56-砂時計のおわり
それからも、僕は平日の眠り姫の相手と週末の定期便を続けていた。
時々、由比に叱られながらね。
由比は涼音の気持ちを代弁するようなところがある。由比は痛みや苦しみを引き受ける人格なのだから、彼女の心のストレスや痛みを、誰よりも理解しているのかもしれない。
涼音をずっと見て来た人格達のまとめ役である、月乃に相談したこともあった。
「今の涼音をどう思う」
「……どうと言われましても、主は主ですから私は主のプライベートな事には立ち入りません」
……などと傍観者のような感じで話にならない。
気のせいでなれけば、この頃から月乃達の声に張りがなくなってきたように思う。具体的に言うと、元気がない。それはあの明るい由比も含めてだった。
それから、僕はアタリマエの事に気付いていた。
月乃達お姉さん、お兄さん人格は、設定年齢が涼音より年上であったとしても、その思考の限界は涼音の年齢……。つまり涼音の経験を超えるものではないということ。
それはアタリマエの事。無から有は生じない。この先50歳の大人の人格が現れて涼音を支えようとしても、それは23歳の涼音の想像できる50歳像であって、50歳の経験は持っていない。逆に年下の人格を産みだした時は、その感性や考え方を当時の記憶から当てはめる事は簡単だろう。
オカルトではあるけど、外からそういう経験を積んだものが入って来なけれ涼音達(別人格含む)が、自分達が生きて来た人生経験を超える事はないのだ。
お盆休みは、涼音も1週間くらいあったけれどお盆には、彼女の元へ行かなかった。
世間体を気にする両親に、お盆には実家に集合する事を義務つけられていたから。
結婚している姉や妹までが、子供だけ連れて参集するのには違和感を感じる。
お盆休みを、愛する旦那と一緒に過ごさなくていいのかよってね、当人たち曰く「息抜き」だそうだ。結婚生活って一体……。息抜きが必要なのがアタリマエなのですか?。
なら、こいつらも僕と同じじゃん。そもそも、こいつらのせいで女性に夢を見れなくなった気がするけど、それは今更だからいいや。
離婚という世間体を下げた行為をした僕としては、今年のお盆は針の筵。居心地の悪い苦行の時間になっていた。何年も実家に戻ってないという涼音を少し羨ましく思う。
涼音のお盆休みの最終日の夜、僕達は音声チャットをしていた。
そんなお盆休み、彼女は例のFPSゲームや好きなバンドのライブに行ったりして過ごしていたらしい。……たぶん出会い系のSNSとかもゲーム気分でやってるよね。
「ほんと、お盆は僕にとっては苦行だったよ。」
「お父さんバカだね、実家なんか行かないで私の所へ来てれば良かったのに。」
「そうしたいけど、田舎の古い家ってのは色々面倒なんだよ。」
「それより、涼音はもう何年も帰ってないんだろう?どうして?」
「うーん、どうしてだろう?よくわからないや。〇〇市までは行くこともあるけど、実家には絶対寄らないし。」
これは、僕もまだ全く判らない彼女の実家との関係。
彼女は母親と頻繁にメッセージの交換をしていて、父も妹も大好きだと言っているのに、なぜかそれ以上には実家と関わろうとしない。……何かある気がするんだよね。しかも大きなトラウマ級のやつがね。
「あ、SOA(ゲーム)またやってるよ、お父さんも来る?」
彼女は悪趣味な実験の為に作った『花衣』名義のアカウントでSOAを再開したらしい。
言われるままに彼女のアカウントを確認すると、いつのまにか松風や男爵さんがフレンド登録されていた。
このパターンが僕の地雷になるって、涼音は学んでくれなかったのだろうか?
どうして、以前のアカウントを消す事になったのか、理解してないのだろうか、その記憶も解離させちゃったのか?
「また趣味の悪い実験してるの?」
「普通にプレイしてるよー。」
「そうか、そのアカウントでやるなら、僕はいいや。」
僕としては、やはり受け入れがたい事だった。小さなプライド、小さな人間。
「ねえ、どうして前のアカウントでやらないの? それなら僕も一緒にやりたいのに。」
「うーん、せっかく新しいアカウント作ったし、こっちでいいかなって。」
彼女は、何でもない事のように答えてくる。一応僕達の出会いのアカウントなのだけれどね。
古いアカウントには未練がない、切り替えたって事だろう。
古いアカウントは、確かに小さなトラウマ、ポテ君やみきちゃんの事を思い出させるアカウントだろうからね。そこで逃げないで踏ん張ってこそ強い人間になれる気がする。……なんてのは僕の都合の良い理屈付なのかな。
それでも、松風や男爵をしっかり繋いでおくのは、ティアの影響かな。ティアが戻る前は、SOAの事を思い出しても全く興味なさそうだったのにね。でも何故か僕は後回し。
ティアは気付いてないのかな、このままじゃ僕は離れてしまうよ。それともティアにとって僕は邪魔?
