55-繋ぎとめるもの
7月末、梅雨も明けて暑い夏がやってきた。
涼音の元へ初めて来たのは早春の寒い日だったというのに、いろいろありすぎて、あっという間だったと思える。
涼音との関係は相変わらずで、今日は週末の定期便で彼女の元へ向かっている。
乗客の少ない電車の中は寒いくらい冷房が効いていて身体がおかしくなりそう。そして、鶴見に降り立ってみれば地獄みたいな暑さ。首都圏のこの暑さはマジなんとかして欲しいところ。さて、どこかショッピングモールにでも逃げ込もうかなと思っていると、携帯端末のメッセージ着信音がなる。
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今向かってるよ
鶴見1840予定
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あれ、今日残業が入ったって聞いていたけれど、普通の時間到着時間だね。早いのは助かる、この猛暑の中をウロウロするのはしんどいからね。この時期って10分外にいるだけで苦痛なんだよね。……暑いぃ。
結局ドッグカメラでブラブラ涼んで時間を潰していた。
そして、やってきた涼音はこの長袖にストールかな、どこの中東女子?みたいな感じでやってきたんだけれど。紫外線対策ね……可愛いけど。
「おまたせ!!」
嬉しそうに、しかも元気な声。 この暑さでその元気、僕にわけて欲しいよ。
「おつかれさ、紫外線怖いのはわかるけど、それ暑くないの?」
「うん、痛みだけじゃなくて、気温変化にも鈍いんだ。」
「そんなものか。」
「あーでも、見てるだけで暑くなるって、よく言われるよ。」
「そうだろうね、その通りだと思うわ。」
「ところで今日って残業入ったとか言ってなかった?」
「そんなのお父さん来るんだもん、拒否よ!拒否!」
「あはは、これは僕がもう少し遅く来るべきだったかな。」
こうして直接会うと、すごく元気に明るく全身から『お父さん大好きオーラ』を放っているんだけどね。駅からのマンションまでも、虚ろになることなく元気に歩いている。てか、この暑いのに腕に腕絡むんじゃないよ!……腕の汗で服が汚れるぞ!。
マンションのドアを開けた瞬間。
「おつかれのーん!」
突然また暑苦しい……訂正、熱い人がでてきました。
「どうした?涼音落ちたの?」
「ううん、最近全然呼んでくれないから出て来たのーん。」
「なんだ、そういうことか。」
「ところで、『のーん』ってつけなくても、だいたい区別つくから、つけなくていいよ」
「のーん、いつきさんの話す時の癖になってるのーん!」
そう言いながら、二人はリビングまでじゃれ合いながら歩いていく。
荷物を置いて、いつもの椅子に腰を降ろす。
「ところで、何か用事あったの?」
「別にないのーん。暑いから戻るのーん!」
もしかして、涼音の頭の中って涼しいのだろうか?ほんと、ブレずに明るくて楽しい桜花。
夕飯はお肉多めの冷やし中華にした。娘の餌にお肉は欠かせません。
その後は、二人で楽しく動画を見たり、お話したり、そして下僕したり。音声通話時の眠り姫状態を考えると、本当に同一人物と思える楽しさ。……これがあるから、なかなか決断できないんだけれどね。
もしかしたら、『眠り姫の涼音』と『元気でお父さん大好き娘』も微妙に解離しているのだろうか?
