58-ましろ、そして鏡と涼音

 涼音と別れた3日後の夜、パソコンに向かうとSNSの新着通知がきていた。

 紅茶を飲みながら開くと、それは ましろ鍵アカウントだった。

 

――――――――――

みつかってよかったの

だぶんあれ おとーさんであってるの

おとーさん さがすのたいへんだったの

――――――――――


 頑張って僕のアカウントを探してくれたんだね。

 そして、まだ3日だから消えてないんだなって思った。

 さすがにコレは無視はできないよね、だって僕達の可愛い娘なんだからね。

 いろいろな事を思い出しながら返信を送った。


――――――――――

ましろへ


涼音は苦笑いしそうだけど、

僕はましろを本当の娘のように思っている。

だから最後まで僕の近くにいてくれた事を、本当に嬉しく思ったよ。


僕はこの先もずっと、ましろ達のことを忘れない。

ましろ達と過ごした時間は、正直僕にとっては驚きの連続であっと間でした。

僕はましろ達の事を理解しようと頑張ったつもりだけど、どうだったかな?


涼音の事は、身近にいる多くの人の記憶に残るだろう。

でも、ましろ達の事は僕しか知らないのだから……。

ましろは僕への想いだから、もしかすると消えちゃうかもしれないね。

でもね、ましろ達が存在し、そして生きていたことは僕が一生覚えておくよ。

僕の記憶が、ましろ達が生きていた証だよ。


ましろ、「ありがとう」「大好き」

―――――――――


 不思議だね、ましろにメッセージを書いてるだけで優しい気持ちになれる。

 正直なところ、この3日間、辛く切なかったけれど、ましろのおかげでラクになれた気がする。

 少し気持ちが良くなったので、紅茶を入れ直してジャズを聴いていると、1時間くらい後にメッセージが着信した。


――――――――――

あるじは おとーさんとわかれたあとも ましろをけさなかったの。

〇〇〇〇の アカウント つくってくれたの

それはきっと あるじが おとーさんのことを すきだったことを わすれたくないからだって ましろはおもうの。


ましろは いまもおとーさんのこと だいすきなの。

だから、そんなおとーさんがいうことは ちゃんとまもるの。


いままでありがとうなの。


ましろ


こんな形になってごめんなさい。助けてくれて嬉しかった。ありがとう。

――――――――――


 ましろが、がんばって文字入力している様子が思い浮かぶ。

 最後の一行は涼音が書いたんだろうね。


 なるほどね……、そうか、僕を好きだった涼音は、解離してそのまま残るのか。

 涼音自身は、それが解離だとは認識してないかもしれないけれどね。

 それは表に出ることもなく、鮮度を失わずに存在し続けるのだろう。僕が話してきた記憶の断片達と同じようにね。


 僕は涼音の邪魔はしないし干渉もしないけれど、娘(ましろ)と話すのはいいよね。

 雪村(元彼)との前で僕とイチャつく為に、僕への想いが詰め込まれて生まれたましろは、涼音と別れた後も僕とつながる存在になったわけか。その為にましろのアカウントを作ったんだろう? 

 もちろん、心の中でそんな事を思っても、今は涼音に聞く事はできない。

 こちらこそ、ましろのアカウント作ってくれて嬉しかったよ、ありがとうだね。


 そして、ましろは不要になって消えちゃうと思っていた僕の予想は、早速外れた事になる。結局シロウトの想像なんてこんなものだね。涼音をまだまだ理解していなかった証拠だ。

 