この辺で僕の中では彼女への恋愛のような、恋愛もどきのような感情は消えていった。以前、雪村を『彼もどき』と言って笑っていたのが、今では僕が『彼もどき』になってしまっている。ループだね。砂時計は裏返っていたんだ。
僕を繋ぎとめていたのは、涼音というより、中の人達(別人格)との約束だった。
そして『お父さん』という立場的なものかもしれない。
「じゃ、これからは夜の音声通話は、僕がお風呂から出た後、1時くらいからにしよう。」
「えー!!どうして?」
「だって僕と音声チャットしてたら、SOAできないだろ。」
この提案は、僕が彼女に突き付けた意地の悪い選択。ゲームか僕かという選択。彼女の心を計る物差し。……結果はなんとなく判っていたけどね。
「うーん、じゃわかった。それでいいよ。」
予想通り、彼女はゲームプレイを選んだ。
1時からの音声チャットというのは、この春に僕達が仲良くなりだした頃のパターンに戻るだけ。でも、その頃は一緒にゲームをプレイしていたんだよね。
変ったね……、僕達。
「それから、今週末はそっちに行かないことするよ。」
いろいろとドロドロした感情が渦巻いてしまって、週末定期便を実行する気になれなかったのだ。
「えぇー!!、どうして??」
「僕にだってやりたい事があるんだよ。」
「えぇー!! 娘が大切じゃないの?可愛くないの?娘グレちゃうよ!」
ここ一ヵ月くらい『グレたい』って思ってたのは、僕の方なのだけれどね。
「こらこら。こんな事でグレるなよ!そんな事じゃ娘を卒業できないよ。」
「ええー!! じゃ娘、お父さんのとこ行っちゃおうかな。」
「出かけるから来てもいないよ。」
「ぶー!! ……わかったよ。」
もっと抵抗してくるかと思ったら、すぐに収まった。
僕のところに強引に来るってなら、それはそれで良かったのだけれどね。いつか招待したいとは思っていたいしね。
そして、切り替えの早い彼女。こんなやりとりの数分後には、今まで通りの普通の涼音に戻っている。少し他愛もない話をして、そして眠り姫になっていった。
8月末の金曜日、その日もバカみたいに暑い日だった。僕は週末ということで涼音の元へ向かった。その日も彼女は残業を拒否して、早めに僕の元へ駆けつけてくれた。
周囲の人ごめんなさい、暑苦しいバカップル全開です。彼女の重い仕事用バックを僕が持ち、手をつないで彼女のマンションに向かう。
この暑いのに、二人は羽尾ラーメンに寄って、二人で揃って熱々のラーメンを食べてる。風変りなカップルだったせいか、ラーメン店のスタッフも僕達の事を覚えてくれているようで、僕が遅れてお店に入っても、すでに涼音との間で「二名様ですね」みたいな事を言われた後だったりする。
……その時までは、今までのように楽しい週末になると思っていた。
部屋に入り、いつも定位置に座る。いつものように、僕を気にする事もなく着替えて落ち着く彼女。……ここまではいつも通りだった。
部屋を眺めてみると、少し部屋が荒れている。
「少し散らかってるね、後で片づけるね。」
「お父さんか来ないからでしょ!お父さん来ないなら誰が片付けるのよ!」
えっと、やっぱり僕は主夫(下僕)だったのだろうか?
「はいはい、とにかく後で片づけるよ。」
「うん。でもパソコンの周りは絶対に触らないでね。」
彼女の言葉に僕は少し違和感を感じたけど、表には出さなかった。
「ああ、オッケー!わかったよ。」
普通なら『パソコンの周りは絶対に触らないでね』等、プライバシー的に触って欲しくない所があるってのは、アタリマエなのだろうけど、これまで数ヶ月彼女と過ごしてきて、こんな言われ方をしたことは一度もなかった。
僕が一人で留守番してようが、お部屋を片付けてようがそんな事は一度も言われた事がなかった。それどころか、彼女の下着まで洗濯していた僕。そこまで彼女は僕に対してオープンであり、そして信頼してくれていたのだろう。
じゃあ、今の言葉を発する意味は?……見られたくない事があるの? 僕が信頼できなくなったの?