そう言えば、月乃達には、涼音は涼音という認識しかなくて、琴音のような複数の涼音がいるという認識はなく、聞いた僕の方が「何言ってるのですか?」みたいな感じに冷たく言われてしまった。
月乃は僕が記憶の断片と語ってる事も知らないみたいなので、今更だけど解離の状況を全て認識というわけではなさそうだった。涼音も今でも時雨を認識してないし、記憶の断片と毎晩のように話している事も僕が言わなきゃ、たぶんわかってなかったと思う。
ある意味、僕は涼音の知らない(認識してない)涼音を知ってるようなものかな。
翌日も二人は暑くて目が覚めた。今日もお天気がよくて南側の窓がキラキラ輝いている。
暑くなくてもそうなのだけれど、二人は安定の引きこもり状態で週末を過ごす予定。外への買い出しの係りは僕なのだけれどね。それでもがんばって、出不精の涼音を説得して夕方には二人でカフェに行く約束を取り付けていた。
……それはまぁいいとしてね。
涼音さん、やっぱり暑いんでしょ?……部屋の中とはいえブラとパンティだけで過ごすんですか? 別に今更だけどね。たまにこういう感覚の違いを感じてしまうお父さんでした。僕もハーフパンツとTシャツで普段よりは露出度高いけど、一応はこのまま外にだって行ける服装だぞ。
カフェに行く服装決めは、長時間のファッションショーになるのかと思っていたら、奥の衣装ケースから取り出してササっと着替えてしまった。それはゴスロリじゃなくて普通の靑と白のチェックの半袖のワンピース。リボンがちょっと変わった感じで面白いというか可愛い。
「珍しいね、ゴスロリじゃないんだ。」
「うん。これね、高校卒業した時にお母さんに買ってもらったやつなんだ。」
「へーなるほどね、どうりで可愛いわけだ。」
「エヘヘ。私ずっと体形変ってないから高校の制服だって着れるよ。」
「いや、それはいい。またパトカーに追尾されたくないし。」
「今度は、『キャー放して!』とか言ってみる?」
「それだけは勘弁してよ。」
……いやね、このワンピでも僕と歩いていると、僕の不審者度は十分高い気がしてるんだけどね。
カフェに行く前に彼女のリクエストで、100円ショップに寄っていた。
可愛いボタンとかビーズのようなものを購入している。出不精の彼女が紫外線降り注ぐ夏の日にカフェ行をOKしたのは、100ショップで買い物したかったかららしい。お料理させると不器用だけれども手芸とかは得意なんだよね。自分で服を直したり、アクセサリーのような小物を作ったりするのを何度か見ていた。
カフェは避暑に来てる人が多いのか、思ったよりも混んでいた。
僕は定番のアイスティ、涼音はフラペチーノ。
テーブル席に座っているけれど、テーブル席で向かい合って座っていると、対面の自分のパートナーよりも隣のテーブル席の人が距離的に近い事がよくある。今回もそのパターン。隣人の存在を認識しつつ無視してしまえるって面白い。
意識の指向性ってやつなのかな。それを特に意識することなく無意識にしているしね。
そういえば、涼音は他の人格のやった事を認識してる筈なのに、無視してしまえるようなところがある。長く他の別人格と一緒に生きてきて、それは無意識に無視できるようになっているのかな。
以前に何かで見たけど、セミや鈴虫などの虫の音の聞き方が多くの日本人は世界的に見れば特殊らしい。
日本人の多くは虫の音を左脳の言語脳で聞き、世界の多くの人は右脳の音楽脳で聞くという話をどこかで見た事がある。その結果、世界の多くの人は虫の音を雑音と同じように処理して無視しやすいらしいけど、多くの日本人は言語と同じような処理をしていて無視しにくいらしい。
そういや、日本では文学作品には古来から虫の音の表現が少なくないけれども、海外のそれらからは滅多に見ない気がする。詳しくは知らないけれど、文化的影響……後天的なもののような気がする。よく言われる男性脳・女性脳って違いも後天的な気さえしてくる。
人間が思っている以上に人間の育ってきた環境は文化は、私達の在り方に大きく影響するのだろうね。
30分くらいのんびりとカフェで過ごして、帰りにはスーパーで食材の買い出して帰途につく。
本当に二人でいる時は心地よい時間が流れていく。
そう、それは気付けば十分に幸せな時間。
『今の涼音で固定できたらいいな』
例えそれが本流じゃないとしても……。
日曜日午前中。
朝の定番のお茶とブラッシングを終えた彼女は、大きなダンボール箱をあさっている。その箱は、ここに引っ越してきた時のままだった箱だという。
そして掘り出したのは、S社の人気ゲーム機RS4。……久しぶりにやりたくなったのだとか。同じく発掘してきた20インチくらいのテレビをセットして、ゲーム機の設定をはじめる。一応テレビも持ってはいたようだ……ゲームのモニターって事らしいけど。
……ところが、初期設定がうまくいかないらしい。
「あれー!コントローラーが認識しないよー!。」