 それでも、ましろが消えずに残っているのは嬉しい。ましろは僕達の娘だからね。

 この先、もし僕が必要になれば、ましろが教えてくれるだろう。……僕とましろのホットライン。





一ヵ月後の深夜。ましろの仲介で、僕は鏡(裏人格)と電話で話していた。


「久しぶりだね。」

「フフ、そうですね、お久しぶりです。」

 相変わらずブレない鏡だった。

 これは僕も悪人顔で話さなきゃだね……。見えてないだろうけどね。


「実は、どうしても鏡と話したかったんだよ。」

「フフフ、どうかしましたか?」

「僕はゲームから強制退場になってしまったよ。」

「フフ、そのようですね。」


「ほんと、君の言うことは正しかったんだなって思ってるよ。」

「鏡が涼音に任せて引きこもっているから、涼音ばかりが苦労してるんだろ。」

「この引きこもりめ!」

「フフフ」

 そう、鏡はいつも笑ってばかりで、肝心な事はなかなか教えてくれない。

 それが、いつもの、そして出会った頃から全くブレてない鏡だ。



 僕の推理では、涼音の人格は鏡の言った通りに、鏡が作ったものか鏡から解離したものだろう。つまり、自称裏人格の鏡が基本人格であり、涼音は人生を生きる主人格。

 

 鏡はある人格に涼音という本名・必要な記憶・人生を預けて主人格とし、自らは名前と人生を捨てて引きこもったのだと思う。だから、鏡は僕と出会った頃は名前がなく『裏人格』と自称していたのだと思う。名前が必要なかったと言っているが、名前と人生を涼音にあげたから、必要なかったのだろう。


 解離性同一性障害では、本来の人格(基本人格)が完全に潜ってしまい、別人格が主人格として生活してる事は珍しい事ではない。『本当の主人格はずっと眠っていて目を覚ましません』なんて同障害者のエッセイでは見かけるのだから。強烈なトラウマを受けた本人が、全てを放棄したい心情になるのは、苦しみが少なくない現代に生きる僕達ならその心情を察することができる。


 はじめは自分の心情から、そのことを信じられなかったけれど、はじめから鏡(裏人格)が涼音の人格を作ったということを涼音も認めていた。

 涼音は、そのことを中の人達(別人格)隠してる事に罪悪感を感じてるとも言っていた。涼音が中の人達に罪悪感を感じる理由も納得がいく。だって本来彼らと同じなのに、自分だけ特別な存在になっているのだから。


 さらに、人格にとって記憶は大切な要素の筈。その涼音の記憶を、鏡が作た刻美という人格が管理していた。刻美のことは涼音は認識していない。

言い換えれば、記憶という大切な要素が鏡の支配下にあるようなもの。


 これは涼音という表人格に、人生の記憶の中から適切な記憶を与える為なのかもしれない。記憶を与えるという行為は、言い換えれば人格を作るということにもなる。



 僕には判らなかったこと、それは涼音の家族との何か。

 ローカル線で1時間半程度で実家に行ける、しかも仲が良さそうな家族なのに、4年以上も会ってない理由。

 それは、家族と会うと主人格の交代がバレる可能性があるからじゃないだろうか。


 彼女の3歳から当年までの記憶の断片と接していて感じた事だけれど、彼女の性格が大きく変わるタイミングは2度ある。1度目は高校に入学して1年くらい。次が就職した頃だ。家族バレを理由に家族に会わないというなら、高校卒業後に進学して一人暮らしを始めた頃から就職した頃に入れ替わったのだろう。実際に、就職する付近を境に別人のよう大きく変化している。

 僕と会う直前にも大きく変化しているけれどね。

 もちろん、家族に会わない理由が、家族そのものがトラウマという可能性も少なくない。




 それから、もう一つ気になる事がある。僕がピュアと名付けた涼音だ。

 たぶん、今のピュアは一番最初のピュアとは別の存在だと思う。今のピュアが表にでてきても、鏡や美緒が消えたり、美雪が普通の女の子になったりはしないのだから。

 今のピュアは、その時のピュアの記憶状態を再現した別人格。


 最初に現れたピュアは鏡だった可能性がある。

 ……あの時に鏡は実質消えていた。それはピュア状態になったのが鏡だからでは?