窓の外が暗くなった頃。
彼女はいつもの定位置、床のクッションに腰を降ろして僕を見つめている。
「今日は来てくれたんだ。もう来てくれないのかと思っていたわ。」
そんな言葉をかけてくる涼音の表情が、いつもと違う事に気がついた。
「週末の定期便だろ?」
「ずっと来てくれなかったじゃん。」
彼女は少しキツイ目で僕を睨んでくる。
「お盆はしかたなかったし、先週だって仕方なかっただろ。」
そして気持ちを隠した僕の苦しい言い訳。
彼女は膝を抱えるように体育座りになり、身体を前後に揺らしはじめた。
「私さ、欲しいって思った時は、むちゃくちゃ欲しくなるんだ。」
「でもね、それが手に入らないと、すぐに冷めちゃうんだ。」
それは、僕が薄々感じていた彼女の性質。それを彼女は語っていた。
「それが僕ってことかな?」
「うん。」
彼女は大きく頷いた。
「それを今までも、ずっと繰り返してきだんだろ?」
「うん」
即答する彼女は『お父さん大好きな涼音』ではない事は明らかだった。
僕も彼女を真っ直ぐに見つめて思った事を口に出す。
「以前、ループするなよって言ってたのに。結局こうなったか。」
……。
「なるほど、今の涼音は、本物(本流)の涼音なんだね。」
彼女は沈黙したまま答えずに、僕を見つめ続ける。
「今の君は、僕がいなくても大丈夫な君なんだろう?冷めちゃってるんだろう?」
彼女は静かに頷いた。
「……私さ、欲しいモノが手に入らないと、すぐに諦めちゃうんだよ。」
「僕のことを諦めちゃったわけね。」
頷く彼女。
そうだよね、彼女は欲しい物が手に入らなかったら、それを未練なく諦めるのも得意。その欲しいって強い感情を解離して、直接アクセスできないようにすれば良いのだから。自己防衛の感情解離に涼音はあまりにも慣れすぎていたと思う。
「そして僕以外を求めてるんだろう?」
「『お父さんだけいればいい』って思っていた時もありました。」
そっか、過去形なんだねって思った。
「私はみんなに愛されたいの。」
「みんなに愛されるってことは、誰からも愛されないってことかもしれないよ。」
「それでもいいの。」
そうか、思った通りティアが入った考え方だと感じる。
「ティア……って言っても君は認識してないだろうけど、君の中ティアが戻った時から、こんな事になるような予感はしていたんだ。」
「僕が記憶の約束を果たすまでもなく、君は全てを取り戻したね。そしてティアって存在も戻っていたんだ、人との繋がりに飢えているティアがね。」
僕は、これが別れ話になると感じていた。そして、それでも良いと考えていた。
そして彼女も窒息して、我慢できなくて、あるいは諦めて、お互いそこから抜け出そうとしていたのだろう。
「ごめん、約束を一つ破るよ。……僕達はこれで別れよう。」
自分でも意外なほど簡単に決定的な言葉を口にすることができた。……彼女の「冷めてる」発言に後押ししてもらったようなものかな。そして、その答えも予想できていた。今の涼音なら、僕が予想した通りの答えが来る筈。
「うん。」
彼女は静かに予想通りの返事をしてきた。
僕達は二人の明確な意思と、明確な言葉で、別れを決断した。
お互い予想してたのかな、いろいろあったけど、僕達の最後を決める言葉の交換は本当にあっけないものだった。
何とも言い難い複雑な感情の嵐の中で、かろうじて平静なフリを続けている。
「ふぅー。楽しい週末になるかなと思って来たんだけれど、アテが外れちゃった。アハハ。」
「さすがに、この時間から帰るのはきついから、明日までいさせてね。」
「うん、いいよ。」
僕達の物理的な距離は2メートルも離れていない。だけど僕らは、たぶんお互いを心理的に遠くに離していた。別れをお互い了承した二人は、物理的な場所を変えずに、そのまま、それぞれの世界に入っていた。
二人が同じ空間にいても、お互いの世界を大切にして窒息せずに過ごせる、二人の心地よさ。踏み込み過ぎない心地よさ。僕達が当初感じていた心地良さ。
皮肉な事に、それがこの最後の場面でも僕達を穏やかにしていてくれた。普通なら、別れ話の後に一晩同じ空間で過ごすなんて相当辛いんじゃないだろうか?
……でもやっぱり彼女にはきつかったのかな。
彼女はしばらくしてトイレへ立って、そして、戻ってきた彼女が声をかけてきた。
「おとうさん……。」
幼くスイーツな声。ましろだった。
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