それまで遠目に見ていただけだったけれど、近づいてセッティングを確認してみる。なるほど、コントローラーが認識されないのね、どれどれ……えっと……、これかな……。
「これって充電専用のUSBケーブルじゃないの?」
「え!何それ?これ違うの?」
コントローラーに繋がっていたのは、彼女が普段モバイルバッテリーの充電に使っていたケーブルだった。
「こういうケーブルには充電専用と通信も可能ってケーブルがあるんだよ」
「ええ!そうだったの!! ……純正のケーブルどこだっけ?。」
そう言って、彼女はまた大きな箱に戻って、ガサゴソと探し始める。残念ながらチート級の記憶力でも覚えていなかったらしい。
「んーーもういい! 明日電気屋さんに寄って純正品買ってくるわ。」
そして諦めも早かった。相変わらず切り替えが早いのね。
「電気屋さんなんてもったいないよ。設定できればいいんだから100円ショップで売ってるやつでOKでしょ。」
ヤレヤレといった感じで、エアコンの効いた天国のような部屋から炎天下の街へ出掛けてケーブルを買って来た。
「ほら、このケーブルでやってごらん」
ケーブルを接続するとすぐにコントローラーは認識された。
「さすが!!お父さん!」
「はいはい、どういたしまして。」
彼女はそう言うと、ささっとゲーム機の設定を終わらせていた。
そして夕飯を食べてお風呂に入り、8時前くらいからゲームを開始する。
彼女が始めたのはFPS系のゲームだったらしい。少し離れたいつもの定位置の椅子に座って、たまに聞こえる音声を聞いていると、早速彼女のゲームセンスが発揮されてるらしい。
「すごい上手だね、本当に初心者?」「さっき始めたばかりよ! キャー撃たれる!!」なんて声が聞こえてくる。
ほんと涼音はゲーム好き、そしてゲームプレイのセンスがある。僕もゲームは好きだけれど、彼女のプレイセンスは確実に僕の上を行くと思う。こうやって楽しくプレイできるならいいかな。……とはじめは思っていた。
ところが、9時、10時、……だんだんイライラしてきた。
ゲームに集中するってそんなモノかもしれないけれどさ。まるで僕なんかいないかのようにプレイを続ける彼女。……しかも僕は明日朝には帰るのですけど。かといって……それを止めるのも大人げないよね。
11時、0時……、まだ終わらない。ゲームチャットから聞こえて来る楽しそうな会話に嫉妬のようなものも沸いてきていた。
1時も近づいた頃、さすがに我慢できなくなった僕は彼女の近くに行って
「さすがに いい加減にしてくれないかな。」と声をかけて、床のクッションを枕に横になり目を閉じた。……大人げない僕。
10分くらい後にゲームを終えた彼女が声をかけてくる。
「ねえ、さっきのどういうこと?」
「ゲーム楽しむのはいいけど、4時間も5時間もほっとかれるとは思っていなかったよ。」
「一緒にずっと住んでるならともかく、僕は一応明日には帰るんだけど。」
自分の不満をそのまま彼女にぶつけていた。
「ごめんって、やりたかったゲームだったからつい……。」
「いや、もういいよ。実際にもう時間は過ぎてるから、巻き戻りはしない。今日はこのまま寝るよ。」
「じゃベット行こう。」
「ううん、このままここで寝る。」
そう、僕の頭の中にはドロドロしたものが渦巻いていて素直にはなれなかった。……いや、これが自分の素直なのかもしれない。……子供っぽい自分。
彼女はベットに行かずに僕の背中に寄りそうように身体を横たえていた。
子供のように意地っ張りな僕は、背中を向けたそのままに眠りに落ちていった。
ここまで明確に彼女を拒絶したのは、これが初めてかもしれない。
「……お父さん、……お父さん。」
少し眠ったのだと思う、気がつくと彼女が僕の顔を覗き込んで声をかけてくる。
「由比かな?」
「うん、そうだよ。」
その声はいつもより沈んでいたけれど、すぐに由比だとわかった。
「ねえ、お父さんも主を見放しちゃうの?」
薄暗い部屋の中で、彼女はじっと真剣な眼差しで僕を見つめてくる。
僕は良くも悪くも由比の前では素直で正直だった。
「さあどうかな?涼音次第じゃないかな?……僕は鏡だから。」
これは本当に僕の正直な気持ちだった。
「でもね、僕は由比に約束してるからね。簡単にはいなくならないよ。」
これも僕の正直な気持ちだった。僕が息苦しくても涼音から離れていかないのは由比との約束があったから。『ずっと離れないよ。』っていう約束。
正直なところ、涼音だけなら僕は離れる選択をしていたと思う、でも……、由比や中の人達(別人格)の事を想うと僕にはそのれができなかった。10人以上の人を裏切るなんて……簡単にできることではない。
「こんなところじゃよく眠れないよね。ベットに行こう。」
「うん。」
その夜、僕は由比を抱きしめて眠っていた。
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