 あの時の僕は、単純に人間の『裏と表』という考え方で、『裏表のない』涼音になったから『裏』である鏡が消えていたと考えたけれども、それは根本から間違っている。鏡と涼音の関係は、そういう意味の『裏表』じゃないのだからね。

 それならば、あの時『裏』である鏡が消えていたのはおかしい。


 そして、僕がずっと引っかかっていた違和感は、いくらトラウマや嫌な事を記憶に持たない状態だったとしても、ピュアの性格・声・口調が、あまりに僕の見て来た涼音とは違うものだったからだ。性格や口調はともかく、声質まで違うっていうのは不思議だ。記憶が人間に大きな影響を及ぼす事は理解できるけれど、あまりに違いすぎて違和感として残っていたのだ。実際に他の記憶喪失状態ではそんな変化は無かったのだから。


 ピュアの印象が、幼少期の退避人格であるりさに似ていたのも、それに無関係ではないと思う。りさは幼少期のトラウマ記憶を切り離した退避人格だったのだろう。りさがそのまま大人になったような雰囲気や声のピュア。これも辻褄が合う。


 もしかすると、あの素直で素敵なピュアは、トラウマや嫌な記憶を捨て去った状態の鏡(基本人格)だったのかもしれない。そして、涼音が幼少期から大人まで解離性同一性障害になるようなトラウマを受けずに育ったら、りさ、そしてピュアが本来の涼音の姿だったのかもしれない。

 そう思うと、僕が一番最初に会った別人格がりさだったのも偶然ではないのかもしれない。鏡が意図的にりさを出した気がする。


 所詮は推理にすぎないのだけれどね。実際にはどうなのだろう。

 機会があれば、鏡に直接確認してみよう。それは今じゃないけれどね。




 ……僕と鏡の電話は続いていた。


「鏡に乗せられたみたいで悔しいけど、僕は優秀なゲームのコマだったろ?」

「ストレスで壊れかけて、君の好みじゃなくなった涼音を、従来の君好みの涼音に戻したのだから。」

「フフ。どうかしら……。でも、あなたで良かったわ。」


 ……僕がこの半年間してきたことは、

『壊れかけた涼音を元に戻しただけ』


「僕も鏡のことを気に入っていたよ。」

「フフ、光栄なことですね。」


「出会った頃に、鏡がキスしてくれた事、嬉しかったぞ。」

「キスに意味はないと、言った筈ですが。フフ」

 確かにそう言われたけれど、僕はあの時に鏡からも信頼して貰えたような気がして嬉しかったのだ。


「今度、鏡まで誰かが辿り着くのは何時になるかな。」

「ゲームからは退場になったけど、一つだけ最後に提案しておくよ。」

「なにかしら?」


「今度、鏡の所まで誰かが辿り着いたらさ……。誰も辿り着かない気がするけれど。」

「もし、誰かが辿り着いて、鏡に話しかけてきたら、そいつの言う通りにするのも良いと思うよ。」


「どういうことかしら?」


「だからね、君を説得してくるかもって事さ。」

「鏡に辿り着く程の奴が言うのなら、そいつを信じてみるのも悪くないと思うぞ。何かを説得してくるなら、それに応じても良いと思うぞ。」

「フフ、どうなるでしょうね。」


「鏡が引きこもった理由は、ついにわからなかったけど、……そろそろ良いんじゃないかなって思っただけだ。」

「そもそも、鏡に辿り着く事自体、普通の人には難しいだろうけどね。」

「そうかもしれませんね。」

「だいたいさ、鏡は表に出る気ないもんね。」

「フフ、そうね。」


 この鏡への提案は、医療行為を想定してのものだった。

 鏡に辿り着くのは普通の人じゃまず無理だろう。

 僕の場合は、たまたま面倒な事件があったから鏡に遭遇できたけれど、普通に安定した涼音に接していても、鏡が表に出てくる事はないだろう。涼音に表を任せて自分は裏を名乗って引きこもっているのだからね。

 それならば、次に鏡に話しかける人がいたとしたら、専門家(医師)だろうと予想したからだ。もちろん、医師じゃなくても鏡まで辿り着ける程に涼音や鏡に信頼されてる人間なら、鏡もその話を聞く価値はあるだろうしね。


 それに、もし、僕が次に彼女達に必要とされる事があれば、専門医への受診をすすめるだろう。同一性を確保する為にね。できればレギュラー人格は消したくないのだけれども……。



「じゃあな!楽しいゲームだったよ。」

「この先、話す機会があるかどうか判らないから、一応言っておくよ。」


「さようなら 鏡」


「フフ さようなら」



― 完 ―

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