4-7

「視察?」


 黄金の玉座に腰かけ、第二宰相ヴェジール・サーニのユーフス・パシャから上がる報告を聞いていたルトフィーは、「そう言えば」と切り出された内容に、語尾を持ち上げた。

 トゥルハン帝国の首都・ケトロンポルスにある新宮殿イェニ・サライ皇帝スルタンの居住宮殿として知られるその場所は、挨拶の門バービュッセーラムのさらに奥――幸福の門バービュッサーデと呼ばれる門がある。

 挨拶の門ほど巨大ではないものの、そこを抜けた先に広がる景色は、「第二の中庭」とはまた違った印象を与える場所だった。

 白い漆喰にトゥルハン帝国特有のタイルを飾り、いくつもの円柱から支えられている巨大な屋根を持つその建物は、謁見の間アルズ・オダスと呼ばれる皇帝の政務場所のひとつである。そこを中心に「第三の中庭」と呼ばれる空間が広がっており、謁見の間の他、図書館や風通しのよい離れキョシュクなどが並んでいる。

 「第二の中庭」は、御前会議ディーヴァーヌを行うドームの間クッベ・アルトゥなどこの国の政を行う場所であったが、幸福の門から先は、いわば皇帝個人の私邸といってもいい空間だろう。

 つい一時間ほど前まで、ドームの間で開かれてい御前会議を隠し部屋からの小窓で覗いていたルトフィーだったが、話し合いがひと段落ついたところで先に抜け出し、この謁見の間まで戻ってきていた。

 ここで、御前会議で出た報告を受ける事が日課だった。


「……さっきまで、鉄道工事の護衛に軍部を行かせるかどうかって話をしていなかったか?」

「はい。ですから、その話の続きです」


 トゥルハン帝国内は、かつての栄華を既に失いつつあるが、それでも領土はいまだ広大である。その為、物や人員の搬送をより早く行える鉄道があれば、国内の生産性は高まり、人々の暮らしも豊かなものになるのではないかと思い、二年前に復位してから即、その工事を計画し、進めさせていた。

 けれど、案の定というか――自分が仕向けたことではあるが、どうやら国内からの「皇帝が作ろうとしている鉄道とやら」の評判はすこぶる悪く、幾度となく何者か・・・がその工事を中断させる為に襲撃してきたりなどの事件が起こっている。

 今回の御前会議の話題もまさにそれが取り沙汰され、新たな秩序ニザーム・ジェディードを警護に当たらせようかという結論が出されたと報告を受けたばかりだった。


「陛下もすでにもうご承知の話かと思いますけど……鉄道の件をナシにしても、いま陛下の国民からの支持というものがかなり低いです」

「まぁ……そりゃそうだろうな。敢えて、そうなるように仕向けてるんだから、当然だろ」

「最後の、皇帝になるために……ですか?」

「ついでに極悪非道・・・・もつけてくれると、助かる」

「またそのような……」


 どこか悔しそうな感情を瞳に滲ませながら、ユーフスは呆れたようにため息混じりの声を紡いだ。どうやら彼からすると、いずれは民主国家へ移行するにせよ、ルトフィーの行った改革の数々を悪政と評されるのは、不愉快であるらしい。

 ルトフィー一世の右腕として、国力を上げる為に様々な事に携わり、同時に前皇帝時代同様にウェネト共和国をメインとした諸外国とのやり取りもしているユーフスにしたら、己の仕事さえ否定されている現状は面白くないのは当然かもしれない。

 けれど。


  ――きっとアンタ、歴史書にひっどい皇帝として名前書かれるわよ。


 いまだ色褪せないその声が、瞬時に思い出された。

 もう、二年も触れていない声だ。

 でも今も自分の中で、ずっとあり続けている少女の、声。


  ――古今東西、帝国や王朝の終わりの君主なんて、ろくなモンじゃないだろ。私欲のために権力を振りかざしたり、重税を強いて、奢侈の限りを尽くしたり、苦言を呈す忠心を遠ざけ、甘言ばかりを口にする佞臣を重用したり――。


 そうある為に。

 そうなるように、二年間必死で耐えてきた。

 皇太后ははおやを捨て、悪逆非道の道を進む自身へと、人々がどんな視線を向けてくるのか。

 どんな感情を、自身に抱いているのか。

 その、全てをただ黙って耐えてきた。

 やがて来る、革命の足音が聞こえるその日まで。


「それで? 俺の評判が地に落ちている事によって、鉄道工事に軍部派遣しなくちゃならないってのはわかるが……」

「実は、先日ナクシディルが孤児院に慰問に行ったんですよ。陛下が勧められた、国内の高官夫人による慈善活動ワクフの一環で」

「あぁ。あれか……」


 この国の最盛期であったエルトゥールル一世の寵姫ハセキであったギュルフェムは、国内の女子供を対象とした活動を行っていた。その後、女人の天下カドゥンラール・スルタナトゥで宮殿内が完全に腐り切ってしまうと、そういった活動はほぼ市民には行き届かなくなっていったのだが、二年前の政変クーデターによって孤児や身寄りのない女が市中に溢れた為、再び復活させる事になった。

 もっとも、当時と違い、ルトフィー一世の宮殿にはもう後宮ハレムは存在せず、故に、軍人閣僚カクプル法官官僚ウラマー書記官僚キャーティプといった高官の妻や娘たちにその役割を与えているのだが。


「うちが担当している地域が、バイオール地区の孤児院なんですが……、そこで偶然出会ったそうなんですよ。前皇帝の側室イクバルであった、ミフリマーフさまと」

「ミフリマーフ!?」


 ミフリマーフと言えば、その圧倒的な美貌を買われ、当時の大宰相ヴェズラザム経由で後宮に入れられた少女であったはずだ。

 そして、何より――。


アイツ・・・の、同郷で……)


 共に攫われた仲でありながらも、仲は良くなかったようで――彼女を【黄金の鳥籠カフェス】に入れた、張本人でもある人物だった。


  ――あたしもあんま人の事言えないと思うけど……。ミフリマーフの腹の真っ黒さは本当、月も星も安らかな眠りについた夜の闇夜を映したヒッポス海峡よりも暗いと思うわ。

  ――何でそこだけ無駄に詩歌的表現なんだよ。

  ――いや、今読んでた本がたまたま抒情詩ガザル集だったから、何となく……?

