫びをあげてもがくが、一向に物の怪の拘束から抜け出せる気配はない。それどころか物の怪の私の頭を押さえつける力は少しずつではあるものの強くなってきていた。このままでは殺される。その自覚が私のもがくものを必死なものにさせた。すると物の怪の力が弱くなった。逃げれるかもしれないという希望が見えた瞬間、目の前を母親が死んだときのような閃光が通った。


「え…?」


 気が付くと、視界に無残に折られた私の腕が映った。物の怪の拳が砕いたのだ。その次の瞬間には激痛に襲われ、悲鳴は恐怖ではなく、その痛みに苦しむものに変わった。想像を絶する痛みにのどが張り裂けるほどの叫びが出た。そしてその痛みにもがく私を見て物の怪が笑ったあと、また頭に力を加えた。さっきよりも強い力で。頭蓋骨がみしみしときしみ始める。今度こそ確実に殺しに来ている。


「だれか…助けてよッ…!」


 


 死が目前に迫り、絶望した中で少女が声を絞り出した。


 

 それに呼応するかのようにすぐ隣にあった路地から人影が飛び出した。


 

 路地から飛び出したその人物は飛び出した勢いに乗せ、物の怪の顔に飛び蹴りを放った。勢いに乗ったその攻撃は物の怪の首を確実に捉えた。ごきゃという骨の折れる音がして、物の怪の体は宙に舞った。

 物の怪が吹き飛んだことで拘束を逃れた少女は恐怖と絶望から一時的に解放され、過呼吸気味に呼吸をした。口の中が血と吐瀉物の混じったような味がして、思わず吐き出しそうになる。少女が変わらず汗や血を垂らしながら這いつくばっているとその傍に先ほどの物の怪を蹴り飛ばした人物がしゃがみこんだ。


「お嬢さんすまねぇな。道に迷っちまって…。」


 そういった男の風貌はかなり異彩を放っていた。最近では全くと言ってもいいほど見ない小袖に袴という古風な侍のような服装だが、髪は洋風なオールバックで、髪先は少しばかり青がかっている。少し申し訳なさそうな表情の彼は、よっこいしょとけだるそうに立ち上げると、一つ大きなあくびをした。


 男がふあぁと大きく息を吐き、目を閉じた瞬間、蹴り飛ばされた仲間を見てか集まってきていた物の怪の一体が襲い掛かった。先ほど何人もの人々の体を切り裂いた鋭利な爪で切りかかる。だが、その爪は男を捉えることはなく、空を切り裂いた。


 物の怪が驚きを隠せずギッ!?という間抜けな声を出すと、下から一本の日本刀がその下あごを貫き、そのまま頭頂部へ貫通した。頭を串刺しにされ、絶命した物の怪が日本刀に刺さったまま垂れ下がった。その日本刀を持つのは、ついさっき間の抜けたあくびをしていた男である。だが、その表情は先ほどの申し訳なさそうな笑顔ではなく、殺意に満ちた冷たい表情であった。


「下級の鬼風情が、ただただ非力な日ノ本の民を蹂躙しただけで調子づきおって。」


 男は刀に刺さった鬼の死体を雑に取り除くと、刀を振り、血を払いながら最後の鬼の方へゆっくりと歩みを進め始めた。


「あんたら今の警察だのが物の怪に対して有効な手段を持ち合わせてないから図に乗ってしもたんやろなぁ。」


 ゆっくりと近づいてくる男に鬼は最後まで抵抗するという意思を表すかのように威嚇した。その威嚇を見ても男は歩みを止めず、それどころか遊ぶ幼児たちを見るように笑った。


「でもな。そもそもあんたら物の怪の退治は警察でも自衛隊の領分でもない。」


 最後の抵抗に鬼は正面を切って男に襲い掛かった。だが、その攻撃は男には届くことなく、男の横を通りすぎるまでには真っ二つになって絶命した。鬼の死体が血に倒れ、血だまりを形成する。


「俺らみたいな者の領分や。」


 男は吐き捨てるように鬼の死体に言った。


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