  ――アホ。……で、腹黒さがどうしたって? お前だって負けてないだろ、跳ねっ返り。

  ――いや、あたしはあそこまで腹黒くはないわよ! でもね、そのくせ、外見はほんっとうに、天使も裸足で逃げ出すほどの美少女なの。って考えると、天は二物を与えないってホントよね。


 そう言って、ケラケラと笑っていた少女を思い出す。

 ミフリマーフとの直接的な面識は勿論ないが、その話は幾度となくあの少女から聞いて知っている。それがなくとも、弟・マフムトの寵愛が殊更に深いとカランフィルからも聞かされていた。


「マフムトの側室であった女なら、旧宮殿エキス・サライにいるんじゃないのか?」

「はい。二年前のあの日以降、ずっと旧宮殿に幽閉されていました。ですが、二か月前に、あそこに出入りする御用商人に見初められたようで……」

「……まぁ相当な美貌の持ち主だったって話だから、独り身でいる事もないだろうし、いい縁があったならそれはそれでいいとは思うが……何でそんな女が孤児院に?」

「ちょうど、彼女の夫が孤児院に食料品を納めているって話で、着いてきたのだと言っていたそうです。ですが、そこでナクシディルが彼女から聞かされた話が……ちょっと、気にかかると言うか……」

「なんだ?」


 ユーフスは、軽く眉を顰めながら一度、視線を入口扉の方へと向ける。彼からの報告の際には、勿論扉は閉めているし、人払いもしているので誰かに聞かれる心配というものもないはずだ。何より、いまこの段階で幸福の門を越える事の出来る人間は全て、隠し事などしなくてもいい程に、信頼を寄せてている人間ばかりである。

 けれど彼がこうも口を渋るという事は、よほどの内容なのか。

 ルトフィーは玉座から数歩離れた場所で絨毯の上に腰を落としていたユーフスへと、ちょいちょい、と指で呼び寄せる。彼は軽く頷くと、シュル、と衣擦れの音と共ににじり寄ってきた。

 毛足の短い絨毯の上で、長衣カフタンが滑るように空気をその裾へと孕ませる。


「実は……、陛下の婚姻についての話題を、出してきたそうです」

「……俺の?」

「はい」


 復位して一年ほど経つと、国民感情はともかくとしてまつりごとは予定通り着々と軌道に乗り始めた。けれど、未だ国内が落ち着いたとは言えない状態であり、何よりトゥルハン帝国と言えば、後宮のイメージが着きすぎているせいか、基本的に一夫一妻制度を常とする諸外国から、婚姻についての話が出てきたことは未だ、一度もなかった。

 その代わりとでも言うように、何故か自分を追いやるはずの組織である革命軍側から、ちらほらと自分の娘を是非――というような声が内密に届くようになっていた。

 勿論、受けるつもりなど毛頭ないので、全て断るようにユーフスたちには伝えているし、下手な内輪揉めを起こされない内に革命を決行してほしいとさえ思っているのだが。


「何で、商人の妻となった女が、俺の婚姻の噂話を知っているんだ?」

「どうやら旧宮殿内で、元皇太后ヴァリデ・スルタンさまが怒っていたので知りえたと話してたようですが……」

「……皇太后が?」

「はい。……少し、気になりませんか」


 皇太后にしても、前皇帝・マフムトにしても、表に出してしまえばその政治的影響力というものは未だ強いため、一切外からの情報は与えていないはずだが、それでも何とか情報を得ていたのだろうか。

 ――否。


「ちょうど時を同じくして、ミフリマーフを娶ったその商人は、ほぼ黒と見て間違いないだろうな」

「はい。俺も、元皇太后さまに情報を与えていたのはミフリマーフの夫――その男は、革命軍側の人間ではないかと踏んでいます」

「そして、そんな男が……孤児院に食料品を納めている、と」

「勿論、普通に商人としての仕事もあるでしょうが……、あそこはマフムト陛下時代の高官であた者たちの子弟が庇護を受けている場所です」


 つまり、ルトフィー一世に恨みを抱いている可能性が十分にある、という事だ。


「革命を起こすなら起こすで、それは構わない。むしろ願ったり叶ったりってやつだな。でも、まぁ出来ればもう少し、国力を上げたいところではあるが……その結果、俺にすり寄ろうとしてくる地方名士アーヤーンが出てくるんじゃ、本末転倒だ」

「まぁ実際、国力が上がって来たのを彼ら自身が感じ取っているからこそ、革命を起こすか、すり寄るかで今悩んでるってところではないでしょうか」

「……ちっ、面倒な事になったもんだ」


 ガシガシ、とルトフィーが頭布ターバンの中に指を入れ乱暴に栗色ブリュネットを掻く。


「なので、まぁ牽制の意味も含めて、一度孤児院となっているモスクの視察をお願いしたいという話です」


 なるほどな――、と青年は、すでに口の中に転がっていた是を探すように、口内を舌先で何度か撫ぜた。




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